長崎電気軌道
長崎電気軌道株式会社(ながさきでんききどう)は、長崎市内で路面電車路線を営業する軌道事業者。
通称は電鉄、長崎電鉄、路面電車、露電。地元住民の間では電車という名称もよく使われている(JRを「JR」「列車」「汽車」などと呼び区別している)。同社が過去に「長崎電鉄」や「長崎電気鉄道」という社名を採用していたことはないが、電話帳にも「長崎電気軌道」以外に「長崎電鉄」という表記で記載されている。なお資料によっては長崎電軌という略称を用いているものもあるが、あまり一般的ではない。公式サイトのURLは www.naga-den.com だが、「長電」と呼ばれることはほとんどない。
1914年(大正3年)8月2日設立。1915年(大正4年)11月16日、病院下(現在の大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業し[1]、現在、5路線4系統を営業する。戦後の一時期はバス事業も行っていたが、経営不振などから1971年(昭和46年)に長崎自動車(長崎バス)に事業を譲渡し、撤退している[2]。
Contents
歴史
大正
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)6月4日:大浦町仮終点 - 出雲町(石橋)間開通[1]。
- 1919年(大正8年)12月25日:長崎駅前 - 桜町(現在の桜橋付近)間開通[1]。電車の開通で人力車の廃業続出。
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)3月24日:馬町車庫が完成[6]。
- 1923年(大正12年)10月27日 - 長崎港内連絡船の新設を計画[6]。
- 1925年(大正14年)
昭和(戦前)
- 1927年(昭和2年)
- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)12月25日:下の川 - 大橋間開通[12]。
- 長崎市立商業学校(現在の長崎市立長崎商業高等学校)がこの時、油木地区(現在の長崎県立体育館付近)に移転したことから、油木方面への通学上の便利を図ることが開通の目的の一つであった[13]。
- 1934年(昭和9年)
- 1937年(昭和12年)5月24日:茂里町車庫が廃止[12]。
- 1940年(昭和15年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)8月9日:原爆投下により、全線不通、車両16両焼失、職員120人死亡[15]。
昭和(戦後)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)5月18日:運賃改定[15]。5円に値上げ(+2円50銭)[5]。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)9月1日:運賃改定[16][5]。8円に値上げ(+2円)[5]。
- 1952年(昭和27年)6月16日:運賃改定[16][5]。10円に値上げ(+2円)[5]。
- 1953年(昭和28年)
- 1955年(昭和30年)3月1日:貸切バス事業に参入[16]。
- 1960年(昭和35年)5月8日:住吉 - 赤迫間開通[19]。
- 1961年(昭和36年)11月1日:運賃改定[19][5]。15円に値上げ(+2円)[5]。子供運賃を設定(10円)[5]。
- 1962年(昭和37年)7月8日:363号車が無人暴走し、新大工町で365号車と衝突[19]。12人が死傷[20]。車両は大破し、日本車輌に回送修理後復帰した[20]。
- 1964年(昭和39年)9月4日:371号が日本最初の車体全面広告車(カラー電車)として運行を開始[21]。スポンサーはカネボウ化粧品[21]。
- 1965年(昭和40年)6月1日:運賃改定[19][5]。20円に値上げ(+5円)[5]。子供は据え置き[5]。
- 1967年(昭和42年)9月21日:蛍茶屋支線の蛍茶屋 - 諏訪神社前間に限り、普通自動車の軌道敷内通行が認められる [22]。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)5月1日:運賃改定[5]。25円に値上げ(+5円)[5]。子供15円(+5円)に値上げ[5]。
- 1971年(昭和46年)3月1日:バス事業を長崎自動車に譲渡。
- 1973年(昭和48年)4月9日:運賃改定[5]。大人30円(+5円)に値上げ[5]。子供20円(+5円)に値上げ[5]。
- 1974年(昭和49年)10月17日:運賃改定[23]。大人40円(+10円)に値上げ[23]。子供は据え置き[23]。
- 1975年(昭和50年)4月17日:運賃改定[23]。大人50円(+10円)に値上げ[23]。子供30円(+10円)に値上げ[23]。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)8月16日:電車全車両ワンマン化完了。
- 1979年(昭和54年)6月1日:運賃改定[23]。大人70円に値上げ(+10円)[23]、子供40円に値上げ(+10円)[23]。
- 1980年(昭和55年)8月:軽快電車2000形を導入。
- 1981年(昭和56年)9月1日:運賃改定。大人80円に値上げ(+10円)、子供はそのまま40円。
- 1982年(昭和57年)7月23日:長崎大水害により、同日夜から同年7月25日までの間全線運休[24]。
- 1983年(昭和58年)8月4日:運賃改定。大人90円に値上げ(+10円)[23]、子供50円に値上げ(+10円)[23]。
- 1984年(昭和59年)6月1日:運賃改定。大人100円に値上げ(+10円)[23]、子供は据え置き[23]。
- 1987年(昭和62年)4月6日:電鉄原爆殉職者の碑除幕式を挙行[25]。長崎電気軌道OBが松山町の爆心地公園(平和公園交番そば)に碑を建立。
平成
- 1989年(平成1年)3月29日:道路拡幅に伴う蛍茶屋支線伊勢町(諏訪神社前)- 新中川町の軌道移設、およびセンターポール化工事完了[26]。当該区間を含む全線で普通自動車の軌道敷内通行が禁止となる[22][27][26]。
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)6月22日:ビール電車運行を開始(夏季のみ)[31][30]。
- 1998年(平成10年)5月7日:昭和町通停留場を一時休止し、千歳町停留場を設置。昭和町通停留場は7月1日に赤迫方面のみ再開[30]。
- 1999年(平成11年)8月31日:赤迫 - 石橋線(7号系統)廃止[32]。
- 2004年(平成15年):長崎電気軌道初の超低床電車3000形営業運転開始[33][34]。専用ダイヤを設ける[35]。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)5月7日:本社にあった路面電車資料館を移転して長崎西洋館内に路面電車資料館を開館[39]。
- 2011年(平成23年)2月15日:超低床電車5000形営業運転開始[36]。
- 2012年(平成24年)11月:譲渡車等を除く68両にドライブレコーダーを設置[40]。
- 2013年(平成25年)4月1日:一日乗車券の購入も可能なスマートフォン向けアプリ、「長電アプリ」を開発[41][42]。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
経営体制
長崎市は狭隘な谷間に線状に市街地が形成され、面的広がりを持たない。これは、公共交通機関を運営するにあたり集客の面で有利な条件である。また、均一制運賃の採用、車両や線路の敷石などを他の企業から譲り受け、カラー電車、電車内の広告などの宣伝料により黒字経営を実現している。
長崎市北部、滑石方面への延伸計画があるが、勾配、道路幅の制約、建設費といった問題があり、進展していない。2008年12月には長崎駅付近の連続立体交差化事業により、高架駅となる長崎駅下へ路面電車を延伸する構想を出していたが[51]、2012年10月にこの構想は廃止されることになった[52]。旭大橋の架け替えを条件に、浦上川対岸の稲佐・飽の浦方面へ延伸する構想も出している[51]。
また、国や長崎県・長崎市による松が枝国際観光船埠頭の拡張整備に伴い、大浦海岸通から松が枝方面への延伸及び車庫の新設と単線区間になっている大浦海岸通 - 石橋間の複線化を行う計画が出されている[53][54]。この計画の実現によって、赤迫 - 公会堂前 - 大浦海岸通 - 石橋(松が枝)のルートを走る路面電車の直通運行を検討している[55][56]。
運賃は1984年(昭和59年)6月1日にそれまでの1乗車90円から100円(子供は50円)に改定して以降、25年にわたり値上げを行わなかった。1989年の消費税導入、1997年の同税率引き上げの際も、「10円の値上げは便乗値上げになる」として消費税は転嫁されず、100円のまま据え置かれた。2008年に今後のバリアフリー対応や運行情報管理システムなどの導入といった設備投資や安全対策で経費の増大が見込まれるため、2009年度以降運賃を値上げする方針であることが明らかにされ[57][58]、2009年8月3日に同年10月1日より運賃を1乗車120円(子供60円)に値上げすることを決定し、九州運輸局に認可申請をして[59]、同年8月31日に認可された。そして、同年10月1日より25年ぶりに運賃を値上げし、120円とした。120円に値上げされた後も2014年4月に消費税率の引き上げが実施されたが、消費税は転嫁されずに120円のまま据え置かれている。
11枚綴り1000円の回数券を発行していたが、2008年3月20日より長崎スマートカードでも回数券利用が可能となり[36]、2008年12月にツーマン車(150形・160形)を除いた全車両で使用可能となったため、回数券は2008年12月31日に発売を終了した。2009年9月30日まで使用可能で、それ以降は2009年12月31日まで払い戻しが行われていた。また、長崎スマートカード導入とともに運賃箱が自動両替機付きのものに更新されていて、薬袋のような両替袋と手動運賃箱もツーマン車を除いて姿を消した。ただし、イベント等で混雑する場合は、係員が手動運賃箱と長崎スマートカードのカードリーダーを持って停留場に立つ。新地中華街停留場では乗り継ぎ券も発行する。 長崎スマートカードの全車両対応により2009年1月1日より新地中華街停留場で貰える乗り継ぎ券は、現金・回数券利用者のみとなり、スマートカード利用者は自動的に乗りつぎ後の乗車が無料になるよう設定されている(ただし、30分以内の時間制限あり)。乗り継ぎ券使用時は、新地中華街停留場から外に出ると無効になる。2009年1月10日より長崎電気軌道でも定期券タイプの長崎スマートカードが発売されている[36]。 また、沿線に観光名所が多いことから、1977年(昭和52年)8月より一日乗車券を販売している(500円)[60][23]。観光案内所や、提携先のホテル等で購入が可能であるが、車内では購入できない[61]。2008年からは九州旅客鉄道(JR九州)が発行する「旅名人の九州満喫きっぷ」でも全線利用できる[62]。さらに2013年4月からはスマートフォンを利用した「モバイル一日乗車券」の販売を[42]、2018年2月からは購入時より24時間有効の「モバイル24時間乗車券」の販売を開始した[63]。
2007年7月2日、九州運輸局から2006年に起こした3件の追突・接触事故を報告しなかったとして、安全管理などの改善を求める行政指導を受けた。事故の中には、運転士が骨折する事故もあったが、会社は「軽微な事故と認識していた」という[64]。
運行
2018年現在、下記の5系統が運行されている[63]。停車場所は路面電車の乗降場なので「停留場」という名称となる[65]が、路線図には「電停」という表記も見られる[65]。
- ■1号系統(青)
- 赤迫 - 住吉 - 浦上車庫 - 長崎駅前 - 新地中華街 - 西浜町 - 崇福寺[63](約5分間隔[63])
- □2号系統(白)
- 赤迫 - 住吉 - 浦上車庫 - 長崎駅前 - 新地中華街 - 西浜町 - 市民会館 - 蛍茶屋[63]
- ■3号系統(赤)
- 赤迫 - 住吉 - 浦上車庫 - 長崎駅前 - 桜町 - 市民会館 - 蛍茶屋[63](約6分間隔[63])
- ■4号系統(黄)
- 蛍茶屋 - 市民会館 - 浜町アーケード - 崇福寺[63](約13分間隔[63])
- ■5号系統(緑)
- 蛍茶屋 - 市民会館 - 浜町アーケード - 新地中華街 - 石橋[63](約8分間隔[63])
- 2号系統は深夜往復1便ずつ運行しているのみ[63]で、路線図などには表示されていないが、越年運転時には深夜に約8分間隔で運行されるほか、精霊流しなどのイベント時、あるいは何らかの事情で3号系統が運休となった時に振り替えて運行されることがある。最近の事例では低床車両3000形が導入された2005年に、3000形専用ダイヤの中に一時的に組み込まれていたほか(同形増備に伴い廃止された)、2007年5月に公会堂前で発生した3号系統の脱線事故の影響で、5月24日 - 7月18日まで2号系統の赤迫行きが代替として終日運行され(蛍茶屋行きは3号系統で通常運行)、2015年10月11日に公会堂前で脱線事故が発生した際にも同年10月14日から2016年5月22日まで(深夜1往復以外にも)2号系統が運行されていた[66][67]。
- 以前は朝ラッシュの時間帯などに本数が少ないものの赤迫 - (大波止)- <築町折り返し> - 石橋(7号系統)も運行されていたが、1999年8月31日をもって廃止となっている[32]。このため現在赤迫 - 石橋へ行くためには新地中華街での乗り換えが必要となる。
- このほか、出入庫系統として、浦上車庫 - 赤迫(通称Z系統)の運行や、イベント時や繁忙期などの臨時便として赤迫、浦上車庫 - 新地中華街(7系統)の運行もある[68]。
- 1990年8月3日から11月4日まで、長崎旅博覧会に合わせて、浦上車庫前 - 長崎駅前 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 大浦海岸通間に『「旅博」シャトル電車』が運行された[69][30]。大浦海岸通には大浦天主堂下方に折り返し運転のための渡り線が設置され、公会堂前の長崎駅前から賑橋への分岐が初めて定期的に使用された。
- 2000年10月16日から29日まで、長崎市の要請により環状線の試験運行が実施された[69]。長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 長崎駅前のルートで内環状と外環状が運行されたが、利用者がそれほど多くなく、定常化には至らなかった。
- おもに1・3号系統を西町営業所が、4・5号系統を蛍茶屋営業所が担当する[70]。
- 操車(運行指示)は、赤迫・浦上車庫・蛍茶屋の配車室で行う[71]。
路線
下記の5路線計11.5kmを有している[72]。全線軌間1435mm、直流電化 (600V)[73]。
- 赤迫支線
- 赤迫 - 住吉間 0.4km(全線複線)
- 1・2・3号系統が走っている。全列車が本線に直通し、赤迫支線のみの運行はない。
- 本線
- 住吉 - 崇福寺間 6.9km(全線複線)
- 停留場
- 住吉 - 昭和町通(赤迫行きのみ停車) - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学 - 岩屋橋 - 浦上車庫 - 大橋 - 平和公園 - 原爆資料館 - 大学病院 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 五島町 - 大波止 - 出島 - 新地中華街 - 西浜町 - 観光通り - 思案橋 - 崇福寺
- 1・2・3号系統が走る長崎電気軌道の主要路線(4・5号系統も途中のごく一部区間のみだが走っている)。
- 本線・赤迫支線の運行経路は路線バスと競合しているが、定時制や運賃の面で電車が有利なことから、赤迫・住吉等の電停で市内北部や長与・時津などの郊外からのバス通勤・通学客が電車に乗り換えるケースが多い[61][74][注 4]。
- 2005年(平成17年)6月から長崎自動車が大学病院線を運行の際、大橋停留場に横付けするような形でバスを運行している[75]。
- 岩屋橋 - 原爆資料館間は新設軌道(専用軌道)で、JR長崎本線の高架と並走している[76]。長崎本線が高架化される前は同線と路面電車との共用踏切があった。現在も路面電車には数ヶ所踏切があるが全て遮断機が設置されていない。
- 1944年1月に戦争時の急行運転を開始する前は現在よりもっと停留場の数が多く、山王神社前停留場(現在の大学病院 - 浦上駅前間)、本社前停留場(現在の茂里町 - 銭座町間)などが存在した。詳しくは下のおもな廃止停留場を参照。
- 築町停留場(現:新地中華街)開業前は、現在の出島 - 新地中華街間に千馬町停留場が存在し、大浦方面への乗り換え停留場となっていた[77]。
- 桜町支線
- 長崎駅前 - 市民会館間 0.9km(全線複線)
- 大浦支線
- 新地中華街 - 石橋間 1.1km(大浦海岸通 - 石橋間単線(単線自動閉塞式))
- 通常は5号系統のみが走る。
- 大波止・長崎駅前・住吉・思案橋方面には直接行けないため、新地中華街停留場で1号系統と5号系統の相互乗り換えが可能になっている[79]。この際、乗り継ぎ券を発行することにより2便あわせて運賃120円での利用が可能(大浦方面と長崎駅前方面との乗り継ぎの場合のみ長崎スマートカードでの利用すると、30分以内であれば2乗車目の運賃が差し引かれない)。
- この乗り継ぎ券は2008年1月1日より長崎スマートカード導入に伴う運賃自動読み取り機導入に合わせて、一回り小さなサイズに変更されている。
- 以前は築町停留場(現:新地中華街)と市民病院前停留場(現:メディカルセンター)の間に入江町停留場が存在したが、1990年6月11日に廃止されている。
- 蛍茶屋支線
- 西浜町 - 蛍茶屋間 2.2km(全線複線)
停留場番号
停留場の番号は、1984年5月30日に宝町(下り)と大波止(上り)に試験的に設置された停留場名表示板に初めて表示された。その後、9月から10月にかけて長崎駅前や築町には上り下りとも番号入りの表示板が設置されたほか、他の主要停留場にも下りまたは上りに設置され、その後、順次設置が進められた[82]。これに伴い、一日乗車券も1984年8月から発売されたものには、路線案内図の各停留場名に番号が印刷されるようになった。なお、安全地帯の端部に設置されている行燈式の停留場標識には、1987年に番号を表示している。さらに2012年には、各停留場名表示板や行燈標識等の番号は、新たに運転系統別に色分けしたリングで囲んだものに変更されている。
赤迫停留場から順に11番から通しで全停留場(昭和町通停留場を除く)に振ってある。なお、停留場廃止により欠番が生じた場合でも番号は詰めない。詳しくは各系統の記事を参照。
おもな廃止停留場
- 岡町…大橋 - 松山町間[83]
- 下の川橋…松山町 - 浜口町間[83]
- 浦上…浜口町 - 病院下間(旧線区間)[83]
- 病院下…浦上 - 坂本町間(旧線区間)[83]
- 坂本町…病院下 - 浦上駅前間(旧線区間)[83]
- 岩川町…大学病院前 - 浦上駅前間[83]
- 竹の久保通…現在の茂里町停留場付近(竹の久保通を改称して茂里町に)[83]
- 本社前…竹の久保通 - 井樋の口間(旧線区間)[83]
- 井樋の口…現在の銭座町停留場付近(井樋の口を改称して銭座町に)[83]
- 稲佐橋通…現在の宝町停留場付近[83]
- 寿橋…稲佐橋通 - 八千代町間(旧線区間)[83]
- 旧・八千代町…現在の八千代町停留場付近(旧線区間)[83]
- 千馬町…出島 - 築町間[84]
- 恵美須町…長崎駅前 - 豊後町間(旧線区間)[84]
- 豊後町…現在の桜町停留場付近(旧線区間)[84]
- 旧・桜町…現在の桜橋付近(旧線区間)[84]
- 古町…公会堂前 - 諏訪神社前間[84]
- 馬町…現在の諏訪神社前停留場付近[84]
- 桜馬場町…新大工町 - 新中川町間[84]
- 中川町…新中川町 - 蛍茶屋間[84]
- 酒屋町…賑橋 - 公会堂前間[84]
- 入江町…築町 - 市民病院前間 [84](イオン長崎店前/長崎バス長崎新地ターミナル付近)
- 出師橋…千馬町 - 大浦海岸通間(旧線区間)[84]
2018年8月の停留場名変更
2018年8月1日に、以下の13停留場の名称が変更された[85][63]。
- 「○○前」「○○下」を施設名のみにして最寄り施設を明確にする。
- 長崎大学前→長崎大学
- 浦上車庫前→浦上車庫
- 大学病院前→大学病院
- 諏訪神社前→諏訪神社
- 大浦天主堂下→大浦天主堂
- 運行系統によって乗り場が離れている停留場の一部を改称し、それぞれ別停留場とする。
- 西浜町(アーケード入口)→浜町アーケード
- 変更されるのは蛍茶屋よりの4・5号系統の停留場で、新地中華街寄りにある1・5号系統の停留場は西浜町のまま変更しない。
- 西浜町(アーケード入口)→浜町アーケード
- 現況と乖離した停留場名を現況に合わせて改称。
- 市民病院前→メディカルセンター
- 公会堂前→市民会館
- 新市庁舎完成時に市役所(仮称)へ再度変更する予定。
- 沿線の観光施設などを停留場名にして利便性向上を図る。
- 松山町→平和公園
- 浜口町→原爆資料館
- 築町→新地中華街
- 正覚寺下→崇福寺
- 賑橋→めがね橋
事業所等
- 本社 - 長崎市大橋町4-5[86]
- 西町営業所を併設[86]。
- 浦上車庫 - 長崎市大橋町4-11[86]
- 遠方制御室などを併設[86]。
- 蛍茶屋営業所 - 長崎市中川2丁目14-26[86]
- 自社ビル(NEビル)内に所在、他に賃貸住宅やテナントも入居[86]。
- 赤迫配車室 - 長崎市中園町21-21[86]
- 西浜町臨時発売所 - 西浜町(1・5号系統)停留場付近の歩道上
- 西町変電所 - 長崎市大橋町4-11[86]
- 松山町変電所 - 長崎市松山町4[86]
- 御船蔵変電所 - 長崎市御船蔵町3-3[86]
- 賑町変電所 - 長崎市賑町7-6[87]
このほか長崎県、静岡県内に月極有料駐車場、貸しビルなどを所有する[86][88][89]。
車両
現有車両
2018年4月1日時点で超低床車5両、花電車1両を含む75両が在籍している[63]。括弧内の数字は在籍車両の車番を示す。
- 87形(2代目・202形204改造の電動貨車):1両(87)[63]
- 150形(元箱根登山鉄道小田原市内線モハ20形):1両(151)[63]
- 160形(元西鉄福岡市内線100形):1両(168)[63]
- 201形 :4両(201・203・207・209)[63]
- 202形 :3両(202・208・210)[63]
- 211形 :6両(211 - 216)[63]
- 300形 :10両(300 - 310)[63]
- 360形 :7両(361 - 367)[63]
- 370形 :7両(371 - 377)[63]
- 500形 :5両(502 - 506)[63]
- 600形(元熊本市電170形):1両(601)[63]
- 700形(元都電2000形):1両(701)[63]
- 1050形(元仙台市電モハ100形):1両(1051)[63]
- 1200形:1両(1201)[63]
- 1200A形:4両(1202 - 1205)[63]
- 1300形:5両(1301 - 1305)[63]
- 1500形:6両(1501 - 1506)[63]
- 1500A形:1両(1507)[63]
- 1700形 :2両(1701・1702)[63]
- 1800形 :3両(1801 - 1803)[63]
- 3000形 :3両(3001 - 3003)[63]
- 5000形 :2両(5001 - 5002)[63]
過去の車両
- 1形:1 - 10[90]
- 11形:11 - 12[90]
- 13形:13 - 19[90]
- 20形:20 - 39[91]
- 40形:40 - 61[91]
- 62形:62 - 63[92]
- 120形:121 - 130(元大阪市電)[92]
- 80形:81 - 85(元京都市電広軌1形)[92]
- 130形:131 - 134(元阪急北野線)[93][94]
- 散水車:101[95]
- 運搬車:102 - 103[96]
- 運搬車:101(3代目)[96]
- 110形 (元西鉄大牟田市内線):111 - 120[94]
- 有明形(各二代目、元西鉄福岡市内線):1・62・121・134[97]
- 170形 (元西鉄福岡市内線100形):171 - 177[98]
- 800形(元都電3000形):801・802[99]
- 87形(初代・元西鉄福岡市内線花電車等):87・88[96]
- 2000形(1980年製の軽快電車):2001・2002[100]
その他、長崎市内に800形の部品を利用した飲食店がある(廃車体そのものの移設ではない)。
旅客車両数の変遷(1982年度以降)
年度 | 150形 | 160形 | 201形 | 202形 | 211形 | 300形 | 360形 | 370形 | 500形 | 600形 | 700形 | 800形 | 1050形 | 1200形 | 1300形 | 2000形 | 1500形 | 1700形 | 1800形 | 3000形 | 5000形 | 合計(冷房車) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 5 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 2 | 6 | 2 | 5 | 2 | 69(3) | |||||||
1983 | 4 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 2 | 6 | 5 | 5 | 2 | 71(8) | |||||||
1984 | 4 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 2 | 6 | 5 | 5 | 2 | 71(20) | |||||||
1985 | 4 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 2 | 6 | 5 | 5 | 2 | 71(35) | |||||||
1986 | 2 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 2 | 6 | 5 | 5 | 2 | 69(43) | |||||||
1987 | 2 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 2 | 6 | 5 | 5 | 2 | 69(44) | |||||||
1988 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 6 | 5 | 5 | 2 | 2 | 69(51) | ||||||
1989 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 6 | 5 | 5 | 4 | 2 | 71(57) | ||||||
1990 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 6 | 5 | 5 | 5 | 2 | 72(58) | ||||||
1991- 1993 |
1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 6 | 3 | 5 | 5 | 2 | 70(58) | ||||||
1994 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 5 | 2 | 5 | 5 | 2 | 2 | 70(60) | |||||
1995 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 4 | 2 | 5 | 5 | 2 | 3 | 70(61) | |||||
1996 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 3 | 2 | 5 | 5 | 2 | 5 | 71(63) | |||||
1997 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 3 | 2 | 5 | 5 | 2 | 6 | 72(64) | |||||
1998 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 3 | 2 | 5 | 5 | 2 | 7 | 73(65) | |||||
1999 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 2 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 73(67) | ||||
2000 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 2 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 73(67) | ||||
2001 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 2 | 74(69) | |||
2002 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 3 | 75(70) | |||
2003 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 3 | 75(70) | |||
2004 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 3 | 1 | 76(71) | ||
2005 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 3 | 2 | 77(72) | ||
2006- 2009 |
1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 2 | 7 | 2 | 3 | 3 | 78(73) | ||
2010 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 1 | 7 | 2 | 3 | 3 | 77(72) | ||
2011 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 1 | 7 | 2 | 3 | 3 | 1 | 78(73) | |
2012 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 1 | 7 | 2 | 3 | 3 | 2 | 79(74) | |
2013 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 10 | 7 | 7 | 6 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 1 | 7 | 2 | 3 | 3 | 2 | 79(74) | |
2014 | 1 | 1 | 4 | 4 | 6 | 10 | 7 | 7 | 5 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 7 | 2 | 3 | 3 | 2 | 75(70) | ||
2015- 2018 |
1 | 1 | 4 | 3 | 6 | 10 | 7 | 7 | 5 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 7 | 2 | 3 | 3 | 2 | 74(69) |
- 事業用車を除く
- 82・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
- 『私鉄車両編成表』各年版(ジェー・アール・アール編)、長崎電気軌道『会社概要』各年版より作成。
車両製作部
かつては電車の製作をおこない、他の軌道会社にも納入していた。
自社用に1916年から1924年まで53両 (11-63) が製造された。他の軌道会社には1917年に富山電気軌道13・14(竣工図では丹羽電気製作所)、四国水力電気13-16、土佐電気鉄道48-52(竣工図では丹羽電気製作所)、1923年筑後軌道45-47を製作している。他に九州電灯鉄道6両、九州水力電気17両(西鉄福岡市内線)の改造工事をしている[101]。
日本初・日本一
- 日本初の車体全面広告(カラー電車。1964年)[102]
- 日本初の商業ビル内を走る路面電車(原爆資料館 - 平和公園間の長崎西洋館)[29]
- 路面電車としては日本一安い運賃(一律120円)
- 現役営業車両としては日本最古かつ唯一の木造ボギー電車(160形168号 明治44年製)[97]
公式キャラクター「ながにゃん」
2015年(平成27年)に長崎電気軌道の創業100周年を記念して作られた公式キャラクターで、長崎の尾曲がり猫をモチーフとした[103]猫の姿であるが、設定上は性別不明の妖精である[104]。頭には電車を模したマスクを被り、肩からは路面電車グッズとカステラの入った電車形のバッグを提げ、お腹には出島形のポケットがついている[104]。性格はいたずら好きでやんちゃだが、頭のマスクには思ったことが表示されてしまう方向幕がついていることから、嘘をつくのは苦手ということになっている[104]。なお、同年8月に初めて披露された花電車87号(2代目)の塗装は、本キャラクターがモチーフとなっている[103]。
カラー電車(車体広告)
1964年(昭和39年)、車体全体に商業広告を施した全面広告車(カラー電車)を日本の路面電車として初めて実施した[21]。発案者によると、西日本鉄道の大牟田線・福岡市内線等を走行していたキャッチフレーズ入り電車が着想のヒントになったという[105]。最初のスポンサーはカネボウ化粧品で、同年9月より3両が運行を開始した[21]。現在でも、地元企業から全国的に有名な企業のものまで数多くの企業がスポンサーをつとめている[21]。契約は一か月単位で、それとは別に最低契約期間が車種によって定められている[106]。
2004年度から2008年度までは、長崎電気軌道が主催となり「長崎の街に似合うカラー電車コンテスト」が行われていた[21]。カラー電車のデザイン性向上と企業・利用者への認知度上昇を目的として、人気投票と社内審査で、「カラー電車大賞」、「デザイン賞」などを選定した[21]。
なお、長崎の景観に配慮して、全在籍車両の40%を超えないように調整されている。
系統板
現在は方向幕に行先・系統番号を表示し、色も系統に合わせたものになっているが、1984年までは軽快電車2000形および、当時最新鋭の1200形を除いて、系統板を車両前方に掲げていた。1984年から1988年にかけて200形、211形、300形の冷房化改造に合わせて方向幕が自動化されたことに伴い系統板を廃止、360形は1986年、370形は1989年に方向幕を自動化、500形は1989年の冷房化と同時または翌年に方向幕を自動化して系統板を廃止した。非冷房の150形、160形、600形、700形、1050形は方向幕の自動化は行われず、系統板を使用している。
系統板は系統に割り振られた色をバックに番号が書かれている(1号系統はバックが白で数字が紺色)。
バス事業
1953年(昭和28年)から1971年(昭和46年)までの18年間、電鉄バスや長崎電軌バスの名称でバス事業を行っていた[2]。
長崎電気軌道は1932年1月に長崎 - 諫早間の乗合自動車運輸営業願書を、翌年には長崎市内の同願書を提出したが、長崎県営バス(長崎県交通局)が1934年3月に開業したことから、諫早線の願書を取り下げた。1936年4月には長崎バス(長崎自動車)も開業したが、それでも1950年頃まで長崎市内唯一の交通機関は路面電車であった[2]。 しかし、戦後の経済復興によりライバル会社による市内のバス運行が急激に拡充されていったことから、軌道事業防御の目的で再び乗合バスの免許を申請[2]。1953年4月1日より蛍茶屋 - 住吉間の電車路線と並行する形で市内線バスの営業を開始した[2]。都市計画による道路新設拡幅にともない路線は延長され、1955年3月1日からは一般貸切バスを、1963年9月16日からは定期観光バスも営業を開始した[2]。しかし、バス事業参入時点で競合他社に有望な路線を押さえられていたことから輸送量は伸び悩み、バス事業の赤字を軌道事業の黒字で補填する状態であった[2]。さらに、モータリゼーションの進展や人件費等の高騰により、バス事業のみならず本業の軌道事業の経営も悪化した[2]。長崎電気軌道の経営陣は、今後、運賃値上げや合理化等の経営努力をもってしてもバス事業の経営好転は望めないと判断[2]。1971年3月1日にバス事業を長崎バスに完全譲渡し、軌道事業に一本化した[2]。
このような状況に陥ったバス事業兼営の路面電車事業者は路面電車を廃止してバスに一本化したケースが多く、バスを廃止して路面電車に一本化したケースは全国でも珍しいが、これはバス路線が長崎バスや県営バスと競合する区間が多かったことなどがあげられる。
石原裕次郎主演の映画『若い人』では、この会社のバスが登場している。
路線
バス事業末期の路線。番号と運行系統。
- 3…大橋 - 西城山小入口 - 中央橋
- 4…大橋 - 県営住宅前 - 中央橋
- 5…大橋 - 若草町 - 中央橋
- 16…大橋 - 大学病院前 - 中央橋
- 39…昭和町 - 市役所前 - 中央橋
- 25…西町 - 桜町 - 蛍茶屋
- 105…西町 - 大波止 - 中央橋
- 106…葉山 - 大波止 - 中央橋
- 42…西町 - 市役所前 - 中央橋
- 48…葉山 - 市役所前 - 中央橋
- 31…蛍茶屋 - 市役所前 - 西町
- 87…中央橋 - 市役所前 - 寺川内
- 86…中央橋 - 滑石団地内 - 寺川内
- 34…江平中学校前 - 大学病院前 - 長崎駅前
- 97…江平中学校前 - 大学病院前 - 正覚寺下
- 98…江平中学校前 - 大学病院前 - 中央橋
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 50年史, p. 354.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 20年の歩み, p. 12.
- ↑ 50年史, p. 23.
- ↑ 50年史, p. 24.
- ↑ 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 5.19 5.20 5.21 5.22 5.23 5.24 5.25 5.26 5.27 5.28 5.29 5.30 5.31 5.32 5.33 5.34 5.35 5.36 5.37 5.38 100年史, p. 78.
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 50年史, p. 355.
- ↑ 50年史, p. 172.
- ↑ 50年史, p. 26.
- ↑ 50年史, p. 177.
- ↑ 50年史, p. 34.
- ↑ 50年史, p. 179.
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 12.7 50年史, p. 356.
- ↑ 50年史, p. 39.
- ↑ 14.0 14.1 50年史, p. 47.
- ↑ 15.00 15.01 15.02 15.03 15.04 15.05 15.06 15.07 15.08 15.09 15.10 15.11 15.12 15.13 15.14 15.15 15.16 50年史, p. 357.
- ↑ 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 16.5 16.6 16.7 16.8 50年史, p. 358.
- ↑ 50年史, p. 191.
- ↑ 50年史, p. 139.
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 50年史, p. 359.
- ↑ 20.0 20.1 50年史, p. 174.
- ↑ 21.0 21.1 21.2 21.3 21.4 21.5 21.6 100年史, p. 168.
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- ↑ 23.00 23.01 23.02 23.03 23.04 23.05 23.06 23.07 23.08 23.09 23.10 23.11 23.12 23.13 23.14 23.15 100年史, p. 79.
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- ↑ 100年史, p. 29.
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タグです。 「gaiyou2018
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “長崎電気軌道:骨折しても「軽微な事故」 運輸局が指導”. 毎日新聞. (2007年7月3日)
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参考文献
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- 長崎電気軌道株式会社 『五十年史』1967年。
- 長崎電気軌道株式会社 『ふりかえる20年の歩み』1985年。
- 市制百年 長崎年表、1989年(平成元年)4月1日
- 梨森武志「日本の路面電車現況 長崎電気軌道」、『鉄道ピクトリアル 1994年7月臨時増刊号』44巻7号、鉄道図書刊行会
- 田栗優一「長崎電気軌道に勤務した頃を振り返る」、『鉄道ピクトリアル 2000年7月臨時増刊号』50巻7号、鉄道図書刊行会
- 梨森武志「日本の路面電車現況 長崎電気軌道」、『鉄道ピクトリアル 2000年7月臨時増刊号』50巻7号、鉄道図書刊行会
- 田栗優一 『長崎「電車」が走る街今昔』 JTBパブリッシング、2005年。ISBN 4533059872。
- 『会社概要』平成27年度、長崎電気軌道 (PDF)
- イカロスMOOK『路面電車EX』Vol.06 イカロス出版、2015年。
- 堀切邦生、2015、「特集 長崎電気軌道100周年」、2015年10月 pp. 12-68
- 長崎電気軌道株式会社 『長崎電気軌道100年史』2016年。
関連項目
- 西鉄大牟田市内線(大牟田電気軌道) - 1920年より1926年まで益田ら長崎電気軌道関係者が役員に就任していたが開業前に退任した。
外部リンク
- 長崎電気軌道株式会社 - 公式ウェブサイト