「ニューギニア島」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2015年12月10日 (木) 15:38 (UTC)}}
 
{{Infobox 島
 
| 島名= ニューギニア島
 
| 画像= [[ファイル:LocationNewGuinea.svg|250px]]
 
| 緯度度 = 5|緯度分 =30|緯度秒 = 00|N(北緯)及びS(南緯) = S
 
| 経度度 = 141|経度分 = 00|経度秒 = 00|E(東経)及びW(西経) = E
 
| 地図国コード =PG
 
| 面積= 786,000
 
| 周囲=
 
| 標高= 4,884
 
| 海域= [[太平洋]]・[[アラフラ海]]・[[珊瑚海]]
 
| 最大都市=[[ポートモレスビー]]
 
| 最高峰=[[プンチャック・ジャヤ]]
 
| 国= {{PNG}}<br/>{{INA}}
 
}}
 
[[File:Melanesian Cultural Area.png|thumb|220px|ニューギニア島と[[メラネシア]]]]
 
'''ニューギニア島'''(ニューギニアとう、{{llang|言語記事名=英語|en|New Guinea}}、{{llang|言語記事名=インドネシア語|id|Nugini}})は、[[太平洋]]南部に位置する[[島]]であり、[[インドネシア]]と[[パプアニューギニア]]の2カ国の[[領土]]である。島の西半分を領有するインドネシアは[[東南アジア]]の国家であるが、島は[[オセアニア]]に含まれる。また、[[メラネシア]]の島々の一つである。
 
  
[[オーストラリア]]とは[[トレス海峡]]を隔てその北側にある。'''パプア島''' ({{en|Papua}})・'''イリアン島''' ({{lang|id|Irian}})とも呼ぶ。
+
'''ニューギニア島'''(ニューギニアとう、{{llang|言語記事名=英語|en|New Guinea}}{{llang|言語記事名=インドネシア語|id|Nugini}}
  
[[面積]]は約78.6万[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で日本の国土の約2倍の大きさである。世界の島の中では、[[グリーンランド]]に次ぐ面積第2位の島であり、大陸を含めても8番目に広い陸塊である。
+
南西太平洋,[[マレー諸島]]の東端,[[オーストラリア]]の北方にある世界第2位の面積の島。[[インドネシア]]ではイリアン島 Irianと呼ばれる。北は[[太平洋]],東は[[ビスマーク海]]と[[ソロモン海]],南は[[サンゴ海]][[トレス海峡]],南西は[[アラフラ海]]に囲まれる。[[氷河]]のある高山から海岸部の[[熱帯雨林]]や低湿地帯まで,その地形は険しく多様である。最高峰は[[ジャヤ山]](4884m)。住民はおもに[[パプア諸族]]であるが,形質,言語,文化,域外文明との接触度などにおいてきわめて多様であり,中央高地には石器時代に近い生活を送る住民もいる。沿岸部は[[オーストロネシア語族]]が多く,そのほか[[ポリネシア人]],中国人,ヨーロッパ人も居住する。住民の多くは自作農で,低地ではヤムイモ,タロイモ,サゴデンプン([[サゴヤシ]]),バナナが,高地ではサツマイモが主食。世界有数の銅と金の産地で,石油,天然ガスも産出する。東経141°を境に西部はインドネシアの[[パプア州]]と[[パプアバラット州]],東部は[[パプアニューギニア]]に属している。西部は 1828年にオランダが領有,1949年インドネシアが独立し領有権を主張,1969年まで帰属が争われた([[西イリアン問題]])。東部は 1884年に南部をイギリスが,北部をドイツが領有。のち両地域をオーストラリアが一体統治し,1975年パプアニューギニアとして独立,[[イギリス連邦]]に加入した。面積 82万1400km<sup>2</sup>。
 
 
== 名称 ==
 
三通りの呼称があるが、'''ニューギニア島'''、'''パプア島'''、'''イリアン島'''それぞれの由来は異なる。
 
* 「ニューギニア」とは、この地に訪れた[[イギリス人]]が熱帯気候や肌の黒い人々を見て[[アフリカ]]の[[ギニア湾|ギニア]]に似ていると思ったことから名づけた。
 
* 「[[パプア]]」とは、海岸・島嶼地帯に住む[[メラネシア人]]が、[[先住民]]である[[パプア人]]の縮れ毛を指した言葉に由来する。
 
* 「[[イリアンジャヤ|イリアン]]」とは、[[インドネシア語]]で[[日の出]]あるいは[[東]]のこと。
 
 
 
== 行政 ==
 
[[ファイル:New guinea named.PNG|thumb|ニューギニア島の行政区分。西から
 
{{legend|#A4F494|{{INA}} [[西パプア州]]}}
 
{{legend|#3CE47C|{{INA}} [[パプア州]]}}
 
{{legend|#FCFCD4|{{PNG}}}}
 
]]
 
[[東経141度線]]と[[フライ川]]を境に、西部を[[インドネシア]]、東部を[[パプアニューギニア]]が領有する。
 
 
 
インドネシア領は、西端の半島を[[西パプア州]]、残りの大部分を[[パプア州]]が占める。
 
 
 
パプアニューギニア領は、北部の[[モマセ地方]]、南部の[[パプア地方]]、その間の山岳部の[[山岳地方 (パプアニューギニア)|山岳地方]]に大別される。
 
{{-}}
 
== 自然 ==
 
[[File:New Guinea Topography.png|thumb|ニューギニア島の[[地形図]]]]
 
[[File:Western Crowned Pigeon.jpg|thumb|固有種[[カンムリバト]]]]
 
北は[[太平洋]][[ビスマルク海]]、西は[[ハルマヘラ海]]と[[セラム海]]、東は[[ソロモン海]]、南は[[アラフラ海]][[トレス海峡]]および[[珊瑚海]]に囲まれている。
 
 
 
島の中央を険しい山脈が東西に走る。西から、[[マオケ山脈]]、[[ビスマーク山脈]]、[[オーエンスタンリー山脈]]と名づけられている。[[オセアニア]]で最も標高が高い地域で、オセアニア最高峰の[[プンチャック・ジャヤ]]など高峰が並ぶ。島の北西部は[[ドベライ半島]](鳥の頭半島の意)、南東部は[[パプア半島]](鳥の尾を意味する呼び名もある)と名付けられている。
 
 
 
高山地域を除き、鬱蒼とした[[熱帯雨林]]が広がる。
 
 
 
島の南部に[[フライ川]]、北部に[[セピック川]]が流れる。東端付近に[[ミルン湾]]がある。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|{{仮リンク|西パプアの歴史|en|History of West Papua}}|{{仮リンク|パプアニューギニアの歴史|en|History of Papua New Guinea}}}}
 
[[ファイル:New Guinea (1884-1919).png|thumb|ニューギニア島の植民地支配(1884–1919年)。
 
{{legend|#FF7F00|{{NLD}}}}
 
{{legend|#444444|{{DEU1871}}}}
 
{{legend|#EE141E|{{GBR}} → {{AUS}}}}
 
]]
 
ニューギニア最初の人類は、[[氷河期]]の頃に[[スンダランド]]から移住してきた人々であると考えられ、[[オーストラリア]]の[[アボリジニ]]に近い系統である[[オーストラロイド]]([[パプア人]]の祖先)とされ、現在も多数派である。その後、海洋民族で[[青銅器]]文明を持つ[[アウストロネシア]]系の諸民族([[メラネシア人]]、[[マレー人]]、[[ジャワ人]])が到来した。
 
 
 
[[大航海時代]]に[[オランダ]]人や[[ポルトガル]]人が来訪したが、熱帯雨林と湿地帯がほとんどを占めるこの島は活用方法が無く、ほとんど手付かずであった。しかし、やがて[[植民地]]主義の到来で獲得競争がこの島にも訪れ、西半分をオランダ、東は[[オーエンスタンレー山脈]]と[[ビスマルク山脈]]で南北に分けられ、北を[[ドイツ帝国|ドイツ]]、南を[[イギリス]]が領有した。後に、イギリス植民地は[[1901年]]に独立した[[オーストラリア]]([[イギリス連邦|英連邦]])のニューギニア植民地となる。
 
 
 
[[第一次世界大戦]]後は[[国際連盟]]によってドイツ植民地をオーストラリアの[[委任統治領]]としたが、太平洋航海の中継点として利用するほかは使い道が無かった。このころまで、険しい山中には人が住んでいないと思われていたほどである。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]の開戦によって島の北半分が[[日本]]によって占領される。ニューギニア南部の拠点([[ポートモレスビー]])確保のために、北部沿岸に飛行場の建設など[[ニューギニアの戦い|東部ニューギニアで戦い]]が行われ、日本軍と[[オーストラリア軍]]が戦闘を繰り広げた。[[アメリカ軍]]がオーストラリアを拠点に空輸作戦や上陸作戦を実施し、北部沿岸一帯での激戦の末に日本が敗退すると、各国が植民地経営を再開した。
 
 
 
[[インドネシア独立戦争]]([[1945年]] - [[1949年]])を経て、[[1949年]]にオランダは[[インドネシア]]の独立を認め、[[オランダ領ニューギニア|オランダ領の西ニューギニア]]([[1949年]] - [[1962年]])が成立した。オランダは、[[1961年]]にオランダ領の西ニューギニアを[[西パプア共和国]]として独立を認めたが、インドネシアが侵攻したため([[パプア紛争]]、[[1963年]]–現在)、国連による暫定統治を経て、インドネシアへ併合されてイリアンジャヤ州(「偉大な東」という意味)となった。[[2002年]]、[[パプア州]]に改称された。
 
 
 
北東のオーストラリア委任統治領(旧ドイツ領)は、[[国際連合]]の信託統治領として引き続きオーストラリアが支配した。[[1975年]]に、南東のオーストラリア領パプア準州(旧イギリス領)とともに英連邦の一員として独立を認められ、[[パプアニューギニア|パプアニューギニア独立国]]が成立した。
 
 
 
== 住民 ==
 
[[File:KorowaiHombre01.jpg|thumb|{{仮リンク|コロワイ族|en|Korowai people}}の男性]]
 
[[先住民]]は[[パプア人|パプア系]]の諸民族で、今も多数派である。ニューギニア高地人とも呼ばれ、外界から孤立した内陸部で独自に農耕を発明し、多数の部族社会にわかれて暮らしていた。
 
 
 
海岸沿いの地域には、近代以前に、[[海洋民族]]である[[メラネシア人]]など[[アウストロネシア]]系の諸民族が入植した。
 
 
 
西ニューギニアには、インドネシア独立後、[[マレー人]](特に[[ジャワ人]])が入植をしている。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|New_Guinea}}
 
{{Wikivoyage|New_Guinea|パプアニューギニア{{en icon}}}}
 
*[[パプアニューギニア]]
 
*[[パプア州]] - インドネシア
 
*[[島の一覧 (面積順)]]
 
{{Authority control}}
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
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[[Category:ニューギニア島|*]]
 
[[Category:ニューギニア島|*]]

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ニューギニア島(ニューギニアとう、英語New Guineaインドネシア語Nugini

南西太平洋,マレー諸島の東端,オーストラリアの北方にある世界第2位の面積の島。インドネシアではイリアン島 Irianと呼ばれる。北は太平洋,東はビスマーク海ソロモン海,南はサンゴ海トレス海峡,南西はアラフラ海に囲まれる。氷河のある高山から海岸部の熱帯雨林や低湿地帯まで,その地形は険しく多様である。最高峰はジャヤ山(4884m)。住民はおもにパプア諸族であるが,形質,言語,文化,域外文明との接触度などにおいてきわめて多様であり,中央高地には石器時代に近い生活を送る住民もいる。沿岸部はオーストロネシア語族が多く,そのほかポリネシア人,中国人,ヨーロッパ人も居住する。住民の多くは自作農で,低地ではヤムイモ,タロイモ,サゴデンプン(サゴヤシ),バナナが,高地ではサツマイモが主食。世界有数の銅と金の産地で,石油,天然ガスも産出する。東経141°を境に西部はインドネシアのパプア州パプアバラット州,東部はパプアニューギニアに属している。西部は 1828年にオランダが領有,1949年インドネシアが独立し領有権を主張,1969年まで帰属が争われた(西イリアン問題)。東部は 1884年に南部をイギリスが,北部をドイツが領有。のち両地域をオーストラリアが一体統治し,1975年パプアニューギニアとして独立,イギリス連邦に加入した。面積 82万1400km2



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