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[[エウリーピデース]]は[[悲劇]]『ステネボイア』を書いたが散逸した。 | [[エウリーピデース]]は[[悲劇]]『ステネボイア』を書いたが散逸した。 |
2018/9/25/ (火) 07:16時点における最新版
ステネボイア(古希: Σθενέβοια, Stheneboia)
ギリシア神話の女性である。リュキア王イオバテースの娘、あるいはアムピナクスの娘で[1]、ピロノエーと姉妹[2]。あるいはアルカディア王アペイダースの娘で[3]、テゲアー王アレオスと兄妹[4]。ホメーロスによればステネボイアはアンテイアという名である[5]。ティーリュンス王プロイトスの妻となり、イーピノエー、イーピアナッサ、リューシッペー、メガペンテースを生んだ[3][6]。
神話
ステネボイアは、プロイトスがアクリシオスとの戦いに敗れて追放され、父イオバテースのもとに身を寄せている間にプロイトスと結婚した。この結果、プロイトスはイオバテースの援助を得て、リュキア軍とともにアルゴスに帰還し、ティーリュンスを得て支配した。
しかし後にコリントスを追放されたベレロポーンがプロイトスのもとに身を寄せたとき、ステネボイアはベレロポーンに恋をし、ベレロポーンを誘惑する手紙を送った。しかしベレロポーンが断ると、ステネボイアはプロイトスにベレロポーンが自分に誘惑する手紙を送ってきたと讒言した。このためプロイトスはイオバテースにベレロポーンを殺してほしいと手紙に記し、ベレロポーンに渡してイオバテースの使いに出した。手紙を読んだイオバテースはベレロポーンにキマイラ退治などの難題を課したが、ベレロポーンがそれらの難題をやり遂げたとき、イオバテースはベレロポーンと自分の娘ピロノエーとを結婚させた[7]。しかしそれを知ったステネボイアは自殺したという[8][9]。
エウリーピデースの悲劇『ステネボイア』の古伝梗概によると、キマイラを退治したベレロポーンはティーリュンスに戻り、ステネボイアに殺すと脅した。このためステネボイアが再び策略を企むと、ベレロポーンはステネボイアを捕らえ、ペーガソスに乗せて飛び立ち、メーロス島まで来たときに海に落として殺した。ステネボイアの遺体は漁師によってプロイトスの王宮に運ばれたという[10]。
系図
脚注
参考文献
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- 『ギリシア悲劇全集12 エウリーピデース』、岩波書店(1993年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- 『ヘシオドス 全作品』中務哲郎訳、京都大学学術出版会(2013年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、岩波書店(1960年)