ディアスポラ
ディアスポラ(ギリシア語: διασπορά、英語: Diaspora, diaspora、ヘブライ語: גלות)とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、パレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人及びそのコミュニティを指す。
概説
ディアスポラは、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指すようになった。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単に Diaspora と書く場合は特にイスラエル・パレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字から diaspora と書く場合は他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味する[1]。
近年では、「アメリカ=メキシコ国境におけるチカーノ(下層移民)の分裂、黒い大西洋、海外の華人、そして欧米の大都市で居住・労働するインド亜大陸出身の知識人」[2] といった多様な文化的枠組みを記述する上でディアスポラという術語が用いられるようになっている。
歴史的経緯
古代地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在する。一般的に周辺住民によるイスラエル民族への弾圧によって成立したといわれることが多いが、実際には(特にヘレニズム期に)人間や物資が地中海世界を自由に往来する中で発達した。フェニキアの植民地であったカルタゴは滅亡(紀元前146年)の後、バアル信仰を捨て、ユダヤ教への改宗が進んだ。古代世界最大のユダヤ人コミュニティはエジプトの大都市アレクサンドリアにあり、ローマ属州時代に存在したものである。ユダヤ人の本国フェニキアでもユダヤ教への改宗は進み、それがキリスト教(正教会)普及への流れを産んだ。
ユダヤ人は多くの都市において自治組織(qehilla)を持ち、独自の宗教・文化を守って暮らしていた。古代以来、地中海世界でユダヤ人はギリシャ人と商業面で競合することが多く、迫害されることもあった。また、ローマ帝国においては、兵役に就かず、唯一神以外礼拝しないユダヤ人は特異な存在と見なされることが多かった。 離散したユダヤ系の人々は追放を受けるなどとされていた。また土地が与えられずに迫害を受けることがあった。
キリスト教との関係
初期キリスト教は各都市のディアスポラのシナゴーグを拠点としてローマ帝国内に広まっていった。初期キリスト教徒はユダヤ教の会堂において礼拝を行うことが一般的であり、当時におけるディアスポラの存在意義は大きい。
博物館
ユダヤ人のディアスポラの歴史をわかりやすく展示したディアスポラ博物館が、テルアビブ大学の構内に設置されている。
脚注
- ↑ Diaspora, Merriam-Webster
- ↑ ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力 – ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』平凡社、2008年、p.17.
関連項目
外部リンク
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