ドーラ・E・スクーンメーカー
提供: miniwiki
ドーラ・E・スクーンメーカー(Dora E. Schoonmaker、1851年11月14日 - 1934年12月5日)は、アメリカ合衆国のメソジスト派の伝道師であり、麻布新堀町にあった「女子小学校」の設立者。
人物
1851年、ニューヨーク州生まれ。当初は、イリノイ州モリスにおいて公立学校の教師をしていた。しかし、外国への伝道を志し、米国メソジスト監督教会婦人外国伝道局から、1874年に日本に派遣される(23歳)。彼女は、女性の宣教師としては日本初である。同年、青山学院の最も古い源流であり、明治期の女子教育の開拓的学校である「女子小学校」を開設し、帰国するまで校長を務める。同校は、キリスト教批判などの影響から「救世学校」「海岸女学校」と名前を変えることを強いられるが、後年に青山学院へと発展する。1879年、5年の任期を終えアメリカへ帰国。「女子小学校」の後身である海岸女学校が焼失した際には、復興のための募金集めに巡行し、再建に尽力した。1934年逝去。
石碑
彼女の功績を記念して、現在、青山キャンパスのベリーホール前に石碑が建てられている。 テンプレート:学校法人青山学院