牙城会
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牙城会(がじょうかい)は、創価学会男子部に所属する会員を中心に構成されているグループ。
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概要
創価学会の歴史と理念を学び、広宣流布の為の弘教と会館自主警備を主な活動としている。任命を受けてボランティアで活動しており、シンボルマークは獅子。
牙城会員は、創価班を含め約7万人体制。会館警備につくための最小人数は会館の大きさによるが2名から5名であり、グループごとに編成されている。会合の規模が大きくなればそれ以上の人数となる場合がある。平日・土曜日の夜間(18時〜18時30分(地域により異なる)から閉館まで)と休日は前半・後半の二部制。
任期は2月1日から翌年1月31日までの一年間。 十年間任務に着任すると表彰の対象になる。
歴史
創価学会では、座談会などの会合を、創価学会員の自宅などを利用して開催して来たが、1950年代から1960年代にかけて会員数を大きく伸ばしたことや住宅事情の変化などによって、全国に会員の為の文化会館が建設された。その自主警備を行うグループを、当時は各地域ごとに当番や会館警備と呼んでいたが、1971年に牙城会として全国的に組織化され、人材育成に取り組むことになった。
創価学会は、会館の警備も仏道修行の一環と定められており、牙城会員は、日々の勤行唱題と来訪者に対する心遣いを学ぶことを通じ、社会人として成長することを目的として、会館警護の任務に着いている。
牙城会の組織体制
牙城会は、「会館警備」を担当している。東京都新宿区信濃町にある創価学会本部の警備を担当する「本部担当」と各地域にある地元会館の「会館警備」に分別されている。
反創価学会派による牙城会への攻撃
- 1974年10月、妙信講(現、冨士大石寺顕正会)男子部幹部ら70人が創価文化会館に乱入、警備をしていた牙城会のメンバーと乱闘騒ぎに発展した。学会では警視庁に機動隊の出動を要請して強制排除、妙信講側に12名の逮捕者を出した。事実関係は警察調書で確認できる。
- 1993年12月18日、池田大作サリン襲撃未遂事件が発生。オウム真理教が池田大作名誉会長の暗殺を計画、創価大学・創価女子短期大学キャンパスおよび初代会長・牧口常三郎の名を冠した東京牧口記念会館にサリンを散布。警備していた牙城会員が、一時的な視力減退や倦怠感などサリン中毒特有の症状を訴えたが、創価学会は警察への通報と被害届の提出を見送り、オウム真理教を同事件で立件するには至らなかった[1]。
役職
委員長、副委員長、警備長、言論企画部長、運営委員、部長などの役職のほか警備局、言論企画局、大学校事務局があり、それぞれに局長が任命される。
備考
- 警備業の許可を受けた団体ではないので、法的には当直・宿直にあたる。
- かつては閉館から翌朝まで泊り込み、交代で警備していたが、現在は特別な期間中の場合や一部の会館を除いて、セコムによる機械警備に置き換えられている。
- かつては任務の時に臙脂色(えんじいろ)のブレザーを着用していたが、現在は通常スーツにネクタイで着任している。
- 所轄の消防署の指導のもとで、年に1回程度の割合で消防・防災訓練をおこなっている。消火、避難誘導、通報実習や、心肺蘇生法の実技のほか、最近では各会館にAEDが備えられたため、その講習もおこなわれる。この訓練は牙城会警備長および壮年・婦人の担当役員が中心になって開催されるが、牙城会のほか、創価班、白蓮グループ、および壮年・婦人の一般会員も参加する。
- 平日の日中は中心会館であれば、創価学会職員が日常の業務をおこなっている。
- 中心会館以外の会館では牙城会が着任する以外は、壮年部・婦人部が着任している。地域ごとに名称や活動内容にはバラつきはあるが、一日会館長、一日室長と呼び、ボランティアによるグループを宝城会、創城会、王城会と呼んでいる。