實好礼忠
{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} 實好 礼忠(さねよし のりただ、1972年10月19日 - )は、愛媛県南宇和郡出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
来歴
選手として
南宇和高校2年次に、第68回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。
1995年、立命館大卒業後にJリーグのガンバ大阪に加入(同期入団に宮本恒靖、森下仁志、中口雅史、高木健旨、松山明男)。
入団1年目から安定したプレーを武器にレギュラーポジションを獲得。1997年からの2年間はゲームキャプテンを任され、1998年にはリーグ戦フルタイム出場も記録している。
順調にキャリアを重ねて、左サイドバックのポジションでレギュラーを獲得していた2000年6月、練習中に右足アキレス腱を断裂し[1]選手生命の危機に瀕する(この欠場で出番を得たのが新井場徹である)。
2005年シーズン、4月16日の横浜F・マリノス戦にて213試合目にしてJリーグ初ゴールを記録。これは同年に桑原裕義によって更新されるまでフィールドプレーヤーとしては最も遅い初ゴールだった[2][3]。同年にはリーグ戦24試合に出場し、チームのリーグ初優勝に貢献する。リーグ優勝直前の11月末にクラブから同シーズン限りでの契約満了を通達されていたが、3週間後に再契約を打診される[4]。これは監督の西野朗の強い要望と、翌シーズンのACLへの参戦によるガンバ大阪の試合数増加を考慮してのものだった。
2006年から2シーズン、チームキャプテン(主将)を任される[5][6]。
2007年11月24日、ホーム最終戦ヴィッセル神戸戦の試合後のセレモニーにて同シーズン限りでの引退を発表した[7]。
指導者として
引退後の翌年、2008年はガンバ大阪のユースチームのコーチに就任。2009年シーズンよりガンバ大阪のトップチームのコーチを務める。2011年度にS級ライセンスを取得。2012年3月26日、セホーン監督らが解任され、松波正信新監督体制下でトップチームのヘッドコーチに昇格した[8]。
2013年シーズン終了後、契約満了に伴いガンバ大阪を退団[9]。同年12月19日、2014シーズンの名古屋グランパスのコーチ就任が発表される[10]。
2016年、古巣のガンバに復帰しこの年新設されたガンバ大阪U-23の監督に就任。2017年よりユースの監督を務めていたが、2018年7月、トップチームの監督に就任する宮本恒靖の後任として再びU-23の監督に就任[11]。
所属クラブ
ユース経歴
- 1988年 - 1990年 愛媛県立南宇和高等学校
- 1991年 - 1994年 立命館大学
プロ経歴
- 1995年 - 2007年 ガンバ大阪
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1994||立命大||||-||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 |- |1995||rowspan="13"|G大阪||rowspan="2"|-||rowspan="4"|J||31||0||colspan="2"|-||4||0||35||0 |- |1996||28||0||10||0||4||0||42||0 |- |1997||rowspan="11"|4||30||0||5||0||3||0||38||0 |- |1998||34||0||4||0||0||0||38||0 |- |1999||rowspan="9"|J1||28||0||4||0||0||0||32||0 |- |2000||3||0||0||0||0||0||3||0 |- |2001||1||0||0||0||3||0||4||0 |- |2002||15||0||4||0||1||0||20||0 |- |2003||15||0||5||0||2||0||22||0 |- |2004||22||0||7||0||4||1||33||1 |- |2005||24||1||7||0||0||0||31||1 |- |2006||4||0||0||0||4||0||8||0 |- |2007||1||0||1||0||0||0||2||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始236||1||47||0||25||1||307||2 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0||1||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終236||1||47||0||26||1||308||2 |} その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 1995年7月8日 サントリーシリーズ第22節 vsヴェルディ川崎
- 公式戦初得点 - 2004年11月13日 天皇杯4回戦 VSサガン鳥栖
- Jリーグ初得点 - 2005年4月16日 J1第6節 vs横浜F・マリノス
代表歴
- 1993年 - ユニバーシアード日本代表
タイトル
クラブ
- ガンバ大阪
- Jリーグ ディビジョン1:1回(2005年)
- ナビスコカップ:1回(2007年)
- ゼロックススーパーカップ:1回(2007年)
指導歴
- 2008年 - 2013年 ガンバ大阪
- 2008年 ユースコーチ
- 2009年 - 2012年3月 コーチ
- 2012年4月 - 2013年 ヘッドコーチ
- 2014年 - 2015年 名古屋グランパス コーチ
- 2016年 - ガンバ大阪
- 2016年 アシスタントコーチ兼U-23監督
- 2017年 - 2018年7月 ユース監督
- 2018年7月 - U-23監督
脚註
- ↑ “實好選手の手術について” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2000年6月13日), オリジナルの2001年1月27日時点によるアーカイブ。 . 2018閲覧.
- ↑ G大阪・実好、J史上最遅ゴール…頭で合わせた - ウェイバックマシン(2006年1月10日アーカイブ分) スポニチアネックスOSAKA
- ↑ G大阪実好、磐田戦でベンチ復帰へ - ウェイバックマシン(2006年7月23日アーカイブ分) なにわWEB 大阪日刊スポーツ新聞社
- ↑ “G大阪実好、戦力外からUターン就職”. 日刊スポーツ. (2005年12月17日). オリジナルの2008年12月9日時点によるアーカイブ。 . 2018閲覧.
- ↑ “2006年ガンバ大阪新体制発表!” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2006年1月28日) . 2018閲覧.
- ↑ “ガンバ大阪 2007年度 チーム新体制 選手一覧” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2007年1月30日) . 2018閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「G大阪071217
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “ガンバ大阪 コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. (2012年3月26日). オリジナルの2013年6月27日時点によるアーカイブ。 . 2012閲覧.
- ↑ “ガンバ大阪コーチングスタッフ契約満了のお知らせ”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. (2013年12月2日). オリジナルの2013年12月3日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “2014シーズントップチームコーチングスタッフのお知らせ”. 名古屋グランパスエイトオフィシャルサイト. (2013年12月19日). オリジナルの2013年12月19日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “宮本 恒靖U-23監督 トップチーム監督就任、實好 礼忠ユース監督 U-23監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2018年7月23日) . 2018閲覧.