モルディブ
- モルディブ共和国
- ދިވެހި ރާއްޖޭގެ ޖުމްހޫރިއްޔާ
- 国の標語:なし
公用語 | ディベヒ語 |
---|---|
首都 | マレ |
最大の都市 | マレ |
独立 - 日付 | イギリスより 1965年7月26日 |
通貨 | ルフィヤ(£) (MVR) |
時間帯 | UTC (+5)(DST:なし) |
ISO 3166-1 | MV / MDV |
ccTLD | .mv |
国際電話番号 | 960 |
モルディブ共和国(モルディブきょうわこく、テンプレート:Lang-dv, Dhivehi Raa'jeyge Jumhooriyya)、通称モルディブは、アジアのインド洋にある島国で、インドとスリランカの南西に位置する。
Contents
国名
正式名称はދިވެހި ރާއްޖޭގެ ޖުމްހޫރިއްޔާ(ディベヒ語:ラテン文字転写はDhivehi Raajjeyge Jumhooriyyaa。読みはディヴェヒ・ラーッジェーゲ・ジュムフーリッヤー)。通称、Raajje。
公式の英語表記はRepublic of Maldives(リパブリック・オブ・モールディーヴズ)。通称、Maldives。
日本語表記はモルディブ共和国。通称はモルディブ、もしくはモルジブとも。
ディベヒ語名の「Raajjeyge」とは、島を意味する「rah」の複数形「Raajje」に所有格を表す接尾辞「ge」がついたもの。「Jumhooriyyaa」は共和国の意。「Dhivehi」は「島に住む人」の意。
英語名の「Maldives」はサンスクリットで 「島々の花輪」を意味する「Malodheep(マローディープ。マーラー(mAlA、माला。「輪」)+ドウィーパーハ(dvIpAH、द्वीपाः。「島々」))に由来するとされる。これはモルディブの珊瑚礁の島々が輪を描くように並んで浮かんでいる様子を花輪にたとえたものである。
歴史
- 6世紀頃、セイロン(現スリランカ)から仏教徒の人々が移住してきた、といわれている。
- 1153年、アラブ人がイスラム教を伝えた。以後、イスラム教国家となる。
- 1343-1344年、イブン・バットゥータが滞在。政府高官として10ヶ月間勤務する。
- 1558年、ポルトガルがマレを占拠( - 1573年)。
- 1645年、オランダの保護国となる( - 1796年)。
- 1887年、イギリスの保護国となる。
- 1932年、最初の憲法が起草され、君主位が世襲制から選挙制に移行。
- 1953年、君主制が廃止され、共和制に移行。アミン・ディディが初代大統領に就任したが、一年も経たずに政権崩壊。王政復古により、ムハンマド・ファリド・ディディが第94代スルターンに選ばれる。
- 1959年、南部にてアドゥアン人民共和国(後にスバディバ連合共和国に改称)が独立宣言( - 1963年)。
- 1965年7月26日、スルターンを元首とする君主国(モルディブ・スルターン国)として独立。
- 1968年11月11日、国民投票で共和制に移行。
- 1978年11月11日、ナシル初代大統領に代わりマウムーン・アブドゥル・ガユームが第2代大統領に就任。
- 1988年11月3日、国内実業家の雇ったPLOTE傭兵部隊によるクーデターが勃発。同日夜、輸送機によりインド軍部隊が投入され(当時モルディブは軍を保有していなかった)傭兵部隊は鎮圧された。
- 2004年
- 2007年9月29日、首都マレで、爆弾テロと見られる爆発があり、日本人2人を含む外国人観光客12人が負傷した。
- 2008年1月8日、北部のホアラフシ島で大統領暗殺未遂事件があり、15歳のボーイスカウトの少年が犯人を制止し少年は腕を負傷した。
- 2008年10月29日、民主化後初の大統領選挙が行われ、モハメド・ナシードが当選(11月11日就任)。
- 2012年2月7日、モハメド・ナシード大統領が辞任し、モハメド・ワヒード・ハサン副大統領が、大統領に昇格する。
政治
国家元首の大統領は行政府の長を兼ねる(首相は1975年以来空席)。任期は5年。議会が候補者を選出し国民が信任投票を行う。2003年10月の選挙ではガユーム大統領の続投(6期目)が決まった。
議会は一院制で「Majlis(国民議会)」と呼ばれる。全85議席で、任期は5年[2]。
伝統的に政治的集団を結成する習慣が無かったため政党は存在しなかったが、アジア最長と呼ばれるガユーム政権の打倒のために2003年11月10日にモルディブ民主党(MDP)が結成された。これを契機にガユーム大統領が新党モルディブ人民党(DRP)を結成。その他にもモルディブ進歩党(PPM)や共和党といった中堅政党、更にはイスラム民主党や正義党といった小政党が続々と結成され、徐々に政党政治へと移行しつつある。(政党の一覧についてはモルディブの政党に記載)
2008年8月7日には基本的人権や言論の自由、複数政党制などを初めてうたった新憲法が制定された。そして10月8日、複数政党制の下での初めての大統領選挙が行われたが、過半数を得票した候補がおらず、1位のガユーム大統領と2位のモルディブ民主党のナシード元総裁で決選投票が行われることになった。10月29日に決選投票の結果が発表され、ナシードが当選した。また、2009年には国民議会議員選挙も行われ、モルディブ民主党が第1党となった。
2013年の大統領選挙では、前年に大統領を辞任したナシードがアブドゥラ・ヤミーンと争った。選挙はナシードが勝利するが最高裁判所の判断で選挙結果は無効とされ、再度行われた投票では51.3%を獲得し、ヤミーンがナシードを破り大統領に当選した。ヤミーン就任直後からナシードやガユームなど野党有力者を相次いで逮捕するなど、強権的な手法で反対派を押さえ込んでいる。
2018年2月1日、最高裁判所は政治犯9人の釈放と、議員資格が停止中の野党議員ら12人の復権命令を発令した。しかしこれをヤミーン大統領が拒否し、抗議活動が活発になったため2月5日には15日間の非常事態宣言を発令した。[3]その後、6日に最高裁は命令を撤回した[4]。
地方行政区画
首都マレと、7つの行政区の下で、20のアトル(atholhu。環礁を意味する英語の「atoll」に由来)に分かれる。これは、26ある自然的意味における環礁を、行政管轄の観点から合一または分割し、20に再編したもの。「環礁区」と日本語に訳されたり、「自然上の環礁」と「行政上の環礁」として両者を区別されたりすることもある。首都マレは、カーフ環礁の中にあるマレ島とヴィリンギリ島の2島のみで構成される行政地区である。
軍事
モルディブは長く軍事力を保有していなかったが、1558年にポルトガルに占領された後、抵抗軍が組織され、1573年には独力でポルトガル軍の撃退に成功した。以降、17世紀中盤の数度のポルトガルによる再攻撃もすべて撃退し、19世紀後半には近代軍に移行したが、20世紀中盤以降は治安部隊(国家保安隊)に縮小されていた。
その後、国家保安隊が警察機能を兼任していたため、一国における単一組織の権限が大き過ぎることが懸念されるようになり、また1988年に同国の実業家が傭兵を使ってクーデター未遂事件を起こしたこともあって、2006年より警察機能を分離してモルディブ国防軍として再編成された。なお、全方位外交を旨としていることから、安全保障条約なども締結していないが、諸外国軍との共同訓練等の軍事交流はある。
地理
スリランカ南西のインド洋に浮かぶ26の環礁や約1,200の島々から成り、約200の島に人が住む。高温多湿の熱帯気候。
海抜の最高が2.4mという平坦な地形であるため、近年の海面上昇と珊瑚礁の死滅により、国土が消滅する危険にさらされている。1m海面が上昇すると国土の80%が失われると言われる。このためナシード大統領(2008年当時)は、モルディブの基幹産業である観光収入の一部を使って海外の土地(インドやスリランカ、オーストラリアなどが想定されている)を購入し、国民が移住できる土地を確保する意向を表明している[5]。また、国土を盛り土することで水没を防ぐ方策も検討されている[6]。
現在、フルレ島(ヴェラナ国際空港がある)の北北東に人工島「フルマーレ」を造成している。
経済
かつては後発開発途上国(いわゆる最貧国)の一つであった(2011年、経済成長により指定解除)。IMFの統計によると、2013年のモルディブのGDPは22.76億ドル。一人当たりのGDPは6,764ドルで、南アジアでは最も高い。[1] 主産業は漁業と観光業。観光部門がGDPの約3分の1を占めており、最大の外貨獲得源でもある。リゾート島は85 - 100もあるといわれる。2001年7月、政府は20年間で工業化促進を目指す「2020ビジョン」を発表。各島は、その機能が特定されていることが多く、空港の島・ごみの島・囚人の島・観光の島など特化している場合が多い。
農業
2005年時点の農業人口は2万7000人。国土の43.3%が耕地となっている。主要作物はココナッツ(1万6000トン、2004年)、バナナ(4000トン)、タロイモ(350トン)。ココナッツはコプラの原料となる商品作物である。
一方、主食となる穀物は輸入している。
漁業
約5000隻の漁船を擁し16万トン(2004年)の漁獲高をあげている。対象はマグロ、ついでカツオである。これらは最大の輸出品目となっている。
鉱業
モルディブには鉱物資源が殆ど存在しない。
工業
単一の食品工業、すなわちココナッツからのコプラ製造のみが確立している。2005年時点のコプラの生産量は2295トンであった。
観光
人口を上回る数の観光客が訪れており1999年には43万人を超えた。またそれに伴い観光業は雇用も生み出しており1999年にはモルディブの就業人口の14%を占めている。
基本的に1つの島に1つのホテルが存在する形式でホテルによって滞在する島を選択することになる。各島への移動はドーニーと呼ばれる木製のボートが使用されるが高速艇(いわゆるモーターボート)や水上機も使用される。
外国人は特別に許可された場合を除いて観光が許可されている島以外には入ることができない。
労働力
失業率14.4%(2006年)
国民
民族
モルディブでは固有の民族呼称は該当せず、人種構成としてはインド・アーリア人とドラヴィダ人を中心に、西北から移住したアラブ系と東南から移住したインドネシア・マレー人種(インドシナ人種(古モンゴロイド系)とオーストラロイドの混血人種)などが混血して、モルディブの住民として成り立っている。
言語
公用語は、ディベヒ語(ディヴェヒ語とも表記され、モルディブ語とも呼ばれる)。また、英語もよく通じる。リゾート島によってはフランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語も話されている。
宗教
イスラム教のスンナ派が国教。住民のほぼ100%(推計値、正確な数値は不明)がイスラム教徒である。
文化
旧国歌『ガオミィ サラーム』は『蛍の光』と同じ曲、つまり、スコットランド民謡の『オールド・ラング・サイン』の旋律を用いた曲であった。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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7月26日 | 独立記念日 | ||
11月11日 | 共和国記念日 | ||
ナショナルデー | ヒジュラ暦第3月1日 | ||
ムハンマド生誕祭 | ヒジュラ暦第3月12日 | ||
断食月明けの祭 | ヒジュラ暦第10月1日より3日間 | ||
犠牲祭 | ヒジュラ暦第12月10日より通常5日から7日間 |
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 “World Economic Outlook Database, April 2014”. IMF (2014年4月). . 2014閲覧.
- ↑ 「モルディブ共和国」『世界年鑑2016』(共同通信社、2016年)213頁。
- ↑ モルディブで非常事態宣言 政治犯の釈放拒否で混乱2018.2.6 産経ニュース
- ↑ インド洋の楽園混乱=非常事態宣言、最高裁長官を拘束-モルディブ時事通信、2018年6月11日。
- ↑ モルディブ新大統領「国土水没に備え移住用の土地確保」 2008-11-11閲覧。
- ↑ モルディブ、盛り土で水没防げ 国土存亡かけ挑戦 共同通信 2011年1月4日
関連項目
外部リンク
- 政府
- モルディブ共和国大統領府(英語)
- 在日モルディブ大使館(日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - モルディブ(日本語)
- 在モルディブ日本国大使館(日本語)
- 観光
- モルディブ政府観光局 - ウェイバックマシン(2015年5月10日アーカイブ分)(日本語)