村上天皇

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村上天皇(むらかみてんのう、926年7月14日延長4年6月2日)- 967年7月5日康保4年5月25日

第 62代の天皇 (在位 946~967) 。醍醐天皇の第 14皇子。母は太政大臣藤原基経の女,中宮穏子。名,成明。天慶7 (944) 年皇太弟となり,同9年即位し,藤原忠平没後は摂関をおかず親政を行い,天暦8 (954) 年には諸臣に勅して,奢侈を禁じ,売官を停止させた。また鴻臚館を存置するなど菅原文時意見封事を用いたり,貧民救済を急務とし,常平所を設置し,乾元大宝を鋳造するなどの治績をあげた。また文学を好み,琵琶に長じた。そのため,和歌所が設置され,『後撰和歌集』が成り,詩合,歌合 (天徳歌合) などが催され,多くの文人が輩出した。このような治績や文運の隆昌から,のちに「天暦の治」 (延喜・天暦の治 ) と称された。しかし実際には律令体制は解体の途上にあり,地方政治の紊乱,盗賊の横行,悪疫の流行,水旱の災があり,急速に摂関政治の時代へと移っていった。日記に『村上天皇御記』 (『天暦御記』ともいう) がある。陵墓は京都市右京区鳴滝宇多野谷の村上陵。



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