週刊少年チャンピオン
週刊少年チャンピオン | |
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WEEKLY SHŌNEN CHAMPION | |
愛称・略称 | チャンピオン・週チャン |
ジャンル | 少年向けコミック誌 |
読者対象 | 男性 |
刊行頻度 | 月2回刊 → 週刊(木曜日発売 ただし、木曜日が祝日の際は水曜日発売) |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 | 270円(税込) |
出版社 | 秋田書店 |
編集部名 | 週刊少年チャンピオン編集部 |
雑誌名コード | 969 |
刊行期間 | 1969年7月15日 - |
レーベル | 少年チャンピオン・コミックス |
ウェブサイト |
秋田書店HP内 「週刊少年チャンピオン詳細」 |
『週刊少年チャンピオン』(しゅうかんしょうねんチャンピオン)は、秋田書店が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1969年7月15日創刊(創刊当初は隔週刊行で誌名も「少年チャンピオン」。1970年6月24日から誌名を「週刊少年チャンピオン」と改めて毎週刊行化)。毎週木曜日発売。略称は 「チャンピオン」・「週チャン」など。
Contents
概要
発行日及び発売日は毎週木曜日(北海道、九州など、一部地域は金曜日。2010年1月以降、発行日と発売日が基本的に一致するようになった(「○月○日号」の部分は旧来の発行日表記のまま))。現在、編集長は武川新吾が務めている。定価は270円。マスコットキャラクターは、ツートンカラーの大きなシルクハットを被った、ヒゲが特徴的なアイドルマークであり、正式名称は「少チャン」である(『月刊少年チャンピオン』も共通して使用している)。誌名ロゴはかつては毎年変更されていたが、1991年度以降現行のものになっている(1995年度と2015年度に「チ」の部分に若干のマイナーチェンジが加えられている)。
過去の掲載作品の変遷の影響により、他の週刊少年漫画誌と比較して自由な作風でかつアクの強い漫画が多く掲載されていると形容される。
チャンピオン読者そのものの絶対数が他の週刊少年漫画誌に劣ることから、雑誌内での相対的な話題作がそのまま絶対的な売上に反映されづらいのが現状である。書店での単行本の入荷量も他の週刊少年誌の作品に比べて少なくなっている。
新人作家のための増刊号が発行されていないが、その代わり読切や短期集中連載が多く、ほぼ毎週そのための枠が確保されている。それらの作品は、読者から好評と判断されれば比較的早い段階で毎号連載が始まる。
不人気による打ち切りも他誌同様に存在する。打ち切られた作品でも極端に人気が少ないと判断された場合少年チャンピオン・コミックスが発刊されなかったり、単行本の売上が極端に悪いと判断された場合は最終巻まで発刊されない時もある。
実績の無い作家の単行本の第1巻の発行部数は、多くの場合同上他誌と比較しても非常に少なく抑えられているのも特徴であり、その売れ行き如何により連載時の待遇が上下する事が多い。そのような作家で連載当初から人気のある作品は、初版が発売直後に品薄となり、しばらくの間入手が困難となることもある。また、重版する場合も始めは増刷1回あたりの部数は少なく抑えられている場合が多いので、発売より数ヶ月経過してようやく出回る場合がある。
歴史
創刊期
月刊少年誌『冒険王』『まんが王』を手がけていた秋田書店が週刊少年誌の時代に対応すべく、1969年7月に「フレッシュな少年週刊誌」の謳い文句[1]で『少年チャンピオン』の誌名で隔週刊(月二刊)誌として創刊。創刊号の表紙にはキックボクサーの沢村忠が起用された。前年に創刊され、新人中心のラインアップで勝負を余儀なくされた集英社の『少年ジャンプ』と異なり、手塚治虫やさいとう・たかをなど有力作家を連載陣に揃えた。1970年6月24日発売号からの週刊化に伴い誌名は『週刊少年チャンピオン』に改められた。創刊の経済的基盤を支えたのは、大手出版社が本腰を入れていなかった新書判のマンガ単行本「サンデーコミックス」のヒットによるものと言われる[2]。この時期の人気連載として、『夕やけ番長』(梶原一騎・荘司としお)、『あばしり一家』(永井豪)、『狂人軍』(藤子不二雄Ⓐ)、『ガッツジュン』(神保史郎・小畑しゅんじ)、『宇宙猿人ゴリ』(うしおそうじ・一峰大二)、『太陽の恋人』(梶原一騎・かざま鋭二)、『原始少年リュウ』(石ノ森章太郎)、『バビル2世』(横山光輝)などがある。
1970年代
1972年4月に壁村耐三が編集長に就任して黄金期を築く。壁村は実売で24万部と立ち遅れていた同誌において、全編を読み切り形式に変更する改革を断行。劇画路線で青年誌化が進んでいた『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に対して王道的な少年誌路線[3]で躍進。シリーズとして発展した『ドカベン』(水島新司)やロングセラーとなった『ブラック・ジャック』(手塚治虫)を始めとする、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)、『マーズ』(横山光輝)、『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、作画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『らんぽう』(内崎まさとし)、『レース鳩0777』(飯森広一)、『青い空を白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)などの大人気作品が連載され、スポ根、学園もの、ホラー、ギャグと全ジャンルを網羅し、『週刊少年ジャンプ』と競い合う形で、1977年1月には200万部を突破して[4]トップに立った。だが1981年壁村は病魔に倒れ、いったん編集長を辞任した(1985年には復任し、1989年に退任)。1980年代に入ると人気連載作品からの引継ぎがうまくいかず、部数競争からは脱落していった。
1980年代
1980年代初頭には『るんるんカンパニー』・『クルクルくりん』(とり・みき)、『プラレス3四郎』(牛次郎・神矢みのる)、『すくらっぷ・ブック』・『ぶるうピーター』(小山田いく)、『気分はグルービー』(佐藤宏之)などが人気作となったが、1970年代後半の爆発的なヒット作に匹敵する作品に恵まれず部数が大きく落ち込んでいった。
1985年に壁村耐三が編集長に復帰。この時期には『Let'sダチ公』(積木爆・木村知夫)、『ドッ硬連』(松田一輝)などといった番長もの・不良ものの漫画が大幅に増え、『チャンピオン』の「熱さ・男らしさ」が形成されていった。1986年に開始された極道漫画『本気!』(立原あゆみ)は、続編を含めて10年以上続く長期連載となり、『チャンピオン』の看板的作品になった。
この時期の代表作は他に、『大甲子園』・『おはようKジロー』(水島新司)、『4P田中くん』(七三太朗・川三番地)、『熱笑!! 花沢高校』・『怪人ヒイロ』(どおくまん)、『魔界都市ハンター』・『魔界学園』(菊地秀行・細馬信一)、『セパハン』[5]・『原宿こぶし組』[6](服部かずみ)、『風のフィールド』(みやたけし)、『1と2』(吉田窓)、『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』(沼よしのぶ)などがある。
1990年代
1991年、誌名ロゴが現在とほぼ同じものとなった。また、この頃、『三四郎2』(きくち正太)、『男旗』[7](石山東吉)、『シャカリキ!』(曽田正人)、『ウダウダやってるヒマはねェ!』(米原秀幸)、『覚悟のススメ』(山口貴由)など、それまでの不良漫画主体だった誌面から一線を画す、若手作家による個性的な人気作が台頭するようになる。また、1991年と1993年にそれぞれ連載開始した『グラップラー刃牙』(板垣恵介)と『浦安鉄筋家族』(浜岡賢次)は続編を含めて20年以上に渡り『チャンピオン』の看板作品となった。
1995年には誌名ロゴが現在のものと同一になり、『優駿の門』(やまさき拓味)、『グルームパーティー』(川島よしお)、『学校怪談』(高橋葉介)、『鉄鍋のジャン!』(西条真二)、『ドカベン プロ野球編』(水島新司)、『京四郎』(樋田和彦)、『特攻天女』(みさき速)といった、多種多様なジャンルの人気長期連載が次々と開始、また読者コーナーも1995年1号に開始した『チャンピオンカップ (C2)』が長期間続き、以後2000年頃まで安定した誌面構成が続いた。とりわけ『ドカベン プロ野球編』は連載開始時にテレビ番組など各種メディアでも大きく取り上げられ、話題を呼んだ。
その後も、冒険ファンタジー『フルアヘッド!ココ』(米原秀幸)・『悟空道』(山口貴由)、お色気学園もの『オヤマ! 菊之助』(瀬口たかひろ)、コメディ『おまかせ!ピース電器店』(能田達規)・『ゲッチューまごころ便』(緋采俊樹)、ショートギャグ『おやつ』(おおひなたごう)・『がんばれ酢めし疑獄!!』(施川ユウキ)、不良もの『フジケン』(小沢としお)、スポーツ『満天の星』(楠本哲)など、各ジャンルにおいてヒット作が続いた。
2000年代前半
2000 - 2001年頃には『ななか6/17』(八神健)、『エイケン』(松山せいじ)といった「萌え系」と称される傾向の作品が開始し(両者はともにアニメ化された)、1995年以降7年間続いていた読者投稿ページ『チャンピオンカップ』も、ブロッコリーとのタイアップにより同社のマスコットキャラクターである「デ・ジ・キャラット(でじこ)」をMCに据えた『でじこのチャンピオンカップ』へとリニューアルされた[8]。 ストーリー漫画ではその後長期連載となる『ショー☆バン』(森高夕次・松島幸太朗)や、ラーメン漫画『虹色ラーメン』(馬場民雄)などの安定した作品、特異な作風で知られる漫☆画太郎の『樹海少年ZOO1』やアニメとまったく違う展開を見せたコミカライズ作品『スクライド』などの挑戦的な作品も見られた。
2002年にはそれまでの大塚公平に代わり樋口茂が編集長に就任。1990年代のチャンピオンを支えてきた長期連載が軒並み終了していったが、それに代わる人気作が産まれなかったために誌面が不安定な状態となり部数も大きく落ち込んだ。
ストーリー漫画、スポーツ漫画共に短命に終わる作品が乱発され『アクメツ』(田畑由秋・余湖裕輝)・『いっぽん!』(佐藤タカヒロ)など2 - 3年の連載が続くのが良い方という状態に陥った。また、2003年から2005年までは萌え系漫画が減少し再び不良漫画が増加したが、『番長連合』(阿部秀司)や『ナンバMG5』(小沢としお)以外は軒並み低調に終わった。 それと前後して誌面におけるメディアミックス系コミカライズ作品も掲載されていたが、『カオシックルーン』(山本賢治)[9]、や『舞-HiME』(矢立肇・キムラノボル・佐藤健悦)など)のコミカライズなどを例外として、どれも低調であった。
一方、ギャグ・コメディ漫画では『無敵看板娘』(佐渡川準)がヒットし、アニメ化もされた。コメディー漫画はかつて毎回15-16ページが業界の標準であったが、同誌では以後、8ページ以下のショートコメディーの連載本数が増えてくる。
前述の読者投稿ページは『チャンピオンロード』『黒チャンピオン党』と1 - 2年足らずのスパンで変更され低迷していたが、2005年1月に開始した西口プロレスとタイアップした『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』は安定した人気を獲得し、2013年9号まで続いた。ゲーム紹介欄は、2004年にそれまで掲載されていた『電気頭脳園』に代わり、神楽つなを起用した『電遊日記』が開始し、2009年[10]まで続いた。
2000年代後半 - 2010年代
2005年10月には編集長が沢考史に交代し、大幅な誌面改革を断行する。それまでの連載の大部分を2006年度中に入れ替え、通常連載では休載を出来る限り行わせない骨太の方針に変更した。2006年20号から2009年1号まで表紙に「これ楽しい!これ面白い!!」というキャッチコピーを用い、車田正美による『聖闘士星矢』の続編『聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話』とその外伝的作品の連載『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』(作画・手代木史織)を立ち上げた。その他、ギャグでは『みつどもえ』(桜井のりお)・『侵略!イカ娘』(安部真弘)・『吸血鬼すぐ死ぬ』(盆ノ木至)、恋愛漫画では『実は私は』(増田英二)、不良漫画では『クローバー』(平川哲弘)・『シュガーレス』(細川雅巳)・『六道の悪女たち』(中村勇志)、スポーツ漫画では『ANGEL VOICE』(古谷野孝雄)・『弱虫ペダル』(渡辺航)・『バチバチ』(佐藤タカヒロ)・『ハリガネサービス』(荒達哉)、その他では『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』(宮崎克・吉本浩二)・『囚人リク』(瀬口忍)・『BEASTARS』(板垣巴留)など、各ジャンルにおいて話題作を輩出、いくつかの作品はアニメやテレビドラマなど他のメディアにも進出し、中でも『弱虫ペダル』や『BEASTERS』は同誌の看板作品となった。また、『バイオハザード』や『劇場霊』のコミカライズ版も連載されている。長らく『ドカベン』・『浦安』・『刃牙』に強く依存していた週刊少年チャンピオンにおける少年チャンピオン・コミックスの売上も、上記の連載作の登場によってその度合が弱まり、全体が底上げされた。このため基本的にグラビア(グラビアは『週刊少年チャンピオンアイドルフォトジェニック』としてレーベル展開。2010年代前半はAKB48国内グループ(姉妹グループとしてSKE48・NMB48・HKT48・NGT48・STU48、ライバルグループとして乃木坂46・欅坂46・けやき坂46)が独占していたが、2016年頃よりハロー!プロジェクト・STARDUST PLANET・iDOL Street関連も登場するようになった)が多くを占めた表紙も、再び漫画作品を前面に出したものが増加するようになった。しかし、佐渡川準や佐藤タカヒロなど逝去される漫画家もおり、それに伴い絶筆となった作品もあり、特に佐藤タカヒロが最期に掲載していた2018年33号が発売と同時に瞬く間に売り切れる店も少なくはなかった。
また、前述の『チャンピオン投稿コロシアム (CTC)』が好評を博し、長年3ページで固定されていた読者ページ枠を4ページに拡大させた。
2009年には、創刊40周年記念企画として過去の人気連載の新作読切作品を多数発表した。また、その企画の一環として新しいキャッチフレーズを公募し、その結果「何でもありの無差別級まんが雑誌!」が選ばれ(同年40号発表)、以後、2010年52号まで表紙に用いられた。40周年記念企画スタート号となった2009年17号の誌名ロゴは1977年頃のものが使用された。
2016年3月15日、電子版の配信が開始される。配信当初は木曜日に紙の雑誌で発売した内容を、翌週の火曜日に配信する形で行われた[11]が、2017年7号から紙の雑誌が発売される同日に配信されるようになった[12]。
2017年6月、12年弱に渡って本誌を牽引した沢に替わり武川新吾が編集長に就任。
2018年6月、紙版31号にて中断期間を含めて46年間連載していた『ドカベン』シリーズが『ドリームトーナメント編』の最終回をもって完結した[13]。
連載作品
2018年8月2日(2018年36号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品や短期集中連載作品も含む。
作品名 | 作者(作画) | 原作など | 開始号 | 備考 |
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聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話 | 車田正美 | - | 2006年36・37合併号 | シリーズ連載 |
弱虫ペダル | 渡辺航 | - | 2008年12号 | |
木曜日のフルット | 石黒正数 | - | 2009年6号 | 掲載順は巻末に固定 |
バキ外伝 疵面-スカーフェイス- | 山内雪奈生(作画) | 板垣恵介(原作) | 2009年7号 | 「グラップラー刃牙」シリーズのスピンオフ作品 『チャンピオンRED』より移籍 『別冊少年チャンピオン』に移籍 のちに再び本誌に戻り連載再開 休載中 |
ハリガネサービス | 荒達哉 | - | 2014年26号 | |
吸血鬼すぐ死ぬ | 盆ノ木至 | - | 2015年30号 | |
六道の悪女たち | 中村勇志 | - | 2016年30号 | |
ベルリンは鐘 ヤッホー! | ニャロメロン | - | 2016年40号 | |
BEASTARS | 板垣巴留 | - | 2016年41号 | |
あつまれ!ふしぎ研究部 | 安部真弘 | - | 2016年44号 | |
魔入りました!入間くん | 西修 | - | 2017年14号 | |
出陣★昆虫武将チョウソカベ! | 森田将文 | - | 2017年35号 | |
ヒマワリ | 平川哲弘 | - | 2017年42号 | |
ロロッロ! | 桜井のりお | - | 2017年45号 | 当初は短期集中連載 |
魔法少女サイト | 佐藤健太郎 | - | 2017年48号 | 『Champion タップ!』から移籍 |
逆襲インフェルノ | 重本ハジメ | - | 2018年7号 | |
週刊少年ハチ | 増田英二 | - | 2018年9号 | |
マウンドの太陽 | 水森崇史 | - | 2018年13号 | |
あっぱれ!浦安鉄筋家族 | 浜岡賢次 | - | 2018年16号 | 「浦安鉄筋家族」シリーズの続編 |
ジュニオール | 灰谷音屋 | - | 2018年28号 | |
アカトラ | 齋藤勁吾 | - | 2018年33号 | |
鬼のようなラブコメ | いづみかつき | - | 2018年36号 |
読者投稿ページ
- チャンピオンパック(1970年代)
- ビッグスペース(1980年代)
- シルクハットハウス(1980年代後半まで)
- スクランブルニュース(1980年代後半 - 1990年代初頭)
- チャンピオンベストステージ(1990年代初頭 - 1994年)
- 寄席ばいいのに!(1994年)
- チャンピオンカップ (C2)(1995年1号 - 2001年18号)
- でじこのチャンピオンカップ(2001年19号 - 2002年36号)
- チャンピオンロード(2002年37+38号 - 2003年29号)
- 黒チャンピオン党(2003年30号 - 2005年6号)
- 西口プロレス認定 チャンピオン投稿コロシアム (CTC)(2005年7号 - 2013年9号)
- EXIT TUNESプレゼンツ 週刊3D 出口はドコだ!?(週刊3D)(2013年10号 - 2014年24号)
- 週チャンひみつ基地局(チャンみつ)(2014年28号 - 2018年33号)
- 50th週チャン(2018年34号 - )
連載記事
ゲーム紹介
- K&O Bros.の電気頭脳園(ケーオーブラザーズのでんきずのうえん)
- (構成:笠井修・大崎悌造(交代で担当)、本文カット:島村英康→仲田リズム→村瀬範行(代替わりで担当))?年 - 2004年30号
- 中間の仲田リズム担当時代は批評者に「担当編集者S」(イラストによると女性)が加わっていたので、「K&O Bros.の」を外した「電気頭脳園」が正式名称だった。
- エリス&モリソン&パチの電遊日記(-でんゆうにっき)
- (構成・文:ブレインナビ・スタジオサバイヴ・Wyvern(ワイバーン)(担当は不規則。)、本文イラスト:神楽つな)2004年31号 - 2010年4・5合併号
- パチは途中から登場したキャラクターなので、それ以前のタイトルは「エリス&モリソンの電遊日記」だった。
- ギャル番ゲーマー マリー
- (構成・文:スタジオサバイヴ、本文イラスト:結路いさと(ゆろ いさと))2010年6号 - 2011年52号
- 週チャンゲーム板
- (構成・文:スタジオサバイヴ)
総合情報コーナー
- チャンピオンレーダー(1970年代 - 1980年)
- 情報チャンネルあいどる組
- マイ・ワールド
- 情報エクスプレス(アーティストインタビューやイベント情報、プレゼント情報のページ)
- チャンピオンCINEMAプレビュー(映画紹介記事。かつては独立したページを持った記事であったが、2006年に情報エクスプレスの一記事に格下げされた)
歴代編集長
- 成田清美(1969年創刊号 - 1972年25号(1972年3月))
- 壁村耐三(第一次、1972年26号(1972年4月) - 1981年46号)
- 阿久津邦彦(1981年47号 - 1983年9号)
- 神永悦也(1983年10号 - 1985年16号)
- 壁村耐三(第二次、1985年17号 - 1989年31号)
- 岡本三司(1989年32号 - 1994年37+38合併号)
- 大塚公平(1994年39号 - 2002年4+5合併号(2001年12月)) - 映画評論家・二階堂卓也でもある(『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』3巻より)
- 樋口茂(2002年6号(2002年1月) - 2005年47号(2005年10月))
- 沢考史(2005年48号(2005年10月) - 2017年26号(2017年5月))
- 武川新吾(2017年27号(2017年6月) - )
主催新人漫画賞
- 週刊少年チャンピオン新人まんが賞(原則3月締切と9月締切の年2回募集)
- 月例フレッシュまんが賞(原則月末締切の月例賞)
発行部数
これらの部数は公称値や推定値であり、実数ではないことに注意を要する。
- 1969年7月15日創刊号 21万部[14]
- 1972年7月3日号 39万部[14]
- 1973年8月20日号 50万部[14]
- 1974年9月9日号 100万部[14]
- 1977年1月 200万部[15]
- 1978年9月11日号 205万部[14]
- 1979年1月22・29合併号 250万部[14]
- 2009年 55万部[14]
以上は公称値による発表である。
部数 | 出典 | |
---|---|---|
1989年(平成元年) | 70万部 | 1990年版 出版指標年報 |
1990年(平成2年) | 64万部 | 1991年版 出版指標年報 |
1991年(平成3年) | 65万部 | 1992年版 出版指標年報 |
1992年(平成4年) | 65万部 | 1993年版 出版指標年報 |
1993年(平成5年) | 65万部 | 1994年版 出版指標年報 |
1994年(平成6年) | 65万部 | 1995年版 出版指標年報 |
1995年(平成7年) | 75万部 | 1996年版 出版指標年報 |
1996年(平成8年) | 75万部 | 1997年版 出版指標年報 |
1997年(平成9年) | 70万部 | 1998年版 出版指標年報 |
1998年(平成10年) | 67万部 | 1999年版 出版指標年報 |
1999年(平成11年) | 60万部 | 2000年版 出版指標年報 |
2000年(平成12年) | 60万部 | 2001年版 出版指標年報 |
2003年(平成15年) | 35万部 | 2004年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-1-5 |
2004年(平成16年) | 30万部 | 2005年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-2-3 |
2005年(平成17年) | 32万部 | 2006年版 出版指標年報 ISBN 4-9901618-3-1 |
2006年(平成18年) | 32万部 | 2007年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-4-2 |
2007年(平成19年) | 32万部 | 2008年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-5-9 |
2008年(平成20年) | 30万部 | 2009年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-6-6 |
2009年(平成21年) | 29万部 | 2010年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-7-3 |
2010年(平成22年) | 27万部 | 2011年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-8-0 |
2011年(平成23年) | 28万部 | 2012年版 出版指標年報 ISBN 978-4-9901618-9-7 |
2012年(平成24年) | 26万部 | 2013年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-00-3 |
2013年(平成25年) | 25万部 | 2014年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-01-0 |
2014年(平成26年) | 24万部 | 2015年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-02-7 |
2015年(平成27年) | 21万部 | 2016年版 出版指標年報 ISBN 978-4-915084-03-4 |
以上の部数は全国出版協会発行の「出版指標 年報」掲載の推定値であり、公称値とは性質が異なる。
増刊号
かつては新人作家の読切を主とした増刊号も刊行されており、1980年代前半には青年誌として『週刊少年チャンピオン増刊 ヤングチャンピオン』が不定期に刊行されていた時期もあった。
現在は定期的に刊行される増刊号は存在しないが、『範馬刃牙』の総集編や、毎度!浦安鉄筋家族の新作と傑作選、新人ギャグ作家の読切を掲載した『毎度!浦安鉄筋家族 増刊』などが不定期に刊行されている。
派生誌
脚注
- ↑ 本間正夫『少年マンガ大戦争 「少年画報」編集長・金子一雄の築いた王国』(2000年、蒼馬社)。
- ↑ 竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いのか? 竹熊漫談』(2004年、イースト・プレス)。
- ↑ 米澤嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』(2002年、平凡社・平凡社新書)。夏目房之介『マンガの力 成熟する戦後マンガ』(1999年、晶文社)。
- ↑ 週刊少年チャンピオン1977年6・7号表紙
- ↑ テンプレート:Jコミ(外部リンク)
- ↑ テンプレート:Jコミ(外部リンク)
- ↑ テンプレート:Jコミ(外部リンク)
- ↑ これらの路線を推し進めたチャンピオン編集者・伊藤純(2002 - 2005年は副編集長)らの異動により、現在コミカライズ作品や萌え系作品はほぼ全て『チャンピオンRED』へ移動している。
- ↑ ただしメディアミックス計画(カードゲーム化)は連載途中で白紙となった。
- ↑ 2009年12月24日発売の2010年4・5合併号まで。
- ↑ “「少年チャンピオン」電子版、15日から配信 秋田書店”. 朝日新聞 (2016年3月10日). . 2017閲覧.
- ↑ “「週刊少年チャンピオン」「別冊少年チャンピオン」の電子版が紙版と同時発売に ジャンプ・マガジン・サンデーに続き”. ねとらぼ (2017年1月12日). . 2017閲覧.
- ↑ “「ドカベン」 28日発売号で完結 46年の歴史に幕”. スポーツニッポン (2018年6月28日). . 2018閲覧.
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 14.5 14.6 読売新聞2009年4月30日付
- ↑ 週刊少年チャンピオン1977年6・7号表紙
参考文献
- 斎藤精一『雑誌大研究 出版戦国時代を探る』(1979年、日本工業新聞社)
- 朝日新聞社学芸部編著『出版界の現実 出版界の内幕を徹底取材』(1979年、日本ジャーナリスト専門学院出版部)
- 西村繁男『さらばわが青春の「少年ジャンプ」』(1994年、飛鳥新社)
- 岡田斗司夫『オタク学入門』(太田出版、1996年) - 少年マンガ国盗物語。
- 『別冊宝島70年代マンガ大百科』(宝島社、1996年) - 壁村耐三インタビュー。
- 西村繁男『まんが編集術』(白夜書房、1999年)
外部リンク
- 秋田書店
- 週刊少年チャンピオン バックナンバー一覧 - 秋田書店サイト内。2002年1号以後のデータが存在する。
- 週チャンアニマクス 掲載作品等のデータベース