交詢社
創立者 | 福澤諭吉 |
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団体種類 | 一般財団法人 |
設立 | 2011年7月1日 |
所在地 |
東京都中央区銀座六丁目8番7号 交詢ビルディング9階 |
起源 | 財団法人交詢社 |
主要人物 |
鳥居泰彦(理事長) 清原武彦(副理事長) 福澤武(副理事長) 炭谷太郎(常務理事) 岩沙弘道(理事) 岡田明重(理事) 北里一郎(理事) 小林節(理事) 椎名武雄(理事) 塚本清士郎(理事) 比企龍樹(理事) |
活動内容 |
東京都内での講演会、公開講座等の実施 東京都内での各種文化事業に対する援助 東京都内での施設の管理運営及び貸付 (一般財団法人交詢社定款第4条) |
収入 |
5億3,040万9,134円 (2014年1月1日〜2014年12月31日) (正味財産増減計算書総括表の 経常収益計) |
基本財産 |
1億円 (2014年12月31日) |
会員数 |
2264名 (2008年12月31日) (社員数) |
ウェブサイト | http://www.kojunsha.or.jp/ |
一般財団法人交詢社(こうじゅんしゃ)は、日本の一般財団法人。
概要
1880年(明治13年)に福澤諭吉が提唱し、結成された日本最初の実業家社交クラブである。名称は「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来する。慶應義塾の同窓会メンバーを中心として社則を草案し、林金兵衛が構想に関わり[1]、宇都宮三郎から煉瓦家屋を譲り受け、1880年1月25日に青松寺(東京芝区愛宕下)で交詢社の発会式が行われ、24名が常議員となった(→#発足時の常議員)。
慶應義塾出身者が中心であるが、一般の加入者もあった。大正元年に財団法人化されており、正式名称は財団法人交詢社。入社には社員2名の推薦を必要とし、入社審査を通過する必要がある[2]。
のち法人制度改革により一般財団法人に改組。
活動
政治的運動
自由民権運動が盛り上がった明治時代、憲法制定が課題になると、憲法案を発表した(交詢社憲法、私擬憲法の一つ)。また、第3次桂太郎内閣に対抗する護憲運動の拠点になったことでも知られる(大正政変)。
出版事業
紳士録『日本紳士録』を発行していた。
1889年(明治22年)から隔年で交詢社(1971年以降は交詢社出版局)が編纂しており、各界で活躍する人物を紹介していた。明治期の発刊当初は高額納税者を掲載していた。古来より結びつきが深かった住友銀行と三井銀行が広告を出稿していた。また、天皇、皇后をはじめ秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、寛仁親王家、桂宮家、高円宮家など皇族も収録されている。また、本人の同意があれば経歴だけでなく、系譜、係累、現住所電話番号なども掲載された[3]。2007年4月に刊行された第80版で休刊した[4]。
- 主要な出版物
「日本紳士録」以外のもの。
建築
銀座6丁目にクラブの本拠として交詢ビルディングを所有しており、「交詢社通り」という地名にもなっている。関東大震災で被災した後、1929年(昭和4年)に建てられた歴史的建造物であったが、2004年に建て替えられた。新しいビルは地上10階で、バーニーズ・ニューヨークなどがテナントに入っている。ファサード保存によって以前の建築の一部が保存されている。
発足時の常議員
ギャラリー
- Kojyunsha2.JPG
西側から外観を見る(2016年3月3日撮影)
- Kojyunsha3.JPG
外観の1階周りを見る(2016年3月3日撮影)
- Kojyunsha4.JPG
旧建物の保存部分を見る(2016年3月3日撮影)
脚注
- ↑ 近代日本の中の交詢社「第4回 同窓会から交詢社構想へ」 慶應義塾大学出版会
- ↑ 近代日本の中の交詢社「第1回 明治13年1月25日、発会式」 慶應義塾大学出版会
- ↑ http://www.gyosei.co.jp/home/company/kaisyahoushin_shinshi.html 会社方針>「日本紳士録」に収録の個人情報のお取り扱いについて 株式会社ぎょうせい(2009年12月26日閲覧)
- ↑ http://book.asahi.com/news/OSK200704290022.html asahi.com 出版ニュース 「日本紳士録」無期休刊へ 掲載辞退増で「使命終えた」(2009年12月25日閲覧)