明和

提供: miniwiki
2018/8/5/ (日) 10:52時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版
移動先:案内検索

明和(めいわ)は日本元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇後桜町天皇後桃園天皇江戸幕府将軍は徳川家治

改元

当初1月28日改元の予定であったが、朝鮮通信使の来日中の改元は事務上の問題に加えて外聞の問題も生じるとして4ヶ月延期された[1]

出典

尚書』の「九族既睦、平章百姓、百姓昭、協万邦、黎民於變時雍。」から。

出典の「九族既に睦(むつ)みて、百姓(ひゃくせい)を平章(辨章 べんしょう)し、百姓昭にして、萬邦(ばんぽう)を協し、黎民(れいみん)於(おほ)いに變(しげ)り時(こ)れ雍(やはら)ぐ。」というこの言葉は、五帝の一人であるを称えたもので、「人々が、それぞれ仲良くして、身分や立場に見合った振る舞いを行い、徳を明らかにすれば、世界の共存繁栄がはかられ、国民は大いに栄え、また和合したのである。[2]」という意味である。

後の1926年にこれと同じ出典で、昭和の元号が制定された。

明和年間の出来事

脚注

  1. 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P260-262
  2. 今日の四字熟語 -No. 402 【百姓昭明】 ひゃくせいしょうめい (福島みんなのNEWS)