諏訪之瀬島
提供: miniwiki
諏訪之瀬島 | |
---|---|
座標 |
北緯29度36分41.2秒 東経129度42分11.3秒 |
面積 | 27.66 km² |
海岸線長 | 27.15 km |
最高標高 | 796 m |
最高峰 | 御岳 |
所属諸島 | トカラ列島 |
所属国・地域 | 日本鹿児島県鹿児島郡十島村 |
諏訪之瀬島(すわのせじま)は、鹿児島県のトカラ列島に属する火山島である。人口は71人、世帯数は32世帯(2015年12月31日現在)[1]。十島村では中之島に次いで二番目に大きい島である。
地名(行政区画)としての「諏訪之瀬島」の呼称は鹿児島県鹿児島郡十島村の大字となっており、大字の区域は諏訪之瀬島の全域にわたる。
火山として
火山活動が活発な安山岩質の成層火山である。島の中央部には崩壊カルデラがあり中央火口丘(スコリア丘)の御岳(おたけ)が形成されている。山頂の南西には直径200mの旧火口があり1813年の噴火では大量のスコリアの噴出についで安山岩質の溶岩流が流出し西海岸まで流下した。この噴火で全島民が島外に避難し1883年まで無人島となる。1884年には御岳の火口から東海岸まで溶岩流を流下し現在でも御岳では桜島と同じく日常的に噴火が発生している。安山岩質の火山は通常ブルカノ式噴火を起こすが、諏訪之瀬島では玄武岩の火山に多く見られるストロンボリ式噴火を多く発生することが知られている。
活動記録
地質的には70万年前からの活動が認められている。有史以降は以下を参照。
- 1813年 - 1814年:亜プリニー式噴火・スコリア降下 溶岩流が西海岸まで流下。噴火後1883年まで無人島になる。
- 1877年:噴火
- 1884年 - 1885年:ストロンボリ式噴火・スコリア降下・溶岩流
- 1914年3月21日:噴煙
- 1915年8月 - 9月:噴煙
- 1921年8月8日 - 9日:噴火
- 1922年1月26日 - 1925年:噴火
- 1925年5月13日:ストロンボリ式噴火・スコリア降下・溶岩流
- 1938年3月11日:噴火
- 1940年11月29日:噴火
- 1949年10月:ストロンボリ式噴火&ブルカノ式噴火
- 1950年 - 1954年:ストロンボリ式噴火&ブルカノ式噴火
- 1957年 - 1997年:ストロンボリ式噴火&ブルカノ式噴火
- 1999年1月:噴煙・降灰
- 2000年2月:噴煙・降灰
- 2000年12月:小規模噴火・噴煙・降灰
- 2001年1月 - 2002年12月(不活発時期も含む):ストロンボリ式噴火・噴煙・降灰(御岳火口壁東斜面に形成された火孔より)
- 2004年1月 - :毎月小規模な噴火が継続(2004年2月に新火孔を確認、2008年の年間爆発回数は156回、2009年は216回)。2014年9月の連続的な噴火では、1997年の観測開始以来最高となる噴煙高度2200mを記録した[2]。
- 2016年9月15日23時05分 - : 噴火に関する火山観測報 現象:爆発
教育機関
施設
- 諏訪之瀬島簡易郵便局
アクセス
鹿児島本港南埠頭から十島村営フェリー「フェリーとしま」で連絡する。
島内にはかつてヤマハリゾートが保有し、1997年(平成9年)以降村営に移管されている諏訪之瀬島飛行場が村内唯一の飛行場として存在したが、現在は航空法の定める飛行場ではなく場外離着陸場という位置づけとなっている。
その他
ウェブページの中には、島の名前を「諏訪瀬島」と記載しているものもあるが、正式な表記は「諏訪之瀬島」である。十島村役場や国土地理院など、公的な機関のウェブページにおいて「諏訪瀬島」と表記している例は見当たらない。
脚注・出典
- ↑ 国勢調査でみる地区別人口・世帯数の推移 - 十島村HP 2016年01月13日閲覧。
- ↑ “諏訪之瀬島で噴煙千メートル 被害なし、鹿児島 - 47NEWS(よんななニュース)”. 47NEWS. (2015年7月30日) . 2015閲覧.
関連項目
- 火山の一覧 (日本)
- ヒッピー - かつてヒッピーのコミューンがあり、アメリカ人の詩人ゲーリー・スナイダーが雑誌などで紹介したことから、1960年代末から1970年代にかけて聖地とされ、国内外の多くのヒッピーが訪れた[1]。
外部リンク
- 諏訪之瀬島 - 気象庁
- 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 諏訪之瀬島 (PDF) - 気象庁
- 日本の火山 諏訪之瀬島 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- 諏訪之瀬島防災情報図,火山災害危険区域図 防災科学技術研究所
- 十島村