世羅郡
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人口15,671人、面積278.14km²、人口密度56.3人/km²。(2018年4月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 世羅町(せらちょう)
Contents
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 三原市の一部(大和町萩原・大和町福田・大和町蔵宗・大和町篠・大和町上徳良・大和町下徳良)
- 府中市の一部(上下町松崎)
- 三次市の一部(甲奴町小童・甲奴町宇賀・三和町敷名・三和町上壱・三和町飯田・吉舎町徳市)
- 東広島市の一部(豊栄町飯田・豊栄町吉原)
- 世羅町の大部分(宇津戸を除く)
歴史
近世以降の沿革
- 甲山町、東神崎村、西上原村、小世良村、川尻村、東上原村、伊尾村、小谷村、松崎村、青近村、別迫村、堀越村、京丸村、青水村、津口村、小国村、篠村、蔵宗村、吉原村[1]、飯田村、上野山村[2]、敷名村、中村[3]、黒川村、上津田村、下津田村、長田村、徳市村、黒淵村、戸張村、安田村、小童村、宇賀村、山中福田村、壱歩村、中原村、赤屋村、井折村、本郷村[4]、寺町村、西神崎村、青山村、三郎丸村、重永村、賀茂村、萩原福田村、萩原村[5]、下徳良村、上徳良村、田打村
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての世羅郡が発足。「甲奴世羅三谿郡」役所が甲山町に設置され、甲奴郡・三谿郡とともに管轄。
- 明治15年(1882年) - 上野山村・壱歩村が合併して上壱村となる。(1町48村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(13村)
- 甲山村 ← 甲山町、西上原村、小世良村(現・世羅町)
- 三川村 ← 小谷村、伊尾村、川尻村、東上原村(現・世羅町)、松崎村(現・府中市)
- 東村 ← 別迫村、青近村、赤屋村(現・世羅町)
- 広定村 ← 小童村、宇賀村(現・三次市)
- 大見村 ← 戸張村、安田村、徳市村(現・世羅町)
- 津久志村 ← 黒淵村、山中福田村、津口村(現・世羅町)
- 小国村(単独村制。現・世羅町)
- 津名村 ← 敷名村(現・三次市)、上津田村、下津田村、長田村(現・世羅町)
- 上田村 ← 上壱村(現・三次市)、飯田村(現・東広島市、三次市)
- 吉川村 ← 吉原村(現・東広島市、世羅町)、中村、黒川村(現・世羅町)
- 神田村 ← 萩原村、萩原福田村、蔵宗村、篠村、上徳良村、下徳良村(現・三原市)
- 西大田村 ← 賀茂村、青水村、重永村、田打村、中原村、京丸村、堀越村(現・世羅町)
- 東大田村 ← 本郷村、井折村、寺町村、三郎丸村、青山村、東神崎村、西神崎村(現・世羅町)
- 明治29年(1896年)11月7日 - 上田村が改称して上山村となる。
- 明治31年(1898年)2月10日 - 甲山村が町制施行して甲山町となる。(1町12村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。郡役所が本郡単独となる。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)1月15日 - 津久志村が世羅町に編入。(3町1村)
- 昭和32年(1957年)6月10日 - 甲山町の一部(松崎)が甲奴郡上下町に編入。
- 昭和33年(1958年)10月10日 - 広定村が甲奴郡甲奴町と合併し、改めて甲奴郡甲奴町が発足。(3町)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 甲山町・世羅町・世羅西町が合併し、改めて世羅町が発足。(1町)
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 旧高旧領取調帳データベース