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テーレポス(古希: Τήλεφος, Tēlephos, ラテン語: Telephus)は、ギリシア神話の人物であり、小アジアのミューシアの王である。長母音を省略してテレポスとも表記される。
ヘーラクレースとアルカディアのテゲアーの王アレオスの娘アウゲーの子。トロイア王ラーオメドーンの娘アステュオケーを妻とし、エウリュピュロスをもうけた[1]。あるいはミューシアの王テウトラースの娘アルギオペー[2]、プリアモスの娘ラーオディケーを妻にしたとも[3]、またヒエラーという妻がいたともいわれ、[4]、彼女との間にタルコーンとテュレーノスをもうけたという[5]。
テーレポスは幼いころに捨てられたが、後に母と再会しミューシアの王となった。トロイア戦争においてはギリシア軍がトロイアと間違えてミューシアを攻撃したさいにこれと戦ったが、その後両者は和解し、ギリシア軍がトロイアに航海できたのはテーレポスが案内したおかげだとされる。
Contents
神話
テーレポスの誕生
かつてテゲアーの王アレオスはデルポイで神託を授かったとき、自分の息子たちが娘アウゲーの生んだ子供に殺されると告げられた。このためアレオスはアウゲーをアテーナー・アレアー神殿の女神官とし、アウゲーにもし男と通じたら殺すと言った。ところが英雄ヘーラクレースがテゲアーにやってきたとき、アレオスはアテーナーの神殿でヘーラクレースをもてなしたが、酒に酔ったヘーラクレースはアウゲーに欲情して犯してしまい、アウゲーは子を身ごもった。[6]。後にアウゲーは密かに子を出産し、神殿内に隠した。しかしこの行為がアテーナーの怒りに触れ、テゲアーは疫病が流行した。あるいは飢饉に見舞われたともいわれる。アレオスが神託に原因を尋ねると、神殿内に原因があると告げられた。そこでアテーナーの神殿を調べるとアウゲーの生んだ赤子が見つかった。アレオスは赤子をパルテニオン山に捨て、アウゲーを罰するためにナウプリオスに引き渡した。しかしナウプリオスはアウゲーをミューシアの王テウトラースに与え、テウトラースは彼女を妻とした。一方、赤子は神の意思によって牝鹿に養われ、牧人に発見されて育てられた[7]。そのさい、赤子は牝鹿(エラポス)にちなんでテーレポスと名づけられたという[8]。
その他にもテーレポスの誕生には多くの別伝がある。ヒュギーヌスによると、アウゲーは密かにパルテニオン山で子を生んで捨てた。アウゲーはさらに父を恐れてミューシアのテウトラース王のもとに逃げ、テウトラースは彼女を自分の娘とした。同じころ、アルカディアの女戦士アタランテーも自分の子をパルテニオン山に捨てた。そこで牧人たちは子供たちを見つけ、アウゲーの子を牝鹿にちなんでテーレポスと名づけ、アタランテーの子は彼女が実際は処女ではなかったことにちなんでパルテノパイオスと名づけて育てた[9]。
アルキダマースによると、アレオスはアウゲーが妊娠しているのを見つけ、海で溺死させるべくナウプリオスに引き渡した。しかしパルテニオン山を通ったとき、アウゲーが赤子を出産し、それを見たナウプリオスは2人をミューシアのテウトラース王のところに連れて行ったという[10]。
さらにシケリアのディオドロスによれば、アウゲーはナウプリオスともにパルテニオン山を通ったときに密かに子を生んで捨てたといい、アウゲーはテウトラース王のところに連れて行かれた。一方の赤子は牝鹿に養われているのを牧人に発見され、牧人はコリュトス王に赤子を渡し、王によってテーレポスと名づけられて育てられたという[11]。
青年時代
成長したテーレポスは母に会いたいと思い、神託に告げられてミューシアのテウトラース王のところに行った。そこでアウゲーと再会し、またテウトラースに後継者がいなかったので、ミューシアの王権を継いだとされる[12]。
ヒュギーヌスによればテーレポスがミューシアにやってきたとき、テウトラースはイーダースの軍に攻撃されていた。そこでテウトラースはテーレポスに、もしイーダースを追い払ってくれたら、王国と、養女としていたアウゲーをテーレポスの母とは知らずに妻として与えると約束した。そこでテーレポスはパルテノパイオスとともにイーダースと戦って勝利し、ミューシアの王となり、テーレポスとアウゲーはお互いが母子と知らずに結婚した。しかしアウゲーはこの結婚を受け入れておらず、アウゲーは新婚の部屋に入ったとき、剣を隠し持ってテーレポスを殺そうとした。ところが部屋の中に神の遣わした大蛇が現れたため、アウゲーは驚いて剣を大蛇に向かって投げた。アウゲーの企てを知ったテーレポスは彼女を殺そうとしたが、アウゲーがヘーラクレースに祈ったため、テーレポスは彼女が自分の母であることを悟った[13]。
テーレポスはまた祖父アレオスの授かった神託どおりに自分の伯父たちを殺したとも言われる[14]。
トロイア戦争
後にトロイアの王子パリスがスパルタの王妃ヘレネーを誘拐したとき、ギリシア軍はミューシアをトロイアと間違えて攻撃した。そこでテーレポスはギリシア軍と戦って敗走させ、ボイオーティアの武将テルサンドロスを討った。しかしアキレウスに反撃され、退却するときにブドウのつるに絡まったところをアキレウスのトネリコの槍で太腿に深手を負わされた[15]。一説によるとこの戦いでブドウのつるに絡まったのはオデュッセウスであり、それを見たテーレポスはオデュッセウスを討とうとしたが、アキレウスは槍をテーレポスの太腿に投げつけ、深手を負わした[16]。
また別の説によると、ギリシア軍は意図的にミューシアを攻撃したとされる。そこでギリシア軍に参加していたトレーポレモスはテーレポスと同じヘーラクレースの子だったので、密かにテーレポスにギリシア軍の攻撃を知らせた。そこでテーレポスは国中から兵を集めて大軍団を組織し、ギリシア軍と戦った。しかし彼とともに出陣した妻のヒエラーはニーレウスに討たれ、またテーレポスもプローテシラーオスに楯を奪われたためにアキレウスによって深手を負わされたという[17]。
ギリシア軍との和解
テーレポスはギリシア軍との戦いの後、どうしても太腿の傷が癒えず、ひどい痛みに苦しめられたため、神託に傷を癒す方法をたずねた。するとアポローンは傷をつけた者の槍によって癒されると告げた。そこでテーレポスは密かにギリシアに渡り、乞食に変装して、トロイアを攻撃すべく再集結しているギリシア軍の中にもぐりこんだ。そしてクリュタイムネーストラーに助言されて幼いオレステースを人質に取り、傷を癒すことを要求した。しかしギリシア軍はテーレポスの案内がなければトロイアに航海できないと神託で告げられていたので、喜んでテーレポスの要求に同意した。そこでアキレウスが槍の穂先から錆を取るとテーレポスの傷は癒え、テーレポスはギリシア軍にトロイアへの航路を教えた。ギリシア軍はテーレポスに自分たちとともに戦うことを求めたが、テーレポスは妻がプリアモスの姉妹アステュオケーであることを理由に断り、ギリシア軍を案内したのちにミューシアに帰国した。[18]。その後テーレポスはトロイア戦争で戦わなかったが、その子エウリュピュロスはトロイアに味方して戦い、ニーレウスや、医術の神アスクレーピオスの子マカーオーンを討った[19]。
ペルガモンの伝承
パウサニアスによるとペルガモンの人々はテーレポスに従って小アジアに移住したアルカディア人であったと伝えられる。ペルガモンのアスクレーピオス神殿では行事の初めにテーレポスの讃歌が唱えられたが、子のエウリュピュロスはアスクレーピオスの子マカーオーンを殺したために讃歌はもとより名を呼ぶこともはばかられたとされ、またテーレポスを供養した者は沐浴しなければ神殿内に入ることができなかったという[20]。
系図
テーレポスとギリシア悲劇
古代ギリシアの悲劇作家たちはテーレポスの物語を題材に多くの悲劇作品を書いたことが知られている。アイスキュロス、ソポクレース、エウリーピデースはいずれもテーレポスを題材に悲劇作品を書き、特にソポクレースは『テーレペイア』という3部作ないし4部作の悲劇を書いた。アリストテレースは『詩学』の中でテーレポスを扱った『ミューシアの人々』という作品について言及しているが[21]、アイスキュロス、ソポクレースともに同じタイトルの作品があって、いずれを指すかはわからない。その他にもイオポーン、アガトーン、クレオポーン、モスキオーン、エンニウス、アッキウス、ディーノロコス、リントーンが『テーレポス』というタイトルの悲劇を書いた。これらはいずれも散逸し、わずかな断片以外現存していない。以下に挙げるのは3大悲劇詩人の作品である。
- アイスキュロス
- 『ミューシアの人々』:母アウゲーとの再会を扱ったと考えられている。断片が少なく詳細は不明。
- 『テーレポス』:断片は少ないが、アリストパネース『アカルナイの人々』の古註から、テーレポスが傷を癒すためにギリシア軍のところにやってきた話を扱ったことがわかっている。
- ソポクレース
- 『アレオスの子供たち』:テーレポスがアレオスの子供たちを殺した話を扱ったと考えられている。比較的多くの断片が残されている。
- 『ミューシアの人々』:母アウゲーとの再会を扱ったと考えられている。ヒュギーヌスの第100話はこの劇に由来する可能性がある。
- 『テーレポス』:現存する断片はわずか1語のみで、その内容は不明。サテュロス劇ともいわれる。
- 『テーレペイア』:通常上記3作をもって『テーレペイア』の3部作であると考えられているが異論もある。
- エウリーピデース
- 『アウゲー』:この劇についてはアルメニアの歴史家ホーレンのモーセースが物語の筋を伝えているほか[22]、パピルスの古伝梗概が断片的に残されている。それらによるとテーレポスの誕生を扱ったとされる。
- 『テーレポス』:比較的多くの断片が残されており、それらによるとテーレポスは傷を癒すためにギリシア軍のところにやってきた話を扱ったことがわかっている。
脚注
- ↑ スミュルナのコイントス、6巻。クレータのディクテュス、2巻5。
- ↑ シケリアのディオドロス、4巻33・12。
- ↑ ヒュギーヌス、101。
- ↑ ピロストラトス。
- ↑ リュコプローン。
- ↑ アルキダマース『オデュッセウス』14。
- ↑ アポロドーロス、2巻7・4、3巻9・1。
- ↑ アポロドーロス、3巻9・1ほか。
- ↑ ヒュギーヌス、99。
- ↑ アルキダマース『オデュッセウス』14。
- ↑ シケリアのディオドロス、4巻33・7~33・12。
- ↑ アポロドーロス、3巻9・1。
- ↑ ヒュギーヌス、100。
- ↑ ヒュギーヌス、244。
- ↑ アポロドーロス、摘要(E)3・17。
- ↑ クレータのディクテュス、2巻3。
- ↑ ピロストラトス。
- ↑ ヒュギーヌス、101。アポロドーロス、摘要(E)3・20や、エウリーピデース『テーレポス』断片も参照。
- ↑ スミュルナのコイントス、6巻。
- ↑ パウサニアス、1巻4・6、3巻26・10、5巻13・3。
- ↑ アリストテレース『詩学』1460a32。
- ↑ ホーレンのモーセース『弁論訓練のための実例集』。
参考文献
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- 『ギリシア悲劇全集10 ―アイスキュロス断片』、岩波書店(1991年)
- 『ギリシア悲劇全集11 ―ソポクレース断片』、岩波書店(1991年)
- 『ギリシア悲劇全集12 ―エウリーピデース断片』、岩波書店(1993年)
- 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語』岡三郎訳、国文社(2001年)
- パウサニアス『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- ピロストラトス『英雄が語るトロイア戦争』内田次信訳、平凡社ライブラリー(2008年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店(1960年)