菅谷定彦
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すがや さだひこ 菅谷 定彦 | |
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生誕 |
1939年1月7日(85歳) 兵庫県 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
出身校 | 早稲田大学第一政治経済学部 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1961年 - 現在 |
肩書き | テレビ東京代表取締役社長 |
任期 | 2001年6月 - 2007年6月 |
前任者 | 一木豊 |
後任者 | 島田昌幸 |
配偶者 | あり |
親 | 松澤初穂(母) |
親戚 | 田実渉(元三菱銀行会長) |
菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、日本のマスメディア界のリーダーの一人で、株式会社テレビ東京取締役相談役。
Contents
人物
兵庫県出身。日本経済新聞社から1999年にテレビ東京に転出し、2001年に同社代表取締役社長に就任。2007年6月22日付けで、代表取締役会長に就任。2010年6月取締役会長。2011年6月24日付けで現職。
赤穂浪士の一人菅谷政利の子孫である[1]。実父は同志社大学で相撲部の主将を務め[2]、第12回全国学生相撲選手権大会個人戦で優勝(第12代学生横綱)した菅谷定であり[3]、母は1932年ロサンゼルスオリンピック競泳日本代表の菅谷(旧姓・松澤)初穂。家族は妻と3女。義父は元三菱銀行会長の田実渉。
アスリートの両親の血を受けたためか、定彦自身も中学校から大学までテニス選手として活躍し[4] 、1957年(昭和32年)には早稲田大学で同期だった広瀬均(後にデビスカップ日本代表選手、監督)とのコンビで全日本ジュニアテニス選手権男子ダブルスで優勝している[5]。
略歴
- 1961年 甲陽学院高等学校→早稲田大学第一政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員、大阪本社編集局長、社長室長などを歴任。
- 1990年 日本経済新聞取締役
- 1993年 日本経済新聞常務取締役
- 1998年 日本経済新聞専務取締役
- 1999年6月 テレビ東京に異動、代表取締役副社長就任
- 2001年6月 テレビ東京代表取締役社長に昇任
- 2004年 日本民間放送連盟副会長(現任)
- 2007年6月 テレビ東京代表取締役会長
- 2010年6月 テレビ東京取締役会長
- 2011年6月 テレビ東京取締役相談役
社長会見でのエピソード
- 月1回のペース(年9 - 10回)で行われる社長定例会見では、歯に衣着せぬ大胆発言をすることで有名。数あるキー局の定例会見の中でも記者の出席率が高く、その言動が注目された。
- 2001年、社長就任会見で、モーニング娘。ファンを表明。
- 2005年10月 - 楽天がTBSに経営統合を提案していることについて「エイリアンみたいな存在だと(提案を)断らざるを得ない」と提案を拒否するように求めた。
- 2006年6月 - 同年からホームゲームの中継を開始した巨人戦中継の放送権料を「放送時の順位によって放映権料を増減する制度にするべき」と提唱する。
- 2007年1月 - 関西テレビの「発掘!あるある大事典II」でのデータ捏造問題を巡って、キー局のフジテレビに対して「放送した以上、何らかの説明責任がある」と述べ、フジの対応を批判した。
- 「あるある」を制作した制作会社「日本テレワーク」は以前、同局の番組「教えて!ウルトラ実験隊」でもデータを捏造していたことが判明しており、同社を1年間の取引停止処分にしていた。
- 2007年5月 - 2011年の地上デジタル放送全面移行後のネットワーク拡大構想を明らかにし、その中で宮城県・広島県への新局開局、静岡県への新局開局もしくはテレビ愛知の放送エリア拡大、テレビ大阪の放送エリアを現在の大阪府域から京都府・兵庫県にまで拡大することを目指すと表明した(テレビ大阪の項も参照)。
脚注
外部リンク
- 定例社長会見(写真)
- 亀田批判のテレ東社長 記者にダントツ人気 - J-CAST(略歴参照元)