「最上町」の版間の差分
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Contents
地理
人口
最上町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
- 今は合併して最上町となり、この地を指して「最上」と称する事がほとんどだが、昔は、今の最上町域を指して「小国郷」と呼ばれていた。今も、町内を流れる最上小国川にその名をとどめている。
- 戦国時代には、細川直元により小国城が築かれ、最上義光と敵対したが、万騎ヶ原の戦いで敗れて細川氏は滅亡し、最上領となった。
- 江戸時代は、最上家の改易により新庄藩領となる。向町に問屋場が置かれ、上方や松前から最上川舟運によって運ばれ、舟形街道の清水河港で陸揚げされた物資を中継し、堺田越を通って仙台藩へと輸送する重要な拠点となった。町東部の笹森には、新庄藩の笹森口留番所が置かれ、物資の監視を行った。
- 1889年(明治22年)4月1日
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 最上郡東小国村と西小国村が合併。最上町誕生。
- 1958年(昭和33年)1月8日 - 町章制定[1]。
行政
経済
- 最大の産業は、瀬見温泉や赤倉温泉の温泉や赤倉温泉スキー場でのスキー。その他、夏場の前森高原での自然体験など。2003年に「100万人交流促進条例」を制定し、交流人口拡大に力を入れている。宮城県が2008年10 - 12月に行う「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)」にも、県外ながら参加している。
- 食品加工工業・農業(町独自の産品としてアスパラガスやヤーコンの栽培に力を入れている)・畜産も盛んである。
- かつては「小国駒」と呼ばれた名馬の産地であった。新庄藩により奨励され、定期的に馬市が催され、東北一円に商われるほどの盛況を誇り、大日本帝国陸軍軍馬としても大いに用いられた。町内には、かつて軍馬補充部萩野支部があった。他にも、軍沢に多く居住し、『羽前の勘七』と称えられた「小国大工」、月楯、満沢、杉の入の鉱山があり、明治時代から昭和時代初頭にかけては繁栄していた。
- 商業の面では新庄市への依存度が高いが、町の中心部である向町にもある程度の商店が息づいており、町内で買い物を完結することはできる。近年、国道47号沿いにコンビニエンスストアの出店が増えている。休日に仙台市へ買い物に行く流れはあるが、日常の買い物で宮城県へ行くことは、ほとんどない。
- 隣接する宮城県の鳴子温泉地域と共同で日帰り入浴用の「湯めぐりチケット」を発行している[2]。
郵便局
- 最上郵便局(集配局)
- 瀬見郵便局
- 羽前赤倉郵便局
- 羽前大堀郵便局
金融機関
姉妹都市
教育
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
交通
最上町は、県外との交通においては、宮城県との関係が強い町である。最上町と他市町をつなぐ公共交通機関はJR陸羽東線のみである。
空港
鉄道路線
路線バス
道路
観光ほか
出身有名人
- 海和俊宏:元アルペンスキー選手。ワールドカップスキー スラローム競技日本人初の第一シード。
- 大場満郎:冒険家。
- ケーシー高峰:タレント・漫談家
- ビートきよし:タレント・漫才師
- 大石邦彦:CBCテレビアナウンサー
その他
- サッカー選手であるカカは、11歳の頃にサンパウロFCの下部組織の一員として交流試合でこの町を訪れた。カカは町内産のジャガイモが沢山入ったカレーライスをよく食べたといい、後にこの時のレシピにアスパラガスを加えた「カカカレー」なるご当地グルメが登場している。
関連項目
脚注
外部リンク
典拠レコード: