「570年代」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(関連項目)
 
(1版 をインポートしました)
 
(相違点なし)

2018/10/14/ (日) 01:18時点における最新版

千年紀: 1千年紀
世紀: 5世紀 - 6世紀 - 7世紀
十年紀: 540年代 550年代 560年代 - 570年代 - 580年代 590年代 600年代
: 570年 571年 572年 573年 574年 575年 576年 577年 578年 579年

570年代(ごひゃくななじゅうねんだい)は、西暦ユリウス暦)570年から579年までの10年間を指す十年紀

できごと

571年

  • 新羅に使いを遣わし、任那(みまな)滅亡の理由を問う。欽明天皇、任那再興の詔を遣わして没する(紀)。

572年

  • 4月3日 - 渟中倉太珠敷皇子、敏達天皇として即位( - 585年9月14日(敏達天皇8月15日))。
  • 王辰爾(わうじんに)、高句麗上表文を解読する。高句麗の使人、帰国する(紀)。

574年

  • 高句麗の使人、越に来着し、上京する。蘇我馬子吉備に使わし、白猪屯倉(しらいのみやけ)と田部を充実させ、田部の名籍を白猪史胆津(いつ)に与える(紀)。

575年

  • 新羅と任那に使いを送る。新羅、多々羅・須奈羅・和蛇・発鬼の四邑の調を献ずる(紀)。

576年

577年

  • 北周が北斉を滅ぼし華北(中国北部)を統一する。
  • 日祠部(ひのまつりべ)・私部(きさいちべ)を置く。百済に使いを遣わす。百済の威徳王、経綸と律師・禅師・比丘尼・呪禁師・造仏工・造寺工の6人を贈る(紀)。

578年

  • 四天王寺建立のため、聖徳太子の命を受けて百済より三人の宮大工が招かれ、その宮大工の一人、金剛重光が「金剛組」を創業。

579年

  • 新羅、調と仏像を贈る(紀)。

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク