野洲川
野洲川(やすがわ)は、滋賀県を流れる淀川水系の一級河川。琵琶湖への流入河川では最長である。近江太郎の通称がある。
名称
『日本書紀』(天武天皇元年七月一三日条)には壬申の乱の際に「安河の浜」で合戦があったことが記述されている。『古事記』に「安国造(やすのくにのみやつこ)」の存在が書かれていることから、ここから河川名がついたという説がある。関連して『古事記』に登場する高天原の「天安河」を野洲川に比定する説(近江高天原説)も存在する。 また鎌倉期の『海道記』には「八洲川」の名称が登場し、野洲川河口はかつて派川が八つの洲を造っていたことから、これが転じて野洲川と呼ばれるようになったとも言われている。さらに、益須川の名称も見ることができる。 また、甲賀市水口町酒人で杣川と合流するが、これより下流は横田川と呼ばれていた。
地理
鈴鹿山脈の御在所山(標高1,210m)から発し、途中で野洲川ダムと青土ダムの2つのダムを経て甲賀市を西に流れる。湖南市南東と甲賀市の境界付近で杣川(そまがわ)が合流する。
杣川合流点からは北西に向きが変わり石部地先の狭窄部から扇状地を形成し、栗東市の北部、川を挟んで東岸の野洲市に三上山(近江富士、標高432m)がそびえる辺りから、やや北流へと転じる。下流域では概ね西岸が守山市、東岸が野洲市となり、守山市北部で琵琶湖へと注ぐ。河口よりやや西方に、対岸の大津市堅田と結ぶ琵琶湖大橋が架かる。河口は野洲川デルタを形成し、南流と北流に分かれていたが、1979年(昭和54年)6月2日に三角州を貫くように放水路が完成し、現在の流れとなった。
杣川流域から栗東市にかけてJR西日本草津線が、甲賀市から栗東市まで国道1号(東海道)が並行する。国道1号の通る土山(甲賀市)、水口(同)、石部(湖南市)は、それぞれ東海道五十三次の宿場町であった。水口はまた、幕末に至るまで水口藩2万5千石の城下町でもあり、石垣と堀が今も残る。
流域の自治体
主な支流
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脚注
関連文献
- 竹林征三、中済孝雄「野洲川の歴史洪水とその惨状に関する調査研究」、『土木史研究』第15巻、土木学会、1995年、 437-451頁、 doi:10.2208/journalhs1990.15.437。