6世紀

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ファイル:Meister von San Vitale in Ravenna 003.jpg
地中海の再統一。画像はラヴェンナサン・ヴィターレ聖堂の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と随臣のモザイク。
ファイル:Khusro Plate.png
サーサーン朝の栄光。画像はホスロー1世を描いたサーサーン朝時代の大皿で、パリのフランス国立図書館メダル陳列室(コイン・メダル博物館)English版所蔵のもの。
ファイル:Antarah on horse.jpg
無明時代のアラビア語詩人たち。イスラム教勃興直前のこの時代にアラビアでは優れた詩人たちが活躍した。画像はその代表的な詩人アンタラ・イブン・シャッダードの細密画で、勇猛な戦士の姿で描いている。
ファイル:Vishnu image inside cave number 3 in Badami.jpg
前期チャールキヤ朝。デカン地方から南インドに展開した王朝で都はバーダーミにあった。画像はキールティヴァルマン1世の弟マンガレーシャにより建立されたバーダーミのヒンドゥー教石窟寺院第3窟でヴィシュヌ神の像が安置されている。
ファイル:Bodhidharma.and.Huike-Sesshu.Toyo.jpg
禅宗の祖師達磨。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は雪舟等楊の「慧可断臂図」(愛知県常滑市斉年寺蔵)。
ファイル:Xiao Hui - eastern bixie, seen from S - P1070581.JPG
六朝の都建康。現在の南京であるこの地は中国南朝の歴代の都となり、貴族による文化が花開いた。画像は南京にある梁の武帝の異母弟蕭恢の墓を守る辟邪の石刻。
ファイル:Sui Wendi Tang.jpg
文帝。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。
ファイル:Periodo kofun, haniwa, guerriero con armatura keiko, VI sec, 02.JPG
関東の人物埴輪。6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。画像は「国宝武装男子立像(群馬県太田市出土)」で東京国立博物館蔵となっている。
ファイル:Huaca de la Luna Août 2007 - Peintures 3.jpg
モチェ文化。ペルー北部海岸地帯に成立した文化で、紀元前1世紀から紀元後7世紀まで続くが、6世紀半ば以降には急速に衰退した。画像はトルヒーヨ近郊にある「太陽のワカ、月のワカ」の神殿基壇部レリーフに極彩色で描かれた最高神アイアパエクの像。
ファイル:RA Theoderich-Mausoleum 2010.JPG
東ゴート王国の盛衰。オドアケルを倒した東ゴート王テオドリックのもとイタリアはつかの間の平和を享受した。やがてこの国は6世紀半ばには東ローマ帝国の膝下に屈服することになる。画像はラヴェンナにあるテオドリック廟
ファイル:RossanoGospelsChristBeforePilate.jpg
ロッサーノの福音書』。古代末期の混乱で散逸した写本は数知れないが、この福音書は『ウィーン創世記』や『シノペの福音書』と並び現存するこの世紀に造られた数少ない写本で、「コデックス・プルプレウス」という紫染めの羊皮紙を用いた豪華なものである。
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エジプトのコプト正教会。歴代東ローマ皇帝の妥協にもかかわらず、エジプトでは単性論とも呼ばれる非カルケドン派が主流派であり、この時期には帝国からの分離傾向が強まった。画像は6世紀に作られたコプト織でエジプトで熱心に崇敬された「神の母(テオトコス)」がデザインされている。
ファイル:Beit Alpha.jpg
ベイト・アルファ遺跡English版。現在のイスラエル北部にあるユダヤ教のシナゴーグの遺跡。画像は東ローマ帝国支配の時代に作られた床面のモザイク画で黄道帯(ゾディアック)の輪が十二宮の象徴を伴って描かれている。

6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀

できごと

500年代

510年代

520年代

530年代

  • 530年 - ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』編纂を命じる(533年完成)。
  • 531年
  • 532年 - 東ローマ帝国でニカの乱
    • 皇帝ユスティニアヌス1世は退位逃亡寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの助力で反徒を武力鎮圧。
    • この後コンスタンティノポリス市街の再建が進められ、巨大な地下貯水池(バシリカ・シスタン)もこの時期に造られる。
  • 532年 - 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」が結ばれ国境が固定化される。
  • 533年 - 東ローマ帝国が北アフリカのヴァンダル王国を征服。
  • 534年
    • フランク王国(パリ・ソワソン)がブルグンド王国を征服。
    • 東ゴート王国女王アマラスンタが廃位される。
    • 北魏が東魏西魏に分裂。
    • 西魏の宇文泰が郷兵を結集し、府兵制が成立する。
      • これに伴い十二大将軍・八柱国の軍団が整備され、武川鎮軍閥(関隴集団)が結集する。
  • 535年
    • インドネシアクラカタウ火山の爆発による地球規模の大異変が起きる。
      • 世界各地の古文書・年代記・伝承などに異常寒波・自然災害・飢饉・疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊がおきたことが記されている[1]
    • 東ゴート元女王アマラスンタが殺害され、東ローマ帝国が軍事介入を開始(ゴート戦争)。
  • 536年 - 安閑天皇死去、宣化天皇即位。
  • 537年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によりニカの乱で焼失したハギア・ソフィア大聖堂が再建される。
    • 現存するイスタンブールの「アヤソフィア」は再建されたこの3代目の建物を指す。
  • 538年
  • 539年 - 宣化天皇死去、欽明天皇即位。

540年代

550年代

  • 550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。
  • 550年頃
    • インドでグプタ朝が完全に滅亡。
    • ネストリウス派の修道士により中央アジアから東ローマ帝国にの製法が伝えられる。
  • 552年
  • 553年 - 第2コンスタンティノポリス公会議で「三章問題」が討議されその著作が排斥される。
  • 554年
    • 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。
    • 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部を征服。
    • 西魏が江陵を陥落させ、梁の元帝を殺害。
    • 管山城の戦いで新羅の真興王が百済の聖王を倒す。
  • 555年 - 北斉の文宣帝が柔然を撃破。西魏に亡命した一派も突厥により殲滅される。
  • 557年
    • 西魏に代わり北周がおこる。
    • 梁に代わりがおこる。
  • 558年 - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥の室点蜜(イステミ)と同盟し、ブハラの戦いでエフタルを滅ぼす。

560年代

570年代

  • 570年 - 福岡県元岡古墳群で出土した「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」の銘文を持つ鉄製大刀が作られる。
  • 572年 - 欽明天皇死去、敏達天皇が即位。
  • 574年 - 北周の武帝の廃仏が始まる(建徳の廃仏、三武一宗の法難の一つ)。
  • 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。

580年代

  • 580年頃 - スラヴ人が北ギリシャに侵入する。
  • 581年 - 中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼしてを建国。「開皇律令」が公布される。
  • 582年 - 隋で都の大興城が整備され、仏教治国策として大興善寺が国寺として置かれる。
  • 583年
    • 突厥が東西に分裂する。
    • 隋の文帝が郡を廃止し、州県制を導入。
    • スラブ人やアヴァール人に追われた避難民によりペロポネソス半島のモネンバシア市が建設される。
  • 584年 - 東ローマ皇帝マウリキオスラヴェンナに総督府を設置。
  • 585年
  • 587年 - 用明天皇死去、蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)、崇峻天皇即位。
  • 588年 - 蘇我馬子の発願による日本最初の本格寺院の法興寺(飛鳥寺)の造営が始まる( - 596年)。
  • 589年
    • 隋が南朝の陳を滅ぼし、南北朝時代が終わり、中国が統一される。
    • 西ゴート国王レカレド1世がカトリックに改宗する。

590年代

600年代

  • 600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない)。

伝説・フィクションのできごと

  • 502年 - 514年 - 梁の武帝は風狂の僧宝誌を尊崇し、その肖像画を描かせるべく三人の画家を遣わした。宝誌が画家たちの前で自らの顔に裂け目を入れ、顔の皮を左右に拡げると、中から十一面観音菩薩の顔が現れた。かくして画家たちが描いた肖像画を見て武帝は再度宝誌を追うが、その姿を二度と見ることはなかった(『宇治拾遺物語』ほか。京都市西住寺の宝誌和尚像も有名)。
  • 502年 - 549年 - 梁の武帝の治世に活躍した画家の張僧繇が金陵安楽寺の壁画に龍を描き、ややあって目を書き入れたところ龍が画中から動き出し瞬く間に天上に駆け上っていった(張彦遠『歴代名画記』「画竜点睛を欠く」の故事)。
  • 564年 - 洛陽が北周軍に包囲された時、敵の策謀を疑い門は閉じられたままだった。救援に来た北斉の将軍高長恭(蘭陵王)が門前で兜を脱ぎ顔を晒したところ、類いまれな美貌を見て門兵が扉を開いた。以後もその美貌が兵卒たちの士気を下げることを恐れ、高長恭は常に異形の仮面をつけて戦い続けた(雅楽蘭陵王」)。

時代の動向

東アジア

大陸

華北を統一していた北朝北魏の政権中枢が前世紀末に南遷し漢化政策を推し進めた結果、モンゴル高原から南下する柔然の侵攻からの国土防衛を担っていた六つの軍事駐屯地、すなわちの軍隊が著しい地位低下に見舞われ不満を募らせた末に反乱を起こす(六鎮の乱)。戦乱の末に北魏は東西に分裂し、懐朔鎮出身の高歓率いる六鎮の主力と山東系の漢人貴族が結びついて北魏皇族を戴く東魏と、武川鎮出身の宇文泰率いる武川鎮軍閥関中に拠って北魏皇族を戴く西魏が成立する。やがて東魏では高氏、西魏では宇文氏が皇位に登り北斉北周が成立する。当初の劣勢を跳ね返した北周が北斉を下して華北を再統一するが、北周政府の実権を掌握したやはり武川鎮軍閥軍閥出身の楊氏(普六茹氏)への禅譲が行われてが成立し、この政権のもとで柔然に代わって北方から圧力をかけてくる突厥に内部離間を誘って東西分裂により弱体化させることに成功するとともに南朝のが征服され、西晋滅亡以来の南北朝統一が成る。

朝鮮半島

日本

日本では古墳時代後期にあたる。ただし、泊瀬部大王(後の崇峻天皇)が暗殺され異母姉の額田部皇女(後の推古天皇)が立てられた崇峻天皇5年(592年)以降、または厩戸王(後の聖徳太子)が摂政になった推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。

  • それまでのヤマト王権の王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前近江に地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏物部氏巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統の手白香皇女を皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川鎮軍閥系の政権によって大陸が華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。
  • 考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での鉄鉱石からの製鉄遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国が弥生時代以来鉄素材の供給源としていた弁韓の後身加羅諸国が新羅に併合されている。
  • 前世紀に九州などで造られ始めていた古墳横穴式石室が全国規模で普及する。
  • この世紀の後期になると畿内では前方後円墳がつくられなくなり、前方後円墳の伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の敏達天皇)の陵墓を最後に以後方墳となる。関東でも群集墳が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央、さらには地方首長の統治下でも仏教の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後氏寺における仏教儀礼が担うようになる。

西アジア

南アジア

東南アジア

ヨーロッパ

人物

地中海世界とヨーロッパ

イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで)

フランク王国

イングランド・アイルランド

西ゴート王国

東ローマ帝国

西アジア

中央アジア

南アジア

東アジア

南朝

  • 蕭衍464年 - 549年) - 南朝梁の初代皇帝(武帝)(在位502年 - 549年)・仏教保護政策により「皇帝菩薩」と称される。
  • 朱异483年 - 549年) - 南朝の梁の政治家・東魏から亡命した将軍侯景を受け入れ反乱を誘発させた。
  • 侯景503年 - 552年) - 北朝東魏から南朝梁へ降った軍人・侯景の乱を起こし建康を占領・梁の武帝を餓死させる。
  • 宝誌418年 - 514年) - 南朝宋から梁の僧侶・神異や予言で知られ「野馬台詩」の作者に擬せられる。
  • 陶弘景456年 - 536年) - 南朝梁の医学者・科学者・梁の武帝の信任が厚く「山中宰相」とも呼ばれる。著作に『真誥』など。
  • 劉勰(466年? - 532年) - 南朝梁の文学評論家。中国で最初の体系的な文芸理論書『文心雕竜』を著す。
  • 周興嗣470年? - 521年) - 南朝斉から梁の官僚・文章家・初学者の漢字習得用テキスト『千字文』の撰者。
  • 慧皎497年 - 554年) - 南朝梁の僧侶・後漢から梁までの中国僧の事跡を集めた『高僧伝』の撰者。
  • 昭明太子501年 - 531年) - 南朝梁の武帝の皇太子・文章家・詩文のアンソロジー『文選』の撰者。
  • 達磨(ボーディダルマ)(? - 528年頃?) - インド出身の僧侶で禅宗の開祖。梁の武帝と交流があったか。
  • 王僧弁(? - 555年) - 南朝梁の将軍・侯景の反乱を鎮圧し元帝を擁立・江陵失陥後は陳霸先と対立し敗死する。
  • 陳霸先503年 - 559年) - 南朝陳の初代皇帝(武帝)(在位557年 - 559年)。王僧弁の残党の反乱に苦慮する。
  • 徐陵507年 - 583年) - 南朝梁から陳の文学者・政治家・梁の太子蕭綱(後の簡文帝)の命で『玉台新詠』を編纂。

北朝

朝鮮

  • 武寧王462年 - 523年) - 百済の第25代国王(在位502年 - 523年)・宋山里古墳群の武寧王陵からは墓誌や副葬品が発見される。
  • 聖王(聖明王)(? - 554年) - 百済の第26代国王(在位523年 - 554年)・日本に仏教を伝える(仏教公伝)・新羅との戦いで戦死。

日本

脚注

注釈
出典
  1. 石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 84ページ

参考文献

関連項目

外部リンク