東急文化会館
渋谷東急文化会館 Shibuya Tokyu Bunka Kaikan | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 |
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷二丁目21-12 |
座標 | 東経139度42分12秒北緯35.65889度 東経139.70333度 |
開業日 | 1956年(昭和31年)12月1日 |
閉業日 | 2003年(平成15年)6月30日 |
正式名称 | 東急文化会館 |
施設所有者 |
東急百貨店(建物) 東京急行電鉄、ビー・ケー・アセットファンディング有限会社(共有底地権) |
施設管理者 | 東急レクリエーション |
設計者 | 坂倉準三 |
営業時間 | 各階によって異なる |
前身 | 渋谷第一マーケット |
後身 | 渋谷ヒカリエ |
最寄駅 | 渋谷駅 |
東急グループ東急 |
東急文化会館(とうきゅうぶんかかいかん)は、かつて東京都渋谷区渋谷にあった複合施設である。東急百貨店が所有・運営し、渋谷駅前(東口)を代表する文化施設として知られた。
2003年(平成15年)に閉館、建物も取り壊された。跡地には2012年(平成24年)、新たな複合ビル「渋谷ヒカリエ」が開業した。
Contents
概要
坂倉準三が構造設計を行い、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階地上8階塔屋3階建であった。4つの映画館や美容室、レストラン、書店などの店舗が入り、特に屋上にはプラネタリウム「天文博物館五島プラネタリウム」が設置された事もあり、東京の名所として修学旅行のコースに組み込まれた程の人気を博した。当時の国鉄渋谷駅東口は、都電のターミナルであった事から、交通の混乱を避けるために、開業と同時に歩道橋が作られ、東急東横線の改札口から段差なしで文化会館にいくことができた。
しかし、1989年(平成元年)、東急百貨店本店に併設される形で日本初の大型の複合文化施設としてBunkamuraが開業し、東急グループを代表する施設ではなくなった。そして2003年(平成15年)、建物の老朽化と東急東横線(渋谷駅‐代官山駅間)の地下化工事および営団地下鉄13号線(後の東京メトロ副都心線)建設のため閉鎖し解体され、47年の歴史に幕を閉じた。
2008年(平成20年)6月14日、跡地の地下に東京メトロ副都心線が開業した。この施設の跡地は2012年(平成24年)に「渋谷ヒカリエ」として再スタートをきった。
歴史
- 1943年(昭和18年) - 東京市立渋谷小学校の移転に伴い東京急行電鉄が敷地(渋谷区金王町36番地)を譲り受け、残された木造校舎を本社分室として使用する[1]。
- 1945年(昭和20年) - 空襲により全焼する。終戦後、バラックの「渋谷第一マーケット」が開設され、明治通りの拡張に伴い、敷地の増減を経て現在の敷地が確定する[1]。
- 1955年(昭和30年) 7月 - 建設着工。
- 1956年(昭和31年)5月15日 - 株式会社東急文化会館を設立。
- 1956年(昭和31年) 12月 - 株式会社東急文化会館の運営により開館。渋谷パンテオンが開業。 1日
- 1957年(昭和32年)4月 - 1日天文博物館五島プラネタリウムが営業開始。
- 1966年(昭和41年)11月 - 株式会社東急文化会館が、新日本興業(後の東急レクリエーション)へ吸収合併される。
- 1966年(昭和41年)10月 - 東急日動画廊開設。 1日
- 1982年(昭和57年)12月 - 渋谷パンテオンと東急名画座にて『 4日E.T.』封切。半年に及ぶロングランを記録し、同会館史上最大のヒット作となる。
- 1985年(昭和60年) - 第1回東京国際ファンタスティック映画祭が開催される。
- 1986年(昭和61年) 6月 - 東急名画座が「渋谷東急2」に改称される。
- 1990年(平成 2年)10月 - 東急レックスが「渋谷東急3」に改称される。
- 2000年(平成12年) 7月 - 東急ゴールデンホール(結婚式場・宴会場)を閉鎖する。
- 2001年(平成13年)3月11日 - 天文博物館五島プラネタリウムを閉鎖する。
- 2002年(平成14年)5月28日 - 閉鎖および解体を発表する[2]。
- 2003年(平成15年) 3月 - 東京急行電鉄が底地権(5,103 m2)の共有持ち分の10分の7を三菱信託銀行に信託し、信託受益権を売却する。ビー・ケー・アセットファンディング有限会社(東銀リースの特別目的会社)が購入する。
- 2003年(平成15年) 6月30日 - 完全閉鎖する[2]。
フロア
開館当時のフロア構成
文化理髪室 | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 |
〒145-0062 東京都大田区北千束2丁目24-15 |
開業日 | 2003年(現店舗移転年) |
正式名称 | 文化理髪室 |
施設所有者 | 東京都理容生活衛生同業組合大田支部 |
営業時間 |
10:00 - 18:30(平日) 9:00 - 18:00(土・日・祝日) |
駐車台数 | なし台 |
最寄駅 |
東急大井町線北千束駅 東急目黒線洗足駅 |
外部リンク | 文化理髪室 |
階 | 東急文化会館 |
---|---|
8F | 東急ゴールデンホール・天文博物館五島プラネタリウム |
7F | 東急ゴールデンホール |
6F | 東急名画座 |
5F | 渋谷東急 |
4F | 東京田中千代服装学園 |
3F | 資生堂美容室・理髪店 |
2F | 文化特選街 |
1F | 渋谷パンテオン・東急不動産渋谷営業所・文化三共薬局 |
B1F | 東急ジャーナル・文化地下食堂 |
その後もテナントの入れ替えを繰り返し、過去に第一家庭電器などが、最末期には三省堂書店や東急ストアなども入居していた。
文化理髪室
文化理髪室は文化会館3階にあり、長嶋茂雄が贔屓にする理容室として知られていた。当施設閉館後大田区北千束に移転。店名は変えず、長嶋茂雄も変わらず来店している[1]。
映画館
東急文化会館上映作品動員数ランキング[3][1] | |||||
---|---|---|---|---|---|
順位 | 上映年 | 作品 | 監督 | 上映館 | 動員数 |
1位 | 1982年 | E.T. | スティーヴン・スピルバーグ | パンテオン 東急名画座 |
597,687人[4] |
2位 | 1983年 | フラッシュダンス | エイドリアン・ライン | 渋谷東急 | 353,725人 |
3位 | 1963年 | 大脱走 | ジョン・スタージェス | パンテオン | 309,948人 |
4位 | 1960年 | 眠れぬ森の美女 | クライド・ジェロニミ(監督) ケン・ピーターソン(総監督) |
パンテオン | 293,676人 |
5位 | 1992年 | ボディガード | ミック・ジャクソン | パンテオン | 266,931人 |
渋谷の東口から見える大きな4つの映画看板で知られていた。以下の館名・定員はすべて閉館時のものである。
- 渋谷パンテオン(1階)
- 定員1,119人。名称は円形劇場を意味しており、プラネタリウムを持つこの建物にちなんでいる。70mm映写機や緞帳(ル・コルビュジエの『闘牛十四号』)もあった超大型の映画館。その大きさのため、東京国際ファンタスティック映画祭など、数々のイベントの会場となった。終盤期には、主に丸の内ルーブルチェーンの映画を上映していた。
- 渋谷東急(5階)
- 定員824人。後の渋谷東急につながる映画館。ファミリー向きの映画などが多く上映されていた。松竹東急系のチェーンマスターでもある。
- 渋谷東急2(6階)
- 定員381人。開業時は東急名画座の名称だった。終盤期には丸の内ピカデリー1系の作品を中心に上映していた。
- 渋谷東急3(地下1階)
- 定員374人。開業時は東急ジャーナルとしてニュース映画を低価格で流していた。その後、低料金で映画を提供する映画館として東急レックスという名称で運営された。また、映画館としてだけではなく、テレビ番組『大正テレビ寄席』(NET→テレビ朝日)の収録会場として使用されていた時期もあった。様々な系列の映画を上映していたが、最終期には丸の内シャンゼリゼ(現・丸の内TOEI2)などと少数館でチェーンを組み、ミニシアター向けの映画を中心に上映していた。
パンテオンで上映していた作品
- 放浪の王者(オープニング上映作品)
- 眠れる森の美女
- 101匹わんちゃん
- 大脱走
- ブリット
- ダーティハリーシリーズ
- 砂の器
- ザ・ヤクザ
- タワーリング・インフェルノ
- ジョーズ
- エアポート'77/バミューダからの脱出
- スーパーマンシリーズ
- U・ボート
- E.T.(同館史上最大のヒット作)
- グレムリン
- ビバリーヒルズ・コップ
- マッドマックス/サンダードーム
- ペイルライダー
- グーニーズ
- プラトーン
- リーサル・ウェポンシリーズ
- ラストエンペラー
- メジャーリーグ
- ツインズ
- バットマンシリーズ
- JFK
- ボディガード
- 許されざる者
- ラスト・アクション・ヒーロー
- パーフェクト・ワールド
- パルプ・フィクション
- インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
- アウトブレイク
- バットマン・フォーエヴァー
- キャスパー
- マディソン郡の橋
- ジュマンジ
- イレイザー
- メン・イン・ブラック
- ディープ・インパクト
- 始皇帝暗殺
- 6デイズ・7ナイツ
- シン・レッド・ライン
- アイズ・ワイド・シャット
- マトリックス
- ワイルド・ワイルド・ウエスト
- シュリ(韓国映画)
- パーフェクト ストーム
- A.I.
- ハリー・ポッターと賢者の石
- 007 ダイ・アナザー・デイ
- マトリックス・リローデッド(最後の封切作品)
- サウンド・オブ・ミュージック(同館最後の日に70mmで上映)
旧・渋谷東急で上映された作品
- エクソシスト(ディレクターズ・カット版も上映)
- 燃えよドラゴン
- ロッキー(1-3作目)
- ウルトラマン怪獣大決戦
- フラッシュダンス
- 愛と青春の旅立ち
- トッツィー
- フラッシュダンス
- 風の谷のナウシカ
- 天空の城ラピュタ
- ハイランダー 悪魔の戦士
- あぶない刑事
- 魔女の宅急便
- 天と地と
- 羊たちの沈黙
- JM
- スワロウテイル
- 新世紀エヴァンゲリオン劇場版
- バグズ・ライフ
- マトリックス
- パール・ハーバー
- モンスターズ・インク
- 少林サッカー
- スクリーム
- レッドプラネット(公開初週のみ、以後は渋谷東急3へ移動)
- アヴァロン(渋谷東急3にて公開される予定が、公開初日の朝に急遽レッドプラネットとの入れ替えが決定し、移動となる)
- 恋愛寫眞 Collage of our Life(最後の封切作品)
渋谷東急2で上映された作品
- クレイマー、クレイマー
- フットルース
- ハンナとその姉妹
- インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
- バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2
- パニッシャー
- 氷の微笑
- アポロ13
- トイ・ストーリー
- セブン・イヤーズ・イン・チベット
- スクリーム2
- ロード・オブ・ザ・リング
- トゥー・ウィークス・ノーティス(最後の封切作品)
渋谷東急3で上映された作品
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 “渋谷のシンボルが47年の歴史に幕 サヨナラ「渋谷東急文化会館」”. 渋谷経済新聞 (みんなの経済新聞ネットワーク). (2003年6月6日) . 2017閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “東急文化会館の閉鎖、解体を決定”. 東京急行電鉄株式会社 (2002年5月28日). 2002年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ 掛尾良夫「さよなら渋谷東急文化会館『文化会館劇場別動員歴代ベストテン』」、『キネマ旬報』第1383号、キネマ旬報社、2003年6月、 118頁、. 2017閲覧.
- ↑ パンテオン:488,968人、名画座:108,719人。
外部リンク
- 渋谷パンテオン上映作品の歴史 - ウェイバックマシン(2003年7月19日アーカイブ分)
- 渋谷東急文化会館 - 「港町キネマ通り」サイト内(2002年4月取材)