桑田健秀

提供: miniwiki
2018/8/26/ (日) 16:11時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

テンプレート:バスケットボール選手 桑田 健秀(くわた きよひで、1953年1月3日 - )は、熊本県山鹿市生まれ東京都大田区馬込出身[1]バスケットボール選手・指導者である。現役時代はシューティングガードからセンターまでこなした。

来歴

熊本で生まれ、1歳で東京に移住。大田区立馬込東中学校でバスケを始め、慶應義塾高校に進み、能代工業高校監督加藤廣志が率いる全日本ジュニアに選出される。

その後慶應義塾大学では谷口正朋(中大)が持っていた得点記録を更新。1973年夏季ユニバーシアードにも出場[2]

卒業後、日本鋼管(NKK)に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場するなど全日本で11年間プレーした[2]。NKKでも日本リーグ1度、オールジャパン2度の優勝に貢献する[2]

1983年現役引退[2]。バスケットボールからも離れるが、NKK会長の日本協会会長就任を機にバスケ界に復帰。

1990年から1992年まで男子全日本ジュニアのアシスタントコーチに就任し、アジアジュニア優勝・世界ジュニアに導く[2]

1997年バスケットボール日本リーグ機構(JBL)が発足されると、翌年には常務理事に就任[2]。プロ化実現へ向けて奔走した[1]

2002年退任。

2003年、NPO法人ピボットフットを設立[2]

2005年W1リーグに所属するエバラヴィッキーズのヘッドコーチに就任[2](前任者の坂根茂は中学・高校・大学の後輩)。チアリーディングチームをピボットフットで結成した[1]

2008年チャレンジ!おおいた国体バスケットボール競技で優勝に導いた[2]

2012年、退任。

経歴

  • 慶應義塾高校 - 慶應義塾大 - 日本鋼管(1976年〜1983年)

日本代表歴

  • 1970アジアジュニア選手権
  • 1973ユニバーシアード
  • 1973アジア選手権
  • 1975アジア選手権
  • 1976モントリオール五輪
  • 1977アジア選手権
  • 1978アジア競技大会
  • 1979アジア選手権

脚注

関連項目

外部リンク

テンプレート:モントリオールオリンピック男子バスケットボール日本代表