国立病院機構仙台医療センター
独立行政法人国立病院機構仙台医療センター(どくりつぎょうせいほうじんこくりつびょういんきこうせんだいいりょうセンター)は、宮城県仙台市宮城野区に所在する独立行政法人国立病院機構の病院である。
沿革
前史
明治4年4月23日(1871年6月10日)、府藩県三治制により既に国の直轄となっていた石巻県石巻に東山道鎮台の設置が決まるが、同年7月14日(8月29日)の廃藩置県により仙台藩が国直轄の仙台県になると、8月20日(10月4日)に同鎮台は廃止になって仙台県仙台に東北鎮台が設置された。このため、軍人・軍属の傷病に対応するための病院が仙台に設置された。
- 明治4年(1871年)、仙台鎮台病院が設置される[1][2]。所在地は、東北鎮台(1873年(明治6年)1月9日より仙台鎮台に改称)に隣接する仙台城二の丸北西の亀岡御殿辺り[1]。
- 1877年(明治10年)12月、外記丁(勾当台地区)の定禅寺跡地に移転[3][注釈 1]。
- 1890年(明治23年)、仙台衛戍病院に改称[2]。
のち、仙台陸軍病院に改称。
仙台医療センター
当地は宮城野原練兵場の北部にあたり、1933年(昭和8年)に仙台飛行場(現霞目駐屯地)が開港するまでは、飛行機の離着陸にも使われていた。
1937年(昭和12年)の日中戦争開戦に伴い、多数の傷痍軍人を収容するため戦争終了まで数年間の想定で当院は建てられた[2]。そのため、勾当台の仙台陸軍病院の本院に対し、宮城野にある当院は、『仙台陸軍病院臨時宮城野原分院』と称した。しかし、日中戦争の長期化に太平洋戦争開戦も重なって、当院は約千人の患者を収容するまでに増築が進む[2]。1945年(昭和20年)4月には本院に昇格して『仙台第一陸軍病院』と改称。同年7月10日には、仙台空襲で市街地は焼き尽くされ、元の本院がある勾当台地区も瓦礫の山となった。
戦後、当院は「国立仙台病院」と改称。独立行政法人通則法の施行により、厚生労働省の施設等機関から独立行政法人国立病院機構へ移行し、現在の名称となった。
- 1937年(昭和12年)、仙台陸軍病院臨時宮城野原分院として創設[注釈 2]。
- 1945年(昭和20年)
- 2004年(平成16年)4月、厚生労働省所轄から独立行政法人国立病院機構へ移行し、独立行政法人国立病院機構仙台医療センター(現称)に変更。
- 2016年(平成28年)10月28日、 東北大学病院と交代で駐機し、ドクターヘリの運航を開始[4]。
- 2019年(平成31年)、隣接する宮城野原公園総合運動場内にある宮城自転車競技場及び多目的広場跡地へ移転予定。
診療科
総合診療科、内分泌代謝内科、血液内科、腫瘍内科、神経内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、精神科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、乳腺外科、心臓血管外科、形成外科、小児外科、泌尿器科、皮膚科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科、歯科口腔外科、麻酔科、救急科、緩和ケア内科
指定等
- 地域医療支援病院
- がん診療連携拠点病院
- エイズ治療拠点病院
- 災害医療(東北ブロック防災拠点病院、宮城県基幹災害医療センター)
- 救急医療(救命救急センター)
- 地域周産期母子医療センター
- 臨床研修指定病院
アクセス
- 鉄道:JR仙石線・宮城野原駅出口3より徒歩約3分
- バス:仙台駅バスのりばから
- 駐車場
- 駐車可能台数:680台
- 患者・付き添い者は無料
- 患者・付き添い者以外は30分未満無料。30分以降は有料となるが、急激に高額になるので注意[5]。
周辺
- JR仙石線・宮城野原駅
- 仙台育英学園高等学校宮城野キャンパス
- 宮城野原公園総合運動場
- ドクターヘリの駐機場、格納庫、給油施設 - センターから搬送する際は救急車で公道を移動する
- 楽天生命パーク宮城(東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地球場)
- 仙台市陸上競技場(旧宮城陸上競技場) ほか
- 仙台国立病院前郵便局
- 東北本線支線(宮城野貨物線)・仙台貨物ターミナル駅
- 榴岡公園