薩摩郡

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ファイル:Kagoshima Satsuma-gun.png
鹿児島県薩摩郡の位置(緑:さつま町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

薩摩郡(さつまぐん)は、鹿児島県薩摩国)の

人口21,141人、面積303.9km²、人口密度69.6人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、薩摩川内市の大部分(川内川以北かつ湯田町、陽成町、高城町、国分寺町、大小路町以西および城上町・運動公園町・原田町・東大小路町の各一部、祁答院町各町・上甑町各町・里町各町・鹿島町各町を除く)にあたる。

歴史

近世以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[1]。全域が現・薩摩川内市。(33村)
    • 入来郷 - 浦之名村、副田村
    • 樋脇郷 - 倉野村、塔之原村、市比野村、久住村、中村、楠元村
    • 百次郷 - 百次村、田崎村
    • 山田郷 - 山田村
    • 平佐郷 - 平佐村、天辰村
    • 隈之城 - 東手村、西手村、宮里村
    • 高江郷 - 高江村、久見崎村、寄田村
    • 中郷 - 中郷村
    • 東郷 - 田海村、宍野村、南瀬村、山田村、鳥丸村、白浜村、藤川村、斧淵村、船倉村[2]
    • 串木野郷(一部) - 羽島村
    • 山崎郷(一部) - 白男川村[3]、二渡村[3]、泊野村[3]
  • 明治2年(1869年) - 百次郷と山田郷が合併し永利郷となる。樋脇郷の久住村・中村・楠元村が平佐郷へ移管される。
  • 明治3年(1870年) - 中郷が東郷に編入される。
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての薩摩郡が発足。「宮之城郡役所」が管轄。
  • 明治14年(1881年7月28日 - 「隈之城郡役所」の管轄となる。
  • 明治10年代(2町33村)
    • 東手村の一部が分立して向田町となる。
    • 平佐村の一部が分立して白和町となる。

町村制以降の沿革

ファイル:Kagoshima Satsuma-gun 1889.png
1.隈之城村 2.永利村 3.入来村 4.高江村 5.平佐村 6.樋脇村 7.下東郷村 8.上東郷村 11.東水引村・西水引村 12.高城村 21.山崎村 22.宮之城村 23.鶴田村 24.大村 25.佐志村 26.永野村 27.黒木村 28.藺牟田村 31.上甑村・里村 32.下甑村(紫:薩摩川内市 桃:さつま町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に隈之城村永利村入来村高江村平佐村樋脇村下東郷村[東郷のうち中郷村・田海村・白浜村]、上東郷村[東郷のうち斧淵村・船倉村・宍野村・鳥丸村・藤川村・南瀬村・山田村]が発足。ただし、串木野郷1村が日置郡串木野村、山崎郷3村が南伊佐郡山崎村のそれぞれ一部となる。(8村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「隈之城郡役所」が管轄する薩摩郡・高城郡南伊佐郡・甑島郡の区域をもって、改めて薩摩郡が発足[4]。以下の各村が本郡の所属となる。(22村)
  • 明治31年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正9年(1919年7月1日 - 宮之城村が町制施行して宮之城町となる。(1町21村)
  • 大正11年(1922年)4月1日 - 宮之城町の一部(求名)が分立して求名村が発足。(1町22村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和4年(1929年5月20日 - 隈之城村・東水引村・平佐村が合併して川内町が発足。(2町19村)
  • 昭和8年(1933年)7月1日 - 西水引村が改称して水引村となる。
  • 昭和15年(1940年
  • 昭和23年(1948年10月1日 - 入来村が町制施行して入来町となる。(3町17村)
  • 昭和24年(1949年
    • 2月1日 - 大村の一部(北方・南方)が分立して中津川村が発足。(3町18村)
    • 4月1日 - 下甑村の一部(藺牟田)が分立して鹿島村が発足。(3町19村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 水引村が川内市に編入。(3町18村)
  • 昭和27年(1952年12月1日 - 上東郷村が町制施行・改称して東郷町となる。(4町17村)
  • 昭和28年(1953年11月3日 - 山崎村が町制施行して山崎町となる。(5町16村)
  • 昭和29年(1954年
    • 10月15日 - 佐志村が宮之城町に編入。(5町15村)
    • 12月1日 - 求名村・中津川村・永野村が合併して薩摩町が発足。(6町12村)
  • 昭和30年(1955年)4月1日(6町9村)
    • 黒木村・大村・藺牟田村が合併して祁答院町が発足。
    • 宮之城町・山崎町が合併し、改めて宮之城町が発足。
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 永利村・高江村が川内市に編入。(6町7村)
  • 昭和32年(1957年)4月1日 - 下東郷村が分割し、一部(田海の一部[5])が高城村、一部(田海の一部[6])が東郷町、残部(中郷・白浜および田海の残部)が川内市にそれぞれ編入。(6町6村)
  • 昭和35年(1960年1月1日 - 高城村が町制施行して高城町となる。(7町5村)
  • 昭和38年(1963年)4月1日 - 鶴田村が町制施行して鶴田町となる。(8町4村)
  • 昭和40年(1965年4月15日 - 高城町が川内市に編入。(7町4村)
  • 平成16年(2004年10月12日 - 樋脇町・入来町・東郷町・祁答院町・里村・上甑村・下甑村・鹿島村が川内市と合併して薩摩川内市が発足し、郡より離脱。(3町)
  • 平成17年(2005年3月22日 - 宮之城町・鶴田町・薩摩町が合併してさつま町が発足。(1町)

変遷表

脚注

  1. 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  2. 「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
  3. 3.0 3.1 3.2 記載は伊佐郡。
  4. 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、Wikisource-logo.svg 原文
  5. 字五色・宇都川原・枇杷宇都・溝下・枇杷野・石原田・安之木川原・野坂・村友・立花・六地蔵・山下川原・松野・戸川内・川越・時吉・大浦・塩水流・亀割・阿手の木・喜藤田。
  6. 字大中口・井川・賀崎・井川口・大久保・赤崩・寺川内。

参考文献