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+ | 軍港に在泊していた戦艦 8隻のうち 3隻が沈み,1隻が横転,残りは大破したほか,軽巡洋艦 3隻,駆逐艦 3隻,その他の艦艇が沈没あるいは大破した。航空機約 180機も炎上し,2300人以上のアメリカ将兵が戦死した。日本側の損害は,航空機 29機と[[特殊潜航艇]] 5隻であった。日本機動部隊の指揮官は[[南雲忠一]]中将。日本のアメリカに対する[[最後通牒]]は,攻撃が終わったのちにワシントンD.C.で[[野村吉三郎]]駐アメリカ大使によって[[コーデル・ハル]]国務長官に手交された。12月9日(アメリカ時間 8日),[[フランクリン・D.ルーズベルト]]大統領は議会で「汚辱の日として忘れられることがない 12月7日」と宣戦演説を行なった。真珠湾攻撃は,今日でもアメリカの国防戦略にきわめて大きな影響を与えている。1991年12月7日,真珠湾攻撃 50周年式典がハワイで行なわれ,[[ジョージ・H.W.ブッシュ]]大統領は日米の恒久的和解を呼びかける演説を行なった。 | ||
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+ | 2016年12月には[[安倍晋三]]内閣総理大臣がアメリカの[[バラク・オバマ]]大統領とともに真珠湾の追悼施設を訪れ,慰霊した。 | ||
== 脚注 == | == 脚注 == |
2018/8/9/ (木) 08:56時点における版
真珠湾攻撃 | |
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戦争: 太平洋戦争 | |
年月日: 日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明, ハワイ時間12月7日 | |
場所: アメリカ合衆国ハワイ州(当時はアメリカ合衆国の準州)オアフ島真珠湾 | |
結果: 日本の勝利と太平洋戦争突入 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 |
戦力 | |
航空母艦6隻 戦艦2隻 重巡洋艦2隻 軽巡洋艦1隻 駆逐艦9隻 特殊潜航艇5隻 艦上航空機350機他 |
戦艦8隻 重巡2隻 軽巡6隻 駆逐艦30隻 その他48隻 カタリナ哨戒機14機 基地航空機399機 |
損害 | |
未帰還機29機 損傷74機 戦死55 特別攻撃隊:未帰還5隻 戦死9 捕虜1 |
戦艦4隻沈没 戦艦1隻大破 戦艦1隻中破 戦艦2隻小破 軽巡洋艦2隻大破 軽巡洋艦1隻小破 駆逐艦3隻大破 標的艦1隻沈没 その他1隻沈没 その他1隻大破 その他1隻中破 その他1隻小破 航空機188破壊 航空機155損傷 戦死2,345 民間人死亡68 |
真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英: Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)
1941年12月8日未明(アメリカ合衆国時間 7日),日本海軍が行なったアメリカ合衆国ハワイ州の真珠湾軍港(パールハーバー)への奇襲攻撃。これによって太平洋戦争が始まった。
1941年11月26日千島列島の単冠湾(ひとかっぷわん)から出撃した『赤城』『加賀』『飛竜』『蒼竜』『翔鶴』『瑞鶴』(翔鶴型航空母艦)の 6隻の航空母艦を中心とする戦艦 2隻,重巡洋艦 2隻,軽巡洋艦 1隻,駆逐艦 9隻,補給艦からなる機動部隊がハワイ近くまで進出。現地時間 12月7日日曜日午前7時55分から 2回にわたって 360機の雷撃機,水平爆撃機,戦闘機をもって真珠湾在泊中のアメリカ太平洋艦隊艦艇,飛行場などを奇襲した。
軍港に在泊していた戦艦 8隻のうち 3隻が沈み,1隻が横転,残りは大破したほか,軽巡洋艦 3隻,駆逐艦 3隻,その他の艦艇が沈没あるいは大破した。航空機約 180機も炎上し,2300人以上のアメリカ将兵が戦死した。日本側の損害は,航空機 29機と特殊潜航艇 5隻であった。日本機動部隊の指揮官は南雲忠一中将。日本のアメリカに対する最後通牒は,攻撃が終わったのちにワシントンD.C.で野村吉三郎駐アメリカ大使によってコーデル・ハル国務長官に手交された。12月9日(アメリカ時間 8日),フランクリン・D.ルーズベルト大統領は議会で「汚辱の日として忘れられることがない 12月7日」と宣戦演説を行なった。真珠湾攻撃は,今日でもアメリカの国防戦略にきわめて大きな影響を与えている。1991年12月7日,真珠湾攻撃 50周年式典がハワイで行なわれ,ジョージ・H.W.ブッシュ大統領は日米の恒久的和解を呼びかける演説を行なった。
2016年12月には安倍晋三内閣総理大臣がアメリカのバラク・オバマ大統領とともに真珠湾の追悼施設を訪れ,慰霊した。