源等

提供: miniwiki
移動先:案内検索


源 等(みなもと の ひとし)は、平安時代前期から中期にかけての公卿嵯峨源氏中納言源希の次男。官位正四位下参議小倉百人一首では参議等

経歴

昌泰2年(899年近江権少掾に任ぜられた後、主殿助を経て、延喜4年(904年従五位下に叙爵。以後、三河守丹波守美濃権守備前守と地方官を歴任し、この間、治国の功労により延喜12年(912年従五位上、延喜23年(923年正五位下に昇叙され、同年10月には左中弁に補任されている。延長8年(930年従四位下大宰大弐に叙任。

朱雀朝では、弾正大弼山城守勘解由長官を歴任し、天慶6年(943年従四位上右大弁に叙任される。

村上天皇が即位した翌年の天暦元年(947年参議に任ぜられ公卿に列す。天暦5年(951年)正月に正四位下に昇叙されるが、同時に議政官として兼帯していた右大弁・勘解由長官・讃岐守官職を全て辞任し、同年3月10日に薨去。享年72。

勅撰歌人として『後撰和歌集』に4首が採録されている。百人一首に収録された歌は本歌取りである。

  • 小倉百人一首
    • 39番 浅茅生(あさじふ)の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき(『後撰和歌集』恋一 578)

官位歴

以下、公卿補任に拠る。

  • 昌泰2年正月11日(899年2月24日) 近江権少掾
  • 昌泰4年3月15日(901年4月6日) 主殿助。(宇多院御給)。
  • 延喜4年2月27日(904年3月16日) 従五位下。(朱雀院臨時御給一人叙)。
  • 延喜5年4月5日(905年5月11日) 大蔵少輔
  • 延喜7年正月13日(907年2月27日) 三河守
  • 延喜12年
    • 正月7日(912年1月28日) 従五位上。(治国)。
    • 正月15日(912年2月5日) 丹波守
  • 延喜16年(916年) 内匠頭
  • 延喜17年正月29日(917年2月23日) 美濃権守。(受領)。
  • 延喜22年10月25日(922年11月16日) 大蔵大輔
  • 延喜23年
  • 延長元年10月(923年-月-日) 任左中弁
  • 延長7年9月(929年-月-日) 主殿頭
  • 延長8年正月27日(930年2月28日)[2] 従四位下。(治国)。任大宰大弐
  • 承平7年3月8日(937年4月21日) 任弾正大弼
  • 天慶2年12月27日(940年2月7日) 山城守
  • 天慶3年12月6日(941年1月6日)[3] 兼勘解由長官
  • 天慶6年正月7日(943年2月14日) 従四位上
  • 天慶8年11月25日(946年1月1日) 右大弁
  • 天慶9年
    • 2月7日(946年3月12日) 兼勘解由長官。
    • 4月25日(946年5月28日) 昇殿
  • 天暦元年4月26日(947年5月19日) 任参議。大弁勘長官如元。
  • 天暦2年正月30日(948年3月13日) 兼讃岐守。参議大弁勘長官如元。
  • 天暦5年
    • 正月7日(951年2月15日) 正四位下。上表辞大弁勘長官等。
    • 3月10日(951年4月18日) 卒去。

系譜

  • 父:源希
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:源斉
    • 男子:源済
    • 男子:源学
    • 男子:源愸
    • 女子:藤原敦忠
    • 女子:藤原令茂(合茂)室 - 藤原敦信の母。

脚註

  1. 或いは備前守。
  2. 或いは29日(930年3月2日)。
  3. 或いは1日(941年1月1日)。

関連項目