毛利元昭
提供: miniwiki
毛利 元昭(もうり もとあきら、元治2年2月7日(1865年3月4日) - 昭和13年(1938年)9月24日)は、明治時代の華族、貴族院議員。毛利宗家の第29代当主。爵位は公爵。長州藩最後の藩主であった毛利元徳の長男。幼名は興丸。後に琢堂と号した。
生涯
元治2年(1865年)、萩の八丁邸にて生まれる。父は明治維新の後、旧藩内の拠点を山口から防府三田尻御茶屋に移した。明治3年に多々良山周辺を買収してそこに多々良御殿を建設し、上京する時以外は、その生涯のほとんどをこの御殿で過ごした。後にこの多々良御殿は毛利氏庭園として整備され、国の名勝に指定された。現在では公益財団法人毛利報公会の管理で一般公開されている。
1897年(明治30年)、家督を相続し、公爵・貴族院議員となる。
1911年(明治44年)1月20日、麝香間祗候となる[1]。
栄典
- 1897年(明治30年)7月2日 - 従三位[2]
- 1901年(明治34年)6月21日 - 正三位
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲四等旭日小綬章[3]
- 1908年(明治41年)6月30日 - 従二位[4]
- 1911年(明治44年)11月6日 - 勲三等旭日中綬章[5]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[6]
- 1916年(大正5年)
- 1929年(昭和4年)
- 1931年(昭和6年)10月3日 - 紺綬褒章飾版[11]
系譜
- 祖父:毛利広鎮
- 父:毛利元徳
- 母:安子(長府藩主毛利元運の二女・毛利敬親の養女)
- 妻:富子(富姫)(徳川慶勝の八女)(離婚・子爵戸田康泰の後妻となる)
- 妻:美佐子(三条実美の三女)
- 妾:河北ツヤ
- 三女:浜子(子爵戸田忠肅夫人)
登場する作品
脚注
- ↑ 『官報』第8273号、明治44年1月21日。
- ↑ 『官報』第4200号「叙任及辞令」1897年7月3日。
- ↑ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ↑ 『官報』第7503号「叙任及辞令」1908年7月1日。
- ↑ 『官報』第8515号「叙任及辞令」1911年11月7日。
- ↑ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ↑ 『官報』第1183号「叙任及辞令」1916年7月11日。
- ↑ 『官報』第1322号「叙任及辞令」1916年12月27日。
- ↑ 『官報』第649号「彙報 - 褒章」1929年3月1日。
- ↑ 『官報』第896号「彙報 - 褒章」1929年12月23日。
- ↑ 『官報』第1432号「彙報 - 褒章」1931年10月6日。
参考資料
- 江戸三百藩殿様のその後(ISBN 978-4-02-273160-9、朝日新聞社)
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代: 毛利元徳 |
公爵 毛利家(宗家)第2代 1896年 - 1938年 |
次代: 毛利元道 |