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シャルル・ピエール・フランソワ・オージュロー(Charles Pierre François Augereau,1757年10月21日 - 1816年6月12日)は、フランス革命戦争・ナポレオン戦争期の軍人。
Contents
若き日々
1757年、パリで果物露天商の母、煉瓦工の父との間に生まれる。初等教育を受けた上、母がドイツ語を話せた為にドイツ語にも堪能だったと言う。色々な職を転々とするがあまり馴染めず、16歳の時にクレア歩兵連隊に入隊。だが粗暴で喧嘩早いこともあり2年で除隊を受ける。その後剣の腕を見込まれてアルトワ伯爵竜騎兵連隊へ入隊し、決闘を繰り返して無敵を誇り剣豪として知られるようになるが、1776年頃に士官を殺してしまいスイスへ逃亡する。ジュネーブから黒海沿岸まで行き、ロシア軍に入隊してオスマン帝国と戦った。しかしここからも逃亡し、プロイセン軍に入隊。戦闘経験を買われてハインリヒ王子連隊や近衛連隊の下士官として在籍した。だがここでも軍に不満を持ち(当時プロイセンは敵国だったフランス人を昇進させなかった)脱走。武装した仲間と共に隣国ザクセン王国へ逃亡し、ドレスデンで野に下っていたが、フランスの王子誕生の恩赦に帰国を許されてブルゴーニュ竜騎兵連隊に復帰。その後カラビニエ騎兵連隊の剣術教官に任命される。更に2年後、軍事顧問団の一員としてナポリ王国入りを果たし、少尉に昇進(単に脱走したとの説もあり)。そのまま妻ガブリエルとリスボンへ駆け落ちする。1788年から1790年はポルトガルに滞在していたがフランス革命の勃発(革命派の国外退去命令)に伴ってフランスに帰国した。
フランス革命戦争
フランス革命戦争に際して、彼はヴァンデの反乱の鎮圧や南下してスペイン軍との戦いに赴いた。彼は瞬く間に昇進し1793年の12月23日には師団長となった。彼の師団はイタリアに派遣されてナポレオン・ボナパルトの指揮下に入った。1796年3月のミレッシモの戦いや同年4月14日コッセーリアの攻囲、8月5日のカスティリオーネの戦いでの活躍はナポレオンに賞賛された。1797年に総裁政府への支援のためにナポレオンによってパリに戻され、フリュクティドール18日のクーデターで活躍した後、ドイツ国境へと派遣された。
ライン川方面にいたため、1799年11月のブリュメールのクーデターではほとんど役割を担わなかった。1804年5月19日、ナポレオンに請われて元帥杖を受け取りフランス第一帝政最初の元帥となっている。
ナポレオン戦争
イギリスへの侵攻のために彼はブルターニュ地方のブレストに集結した。イギリスへの侵攻が中止されて、オーストリア、ロシア軍との対決を前にして彼の指揮する大陸軍第7軍団はブレストを根拠地とした。
彼の軍団は第三次対仏大同盟との戦いではコンスタンツ、ブレゲンツで戦った。
第四次対仏大同盟との戦いでも第7軍団長として働き、イエナ・アウエルシュタットの戦いでは左翼を任された。
1807年2月7日に行われたアイラウの戦いでは熱を出したまま勇敢に指揮をとったが、彼の軍団は大損害を受けまた彼も重傷を負った。
1808年3月19日にカスティリオーネ公(彼が活躍した1796年の戦闘の名前から)とされた。(1915年までこの称号は彼の子孫に受け継がれた。)
その後半島戦争にも参加しカタロニア地方で作戦を行い、いくらか成功を収めた。1812年ロシア戦役や翌1813年の諸国民戦争にも参加したがそこではあまり目立った活躍を見せることはなかった。
1814年のフランス戦役ではリヨンの防衛を任されたが、オーストリア軍の侵攻に抵抗することなく明け渡している。
ルイ18世の王政復古にあたって、王政に忠誠を誓ったが、百日天下の際にはナポレオンになびいた。しかしナポレオンは彼を拒絶している。ワーテルローの戦いの後、ルイ18世の再復古にあたり、彼は称号と年金を取り上げられた。死後ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
関連書籍
- Koch, Mémoires de Masséna
- Bouvier, Bonaparte en Italie
- Count A. F. Andreossi, La Campagne sur le ..., 1800 - 1801
- Baron A. Ducasse, Précis de la campagne de ... de Lyon en 1814
- Marbot, Mémoires
For the battle of Castiglione in particular, see: Boycott-Brown, M. "The Road to Rivoli, Napoleon's First Campaign", London, Cassell, 2001