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'''火山列島'''(かざんれっとう)は、[[小笠原諸島]]に属する列島。'''硫黄列島'''(いおうれっとう)とも呼ばれる。[[東京]]と[[グアム]]の中間のあたり、[[経度|東経]]141-143度、[[緯度|北緯]]24-26度付近に位置する。[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]、[[北硫黄島]]、[[南硫黄島]]からなる。[[西之島]]を含めることもある。
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'''火山列島'''(かざんれっとう)
  
「火山列島」の名の通り、この3つの[[島]]は深海底からそそり立つ海底火山で、最高は南硫黄島の海抜916mだが、[[富士山]](約548[[立方メートル|km<sup>3</sup>]])を凌ぐ[[体積]]を持つ。北硫黄島及び南硫黄島の[[噴火]]記録はなく、活発な[[活火山]]であるとは言えない。ただし、硫黄島には明らかな[[地熱|地熱現象]]と[[隆起と沈降|隆起現象]]が見られる。周辺には大きな[[海山]]が少なくない。
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小笠原(おがさわら)諸島の南南西方洋上にあり、北硫黄島(きたいおうとう)(最高点792メートル、面積5.57平方キロメートル)、硫黄島(169メートル、23.16平方キロメートル)、南硫黄島(916メートル、3.54平方キロメートル)の3火山島からなる。東京都小笠原支庁小笠原村に属する。硫黄列島ともいう。東日本火山帯に属し、硫黄島には平坦(へいたん)地があるが、ほかは鋭い円錐(えんすい)形で、海食崖(がい)が発達。硫黄島内や、他の2島付近の海底ではしばしば噴火し、南硫黄島付近では新島も出没する。この3島は1543年(天文12)以降、スペイン軍艦など、欧米人によって認められたが、長く無住、無主だった。1887年(明治20)東京府知事による探査が行われ、1889年ごろから日本人が漁業や硫黄採取を始め、1891年に小笠原島庁所管となった。サトウキビやコカの栽培も行われ、1944年(昭和19)には人口1254を数えたが、第二次世界大戦で内地へ引き揚げた。1945年2~3月、硫黄島の攻防戦で日本軍は全滅し、アメリカ軍が占領したが、1968年(昭和43)に小笠原諸島とともに返還された。現在、硫黄島には、おもに海上・航空自衛隊員が駐在しているが、他の2島は無人島である。
 
 
== 火山列島の島々 ==
 
{|class=wikitable
 
!島!!緯度!!経度!!体積(km<sup>3</sup>)
 
|-
 
|北硫黄島||北緯 25.448||東経 141.241||3,338
 
|-
 
|硫黄島||北緯 24.703||東経 141.367||1,412
 
|-
 
|南硫黄島||北緯 24.226||東経 141.465||1,271
 
|}
 
※数値は「[http://www.geo.chs.nihon-u.ac.jp/tchiba/volcano/index.htm 日本の第四紀火山カタログ]」、「[http://www.geo.chs.nihon-u.ac.jp/tchiba/volcano/kaz-table.htm 火山データベース]」に基づく。
 
 
 
== 歴史 ==
 
 
 
紀元1世紀頃、[[石野遺跡]]の調査により、北硫黄島に人が定住していたことが分かっているが、文化の源流については[[ミクロネシア]]なのか、それとも縄文文化に属する人なのかなど、よく分かっていない。
 
 
 
1543年<ref>環境庁自然保護局編 『南硫黄島の自然』財団法人[[日本野生生物研究センター]]、1983年 14 頁</ref>に[[スペイン]]のサン・フアン号により目撃され、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島の三島を総称して「ロス・ボルカネス(Los Volcanes、火山諸島の意)」と名づけられた。また、[[1779年]]に[[ジェームズ・クック]]の部下である{{仮リンク|ジョン・ゴア|en|John Gore (Royal Navy officer, died 1790)}}がディスカバリー号とレゾリューション号により、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]を目撃している<ref>環境庁自然保護局編 『南硫黄島の自然』財団法人[[日本野生生物研究センター]]、1983年 14 頁</ref>。
 
 
 
その後、[[1887年]]に[[横尾東作]]・[[東京都知事一覧|東京府知事]][[高崎五六]]らが汽船[[明治丸]]で硫黄島を視察。[[依岡省三]]の働きかけによって[[1891年]][[9月]]、勅令で正式に[[大日本帝国|日本]]の所轄となる。[[1893年]]からは硫黄島で[[硫黄]]の採掘が始まった。
 
 
 
[[1899年]]に[[北硫黄島]]、[[1904年]]に硫黄島への入植・定住が始まり、[[1940年]]に[[東京府]][[小笠原支庁]][[硫黄島村]]が設立された。
 
 
 
[[太平洋戦争]]勃発が近くなると、[[日本軍]]は硫黄島の防備を強化し、[[1933年]]に[[滑走路]]を設置した。[[1937年]]にはそれを拡大整備し、千鳥飛行場となった。さらに[[1941年]]からは硫黄島の[[砲台]]の設置工事が始まった。
 
 
 
太平洋戦争が勃発して2年半後の[[1944年]][[6月15日]]より[[アメリカ軍]]による[[空襲]]が始まり、北硫黄島と硫黄島の住民1,094名は[[7月16日]]までに全員本土([[内地]])に強制[[疎開]]させられた。
 
 
 
そして、[[1945年]][[2月19日]]にアメリカ軍は第4・5海兵師団を硫黄島に上陸させた。戦闘は[[3月26日]]まで続いたが、最終的にアメリカ軍が同島を[[占領]]した([[硫黄島の戦い]])。
 
 
 
両軍の損害は、日本軍は[[栗林忠道]]陸軍大将以下約20,000名が戦死し、1,033名が負傷した。アメリカ軍も約7,000名が戦死し、約20,000名が負傷した。死傷者数ではアメリカ軍が日本軍を上回ったが、陸上の戦闘においてアメリカ軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦闘は、[[ペリリュー島]]とこの硫黄島の戦いのみである。
 
 
 
戦後、火山列島は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の施政権下に置かれたが、[[1968年]]に小笠原諸島と共に[[日本]]に返還された。しかし[[1984年]]、小笠原諸島振興審議会具申により旧硫黄島島民の帰住は困難とされ、旧島民一人につき見舞金45万円が支給されることになった。現在も島民の帰島はかなっていない。
 
 
 
== 周辺の島と海底火山(海山) ==
 
[[File:Nikko volcano.jpg|thumb|right|600px|[[NOAA]]観測による日光海山の[[CG]]画像]]
 
火山列島周辺の体積1,000km<sup>3</sup>を越える海山など
 
* [[西之島]]
 
* [[沢海山]]
 
* [[海形海山]]
 
* [[三福海山]]
 
* [[噴火浅根]]
 
* [[南日吉海山]]
 
* [[日光海山]]
 
* [[福神海山]]
 
* [[南春日海山]]
 
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
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* [[小笠原諸島]]
 
* [[石野遺跡]]
 
 
 
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{{伊豆・小笠原諸島の島々}}
 
{{オセアニア}}
 
 
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[[Category:火山列島|*]]
 
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[[Category:日本の火山]]
 
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[[Category:日本の島嶼群]]
 
[[Category:日本の島嶼群]]
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2018/10/2/ (火) 20:27時点における版

火山列島
地理
場所 太平洋
座標 東経141度17分14秒北緯24.75806度 東経141.28722度24.75806; 141.28722
諸島 小笠原諸島
島数 3
主要な島 北硫黄島硫黄島南硫黄島
面積 32.27 km2 ({{rnd/b構文エラー: 予期しない演算子 < です。|構文エラー: 予期しない演算子 < です。|(構文エラー: 予期しない演算子 < です。)|構文エラー: 予期しない演算子 < です。 }} sq mi)[1]
長さ 140 km (87 mi)
最高標高 916 m (3,005 ft)[1]
最高峰 南硫黄島
都道府県 東京都の旗 東京都
支庁 小笠原支庁
市町村 小笠原村の旗 小笠原村
位置

火山列島(かざんれっとう)

小笠原(おがさわら)諸島の南南西方洋上にあり、北硫黄島(きたいおうとう)(最高点792メートル、面積5.57平方キロメートル)、硫黄島(169メートル、23.16平方キロメートル)、南硫黄島(916メートル、3.54平方キロメートル)の3火山島からなる。東京都小笠原支庁小笠原村に属する。硫黄列島ともいう。東日本火山帯に属し、硫黄島には平坦(へいたん)地があるが、ほかは鋭い円錐(えんすい)形で、海食崖(がい)が発達。硫黄島内や、他の2島付近の海底ではしばしば噴火し、南硫黄島付近では新島も出没する。この3島は1543年(天文12)以降、スペイン軍艦など、欧米人によって認められたが、長く無住、無主だった。1887年(明治20)東京府知事による探査が行われ、1889年ごろから日本人が漁業や硫黄採取を始め、1891年に小笠原島庁所管となった。サトウキビやコカの栽培も行われ、1944年(昭和19)には人口1254を数えたが、第二次世界大戦で内地へ引き揚げた。1945年2~3月、硫黄島の攻防戦で日本軍は全滅し、アメリカ軍が占領したが、1968年(昭和43)に小笠原諸島とともに返還された。現在、硫黄島には、おもに海上・航空自衛隊員が駐在しているが、他の2島は無人島である。

参考文献

  1. 1.0 1.1 火山列島(かざんれっとう)とは”. コトバンク. . 2016閲覧.


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