DonDokoDon

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DonDokoDon
メンバー 山口智充
平畠啓史
別名 ドンドコ
出身 銀座7丁目劇場のオーディション
芸種 漫才コント
受賞歴
1999年 爆笑オンエアバトル初代チャンピオン
2000年 国立演芸場花形演芸大賞銀賞
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DonDokoDon(ドンドコドン)は、山口智充と平畠啓史の2人からなるお笑いコンビ。2000年代にコンビとしての活動が少なくなり、所属している吉本興業公式HPではDonDokoDonのページがすでに削除され山口、平畠それぞれの個人紹介ページに変更されており、事実上の解散状態となっている[1]

メンバー

  • 山口智充(やまぐち ともみつ 1969年3月14日 - )ボケ担当。
  • 平畠啓史(ひらはた けいじ 1968年8月14日 - )ツッコミ担当。

来歴

山口と平畠は共に宝塚ファミリーランドに勤めており、山口はイベントの司会業を、平畠はイベントの音響を担当していた。そこで2人は親交を深め、会社の忘年会の余興も2人で担当したことがある。その後、2人は別々の時期に退社。退社後2人は再び親交を深め、半年ほど2人で結婚式の司会などのバイトをこなす。そんな中、毎日放送の視聴者参加型の演芸番組『素人名人会』に参加し、名人賞を受賞する。

この時期にプロの芸人になることを志し、東京に上京。事務所にはこだわらず、いろんな東京の事務所のオーディションを受ける。そして、銀座7丁目劇場のオーディションに合格する。東京吉本所属となり、1994年2月に本格的にコンビ結成しデビューとなる。ちなみに2人は大阪出身ではあるが、東京を拠点に活動した。

1999年爆笑オンエアバトル初代チャンピオンに輝くなど、結成当初はコンビでの活動が主であった。しかし山口が「明石家マンション物語」(フジテレビ系列)に出演し全国的な知名度を得たのを皮切りに、以降は多彩なものまねや声帯模写などを活かして山口がピンで活動する事が多くなっていった。

2001年、第1回M-1グランプリに決勝進出を果たす。キャッチフレーズは「無冠の帝王[2]。なお、後述にもあるように2人共芸人を始めた時期がやや遅かったため、結成7年目ながらこの時点で年齢が30を超えていた(ネタ前の紹介VTR内でも「決勝大会最年長コンビ」と紹介されていた)。先述の通りこの頃から山口はピンで活躍しており、決勝10組の中でも知名度は抜群で満を持しての出場だったが最終的な結果は10組中9位(特別審査員合計・520点、一般審査員合計・94点、総合計・614点)に終わる。なお、この年は7人の特別審査員だけではなく、札幌大阪福岡の吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客が1人1点で審査するシステムも導入されていたのだが、比較的大阪寄り(大阪吉本所属の芸人)では無い一部出場コンビ[3]に対しての大阪会場の得票が著しく低く、すでに大阪から東京に進出し東京吉本に所属していたDonDokoDonもその煽りを受けてしまう形となってしまった[4](2002年大会以降は「公平性に欠ける」という意見からこの一般審査員による投票は廃止されている)。因みに特別審査員の春風亭小朝は当時の2人の漫才を見て「関脇の人が横綱相撲取っちゃった、みたいな感じ」と評している。なお、2002年以降は1度も出場していない。

以降もコンビとしての活動は縮小傾向にあり、静岡県で人気番組となった『くさデカ』(各々違う店にロケする方式)も、山口の出演頻度は2001年11月より段階的に減少(2003年に降板)、レギュラー番組『ワンナイR&R』は2000年から2006年まで続くが、開始当初より平畠の出番は微少で山口との絡みも少なかった。

山口はマルチタレントとして活動、平畠は芸能界屈指のサッカー通として関連番組に多く出演するほか[5]、引き続き『くさデカ』に出演するなど、静岡では高い知名度を持っている。

概要・芸風

コンビで行う漫才は山口のモノマネを活かしたスタイル。平畠は対照的に地味なキャラクター。

共に年齢が高いのと、山口がデビュー後かなり早くにブレイクしレギュラー番組を多数持ったことからベテラン芸人と思われがちだが、実際は二人ともサラリーマンを経て25・6歳で吉本興業に入ったため、同年代の芸人に比べて芸歴は短い。雨上がり決死隊宮迫博之千原兄弟ナインティナインココリコ中川家陣内智則など年下の先輩が多い。ロンドンブーツ1号2号ペナルティや、大阪NSCでは12期生の小籔千豊土肥ポン太などが同期に当たる。1年先輩には中川家ココリコ藤井隆など、1年後輩には次長課長タカアンドトシなどがいる。

受賞歴

事実上の解散状態

2006年12月に『ワンナイR&R』が終了したことでコンビ名義でのレギュラー番組は消滅、漫才の舞台などコンビでの仕事も行われなくなった。トークバラエティ番組さんまのまんま』(関西テレビ)2013年7月27日放送回に山口が出演した際に、司会の明石家さんまから「DonDokoDonは今どうなってるの?」と聞かれた山口は、「バラバラの活動です。(2人では)やってないです」と話し、「解散はしてないの?」と確認されると、「解散ってのも微妙なんですけど、『解散します』って言っても「どうでもええわ」って人もいるじゃないですか。『解散』って言葉はマイナス(イメージ)なんで、(あえて)言うことはないんかな、と」と自然消滅の形でコンビを解消した事を明かした[1]。なお、直接的な解散に至った理由や原因などは2017年現在も2人の口からは発せられていない。

吉本興業公式サイトでは、コンビの情報は削除されているほか、TVガイド(2007年度以降)・JUNON(2008年度以降)のタレント名鑑や、ライブイベント『LIVE STAND 07』等でも、2人は別々に表記されている。メンバー本人や所属事務所によるコンビの活動休止などの発表はされていないが、すでにコンビの情報が削除されていることから事実上のコンビ解散である。

事実上の解散前もコンビ仲は悪かったらしく、周囲の芸人仲間もその事を認めている発言をしている。事務所の先輩であるFUJIWARA藤本敏史はDonDokoDonの2人の関係性について「(2人は)仲良かったときない」と暴露しており[6]、また後輩であるトータルテンボスの2人も番組内でカンニング竹山からDonDokoDonのコンビ仲について聞かれた際に青ざめながら「(その件は)本当に触れられないやつ」とまで語っている[7]

出演番組

個人の出演番組は山口智充、平畠啓史をそれぞれ参照。

テレビ

バラエティ・報道番組

ドラマ

山口 - バタヤン 役
平畠 - サンペイ 役
山口 - 村田雅史 役
平畠 - 牧師 役
山口 - 永倉新八
平畠 - 葛山武八郎

ラジオ

出典

  1. 1.0 1.1 山口智充 ドンドコ解散語るデイリースポーツオンライン、2013年7月27日。
  2. ネタ前の紹介VTRでは「受賞歴なし」と紹介されているが、厳密に言えば本放送前に「爆笑オンエアバトル」で初代チャンピオンに輝いているなど、受賞歴が全く無かった訳ではない。
  3. 唯一関東出身のコンビであったおぎやはぎ松竹芸能所属のますだおかだアメリカザリガニなど。
  4. 大阪会場からは100点満点中18点しか獲得できず、おぎやはぎの9点に次いで2番目に低い記録を出してしまった(因みに今大会で一般審査員の総合計が100点を越えなかったのはおぎやはぎとDonDokoDonの2組のみである)。また、DonDokoDonの一般審査員による点数が画面に表示された際、余りにも大阪会場の点数が低すぎると感じたのか特別審査員の松本人志は「大阪の客ちょっと頭おかしいんちゃいますか!?」と声を荒らげていた。
  5. サッカー通の平畠啓史さんが断言!「サッカーは感覚で楽しめばいい」”. 日本放送協会 (2018年6月20日). . 2018閲覧.
  6. ライブドアニュース - フジモンがDonDokoDonのコンビ仲を暴露「仲よかったときない」(2017年2月22日の記事)
  7. しらべぇ - 「マジで仲が悪そうなお笑いグループ」ランキング カンニング竹山からガチすぎる暴露も…(2017年8月18日の記事)
  8. 次に少ないのはルート33(2・3代目チャンピオン)とNON STYLE(9代目チャンピオン)の2回。

テンプレート:爆笑オンエアバトルチャンピオン大会優勝者

テンプレート:M-1グランプリ2001