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海岸女学校(かいがんじょがっこう)はアメリカ・メソジスト監督教会婦人宣教会から日本に派遣されたドーラ・E・スクーンメーカーらによって設立された女子学校である。
1874年(明治7年)に津田仙の協力で麻布に女子小学校を創立し、少数精鋭の女子教育を始める。翌年、芝の三田に移り救世学校になり、1877年(明治10年)に築地居留地の明石町10番地に移転し、32名の生徒をもって海岸女子学校になる。校長が、料理、裁縫を教え。ジュリアス・ソーパーが礼拝説教を行った。
1879年(明治12年)に校舎が火災で焼失し、一時銀座の原女学校跡に移る。1881年に再び明石町13番地に再建された。その後、東京英和女学校、青山女学院へと発展した。
参考文献
- 『日本キリスト教歴史大事典』、教文館、1988年