「大規模小売店舗法」の版間の差分
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大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律 | |
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日本の法令 | |
通称・略称 | 大店法 |
法令番号 | 昭和48年10月1日法律第109号 |
効力 | 廃止 |
種類 | 法律 |
主な内容 | 大規模小売店舗の配置及び運営方法について |
関連法令 | 大規模小売店舗立地法 |
条文リンク | 愛大六法 |
大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(だいきぼこうりてんぽにおけるこうりぎょうのじぎょうかつどうのちょうせいにかんするほうりつ、昭和48年10月1日法律第109号)とは、大規模小売店舗の商業活動の調整を行なう仕組みを定めた日本の法律である。略称大店法(だいてんほう)。2000年(平成12年)6月1日廃止。
Contents
概要
1973年(昭和48年)10月1日に制定され、翌1974年(昭和49年)3月1日に施行された、「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」とした法律。
百貨店、量販店などといった大型店の出店に際して、この法律に基づき「大規模小売店舗審議会」(大店審)が審査を行う(いわゆる「出店調整」)仕組みを定めている。この法律で調整できるのは開店日、店舗面積、閉店時刻、休業日数の4項目(いわゆる調整4項目)に限られるが、特に問題とされ紛争となったのは「店舗面積」である。
対象となる大型店には2つの区分が設けられた[1]。
この店舗面積規制を逃れるために、各地でロードサイド店舗を500m2未満の店舗面積で進出する例が見られた。地方公共団体の中には大店法の調整対象とならない500m2未満の進出を規制する「上乗せ規制」条例を行うところも出てきて、これもまた問題となった。
なお、この大規模小売店舗法はそれまであった第二次の百貨店法[4]を廃止して誕生したものである。旧百貨店法は、床面積の合計が1,500m2以上の営業を行う店舗を規制対象としていた。ところがこの規制を逃れるため階毎に別の会社で運営する形の大型店(擬似百貨店)が各地に出現し、問題となった。そこで、大規模小売店舗法を制定して建物を対象とした規制を導入し、企業を対象にした百貨店法の規制を廃止することとされたものである[5]。
規制の緩和から廃止へ
本来、この法律は地域小売商業者を保護するためのものではなく消費者の利益と中小小売店の利益のバランスを目ざしたものであった。しかしながらこの法律に基づく出店調整においては地元の商工会議所(または商工会)の意見を聴くことが定められ、それに沿って調整が進められた。この商工会議所の意見を定めるための調査審議機関が、商業活動調整協議会(商調協)である[5]。
商調協は商業関係者、消費者、そして中立の立場に立つ学識経験者の三者によって構成され三者の一致によって審議を進める方法がとられた。商業関係者は地元商業者の代表であり、既存の中小零細商業者で構成される商店街組織の代表や既存大型店の代表も含まれる。このため商調協は、既存の商店主やすでに進出済みの大型店に対し出店に反対するという一種の既得権を与えることになった。
このような既存の商店街や大型店の既得権益の擁護にもつながる運用が可能であることから、大店法は運用面で様々な問題が生じ、店舗網の拡大を目ざす流通業界からは改善を求める声が出されていた。
この法律を改正し、さらに廃止に追い込んだのは、日本国内の大手流通業界[6]ではなく、日本市場の開放を求めるアメリカ合衆国連邦政府の「外圧」であった[7]。日米の貿易格差を縮小する目的で行われた日米構造協議において1990年2月に、アメリカ合衆国が「大規模小売店舗法(大店法)は非関税障壁で、地方公共団体の上乗せ規制条例を含めて撤廃すべきだ」と要求し[8]、この問題が協議の焦点のひとつとなった。
当時、設立されたばかりの日米合弁会社である日本トイザらスが、日本進出第1号店として新潟市への出店を計画していたが、大型店の出店に反対する地元商店街の意向を受け、事実上の大型店出店凍結により進出の見通しが全く立たないままであった[9]。4月に入ると、アメリカ合衆国は「法律があろうとなかろうと、アメリカ合衆国の企業が日本で店を開くことができるようになるのであれば、構わないという見方もある」と、柔軟な態度を示した[10]。
この結果、4月に発表された日米構造協議の中間報告で「現行大店法の枠組みの中で法律上実施可能な最大限の措置である下記の運用適正化措置を実施する」として、出店調整処理期間の短縮や出店調整手続き・機関の明確化・透明化、地方公共団体の独自規制の抑制が合意された。合意を受け、翌1991年に行われた大規模小売店舗法の改正で、これまで商工会議所(商工会)に置かれて大型店の出店を扱っていた商業活動調整協議会(商調協)が廃止されることとなった。これ以降、大店法の運用は大幅に緩和され、各地で大規模なショッピングセンターの進出が進むこととなる。
その後、1995年に入ると、今度はコダックが日本だけ市場占有率が低いのは富士フイルムが排他的な市場慣行を利用しているためであり、大店法もそのひとつだ、と問題にした、いわゆる「日米フィルム紛争」が始まった。この問題は二国間交渉では決着せず、1996年に世界貿易機関(WTO)に持ち込まれ、紛争処理小委員会(パネル)が設置された。
WTOパネルは、1998年1月に日本側の主張をほぼ全面的に認めて、アメリカ合衆国の訴えを退ける最終報告を行った[11]。このように日米フィルム紛争は日本側の勝利に終わったものの、その過程において、大店法にWTO違反の「疑い」があることは否定できないことも明らかとなった[12]。そこで日本国政府は、大店法を廃止する方針を定め、問題はそれに伴って危惧される、商店街の衰退をどの様にして防ぐかという点に移った。
こうして、1998年の第142回国会において、大型店を規制する考え方から転換し、大型店と地域社会との融和の促進を図ることを目的とし店舗面積等の量的な調整は行わない「大規模小売店舗立地法」(大店立地法)が成立し、この新法により「大店法」は廃止されることとなった。同時に中心市街地の空洞化を食い止めるため新たに「中心市街地活性化法」が制定され、都市計画の面からも規制を強化しようと「都市計画法」が一部改正された。
これら3つの立法は相互に関連しているので、第142回国会では、大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法と改正都市計画法の3法がまとめて「まちづくり3法」と呼ばれた。これら3法のうち、中心市街地活性化法と改正都市計画法は速やかに施行された。一方、大規模小売店舗立地法は大型店進出に対する中心市街地の体力が強化されるのを待つ必要があるとして、2年後の2000年6月1日に施行されており、この時点で大店法も廃止された。
ギャラリー
出典等
- ↑ 施行当初から1979年5月の改正までは第一種・第二種の区別はなく、一定の面積以上の小売店は「大規模小売店舗」とされ、建物の表示板も同様の表示となっていた(画像ギャラリー参照)。
- ↑ 1992年1月の改正までは1,500m2
- ↑ 1992年1月の改正までは3,000m2
- ↑ 第一次の百貨店法は戦前に制定され、戦後GHQの指示によって廃止された。
- ↑ 5.0 5.1 日本商工会議所『商調協の手引き』1985年改訂版
- ↑ ダイエー、イトーヨーカ堂、ジャスコなど。
- ↑ ライフストアが「大店法は憲法違反」と主張して提訴したのは1990年3月で、アメリカが大店法の廃止を要求した後である。この訴えは、1991年の大店法改正を受けて取り下げられた(1991年5月9日の朝日新聞など)
- ↑ 1990年2月23日の朝日新聞
- ↑ 1990年3月27日の朝日新聞
- ↑ ロバート・モスバカー商務長官の発言。朝日新聞 1990年4月4日付による
- ↑ 1998年1月31日の朝日新聞夕刊
- ↑ 1998年4月24日の衆議院商工委員会における岩田満泰政府委員の答弁