堀切善次郎
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堀切 善次郎(ほりきり ぜんじろう、1884年(明治17年)9月2日 - 1979年(昭和54年)11月1日)は日本の政治家。堀切善兵衛は兄。
経歴
福島県出身。東京帝国大学卒業後、内務省に入省。内務監察官、兼内務省参事官・警保局保安課長兼図書課長などを歴任。1925年(大正14年)に神奈川県知事、翌年9月には復興局長官となる。1929年(昭和4年)4月に東京市長、翌年12月には拓務次官を務め、1932年(昭和7年)5月に成立した斎藤内閣において法制局長官に就任、翌年3月には内閣書記官長に転じて、同年12月に貴族院勅選議員に勅任された。その後、早稲田中学校校長を務める。
戦後幣原内閣で内務大臣を務め、1945年(昭和20年)10月23日、帝国議会に女性に選挙権と被選挙権を認める選挙法改正法案を提出、同年12月15日可決成立する。1946年(昭和21年)5月14日、貴族院議員を辞職[1]。同年に公職追放となるが、主権回復後の1954年(昭和29年)から15年にわたって東京都公安委員長を務めた。
栄典
- 1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章[2]
- 1933年(昭和8年)2月6日 - 勲二等瑞宝章[3]
- 1934年(昭和9年)6月21日 - 勲一等瑞宝章[4]
- 1969年(昭和44年)11月3日 - 勲一等旭日大綬章[5]
著書
- 『帝都市民諸君に寄す』
- 『早稲田中学校創立六十周年記念録』
- 『貴族院改革資料』巌松堂書店 1923
脚注
- ↑ 『官報』第5799号、昭和21年5月17日。
- ↑ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ↑ 『官報』第1830号「叙任及辞令」1933年2月7日。
- ↑ 中野文庫 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧
- ↑ 中野文庫 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧
公職 | ||
---|---|---|
先代: 山崎巌 |
内務大臣 第70代:1945 - 1946 |
次代: 三土忠造 |
先代: 柴田善三郎 |
内閣書記官長 第33代:1933 - 1934 |
次代: 河田烈 |
先代: 島田俊雄 |
法制局長官 第30代:1932 - 1933 |
次代: 黒崎定三 |
典拠レコード: