サナア
サナア صنعاء Sana'a | |
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位置 | |
の位置図 | |
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座標 : 東経44度12分24.12秒北緯15.3547度 東経44.2067度 | |
行政 | |
国 | イエメン |
県 | Amanat Al Asimah |
市 | サナア |
地理 | |
面積 | |
市域 | 126 km2 |
標高 | 2,200 m (7,218 ft) |
人口 | |
人口 | (2004年現在) |
市域 | 1,747,627人 |
サナア[1](Sana'a、アラビア語: صنعاء; ṣan‘ā’)は、アラビア半島南西にあるイエメンの首都である。サナア県の中心ではあるが、行政上はサナア県に属さず、Amanat Al-Asemah「アマナット・アル・アシマ」(サナア市)を単独で構成している。サナアは標高約2,300mの高原にあり首都としては世界でも高地にある。市内には粘土で作った煉瓦造りの建物があり、アラブ文化が色濃く残っている。イスラムの都市であり、市内にはムスリム大学やモスクが数多く見受けられる。2008年に完成したサーレハ・モスクは4万人を収容する。サナアの人口は1,747,627人、都市圏人口は2,167,961人(2004年)で世界で最も増加率の高い首都の一つである。サヌアとも表記される。
歴史
世界最古の町のひとつとされ、伝説ではノアの息子・セムによって町が創建されたとされる。エベルの息子のヨクタン(イエメンに入植したと言われる)の子孫・ウザルに因んで、サナアは古くは「アザル」と呼ばれた。現在の地名は南アラビアの言葉で「堅牢な要塞」を意味する。
サバア王国の王都があったとされるマアリブ(今日のマアリブ県)と紅海を結ぶ十字路に位置し重要な町であり続けたヒムヤル王国(紀元前115年頃 - 525年)の最後の王・ズー・ヌワースは都をサナアに移した。アクスム王国では総督府が置かれた。
イスラム教がこの地に入りカリフ制国家の支配下に入ってもサナアは中心都市として揺ぎ無いものがあった。マムルークが1517年にイエメンに侵入するもマムルーク朝はオスマン帝国に滅ぼされると、サナアはその支配下に置かれた。1538年から1635年の第一次支配下ではウィラーヤの中心となり、1872年から1918年のオスマン帝国の第二次支配下でもウィラーヤの都であった。
1918年にイエメン王国が成立すると首都となり、1962年にイマームが放逐されイエメン・アラブ共和国が成立されるとその首都となった。南北イエメンが統一された1990年からは現在のイエメン共和国の首都である。ところが2014年8月から反政府運動が起こり、9月にはフーシがサナアを制圧し、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー大統領を軟禁した[2]。
市民
年 | 人口 |
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1911 | 18,000[3] |
1921 | 25,000[4] |
1931 | 25,000 |
1940 | 80,000 |
1963 | 100,000 |
1965 | 110,000 |
1975 | 134,600[5] |
1981 | 280,000 |
1986 | 427,505 |
1994 | 954,448 |
2001 | 1,590,624 |
2004 | 1,748,000 (Census-Metro[6]) |
2005 | 1,937,451[7] |
ユダヤ人社会
ソロモンの時代からサナアには多くのユダヤ人が暮らし、世界でも最古のディアスポラのひとつを形成してきた。イスラエル建国後はおよそ5万人とされるイエメン・ユダヤ人がイスラエルに移民したが、そのうちの1万人はサナアからである。ユダヤ人がアリー・アブドッラー・サーレハ政権に協力してきたため、反ユダヤ暴動が2004年以降にサアダ県などで頻発し、ユダヤ人はサナアに避難、2010年時点で、サナアには政府の保護下にある70人のユダヤ人がいた。
2015年に勃発したイエメン内戦の影響を受けて、2016年3月、イスラエル当局がサヌアからユダヤ人5人を、ライダからユダヤ人14人を内戦下のイエメンから救出し、イスラエルへと護送したことが、同21日、ユダヤ人機関により発表された。これで、イエメンに残るユダヤ人は約50人となった。[8]
地理
気候
モンスーンの影響を受け、雨量も多い。ケッペンの気候区分では砂漠気候(BWk)に属する。
サナア (標高2250 m)の気候資料 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 19.8(67.6) | 20.2(68.4) | 22.8(73) | 25.5(77.9) | 26.0(78.8) | 27.1(80.8) | 27.7(81.9) | 25.9(78.6) | 23.7(74.7) | 22.0(71.6) | 20.7(69.3) | 19.7(67.5) | 23.43(74.17) |
平均最低気温 °C (°F) | 5.1(41.2) | 8.0(46.4) | 9.7(49.5) | 11.5(52.7) | 13.6(56.5) | 15.8(60.4) | 16.7(62.1) | 16.3(61.3) | 12.4(54.3) | 9.1(48.4) | 6.8(44.2) | 6.2(43.2) | 10.93(51.68) |
降水量 mm (inches) | 0.0(0) | 2.0(0.079) | 9.9(0.39) | 14.7(0.579) | 4.7(0.185) | 17.8(0.701) | 49.9(1.965) | 63.6(2.504) | 24.0(0.945) | 7.5(0.295) | 4.4(0.173) | 0.0(0) | 198.5(7.815) |
出典: National Weather Service |
経済
交通
国営航空イエメニアがあり、サヌア国際空港が主要空港である。鉄道はなく、路線バスとダッパーブとよばれる乗り合いミニバスやタクシーが市民の足である。アデンなど地方都市を結ぶバスもある。
世界遺産
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英名 | Old City of Sana'a | ||
仏名 | Vieille ville de Sana'a | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (4),(5),(6) | ||
登録年 | 1986年 | ||
危機遺産 | 2015年 - | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
サナアの位置 | |||
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サナアの旧市街地は、1986年、世界遺産に登録され、2015年に危機にさらされている世界遺産リストに加えられた[9]。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
姉妹都市
脚注
- ↑ 向後紀代美. “北イエメンの文化地理学的考察 : 装身具を指標として”. お茶の水女子大学. . 2012閲覧.
- ↑ 「安全対策基礎データ」外務省
- ↑ Wavell, p.245.
- ↑ Statesman's Year Book, 1922, p.1367.
- ↑ Hestler, p.56.
- ↑ Aldosari, p.134.
- ↑ Bosworth, p.463.
- ↑ イスラエル、内戦下のイエメンからユダヤ人19人を「救出」 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News - 2016年3月21日
- ↑ Old City of Sana'a
関連項目
外部リンク
- "The Old Walled City of San`a", 113 page book by Ronald Lewcock for Unesco
- "Sana'a – City of lights. The German-French Cultural Project 2007. Weblog"
- Eric Hansen, Sana'a rising, Saudi Aramco World, 2006. Vol. 57 No. 1
- Tim Mackintosh-Smith, The Secret Gardens of Sana'a. Saudi Aramco World, 2006 Vol. 57 No. 1
- Traditional housing in the old quarter of Sanaa in 1972
- ArchNet.org. “Sana'a”. Cambridge, Massachusetts, USA: MIT School of Architecture and Planning. . 2013閲覧.