鴨池・垂水フェリー

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ファイル:Tarumizu Ferry - 6th Osumi.JPG
フェリー第六おおすみ(2010年)

鴨池・垂水フェリー(かもいけたるみずフェリー、通称垂水フェリー)は、鹿児島県鹿児島市鴨池港と、鹿児島県垂水市の垂水港との間を結ぶフェリーいわさきコーポレーション傘下の垂水フェリー株式会社が運営する。2011年11月末までは同じくいわさきコーポレーション傘下の大隅交通ネットワークが運営していた。

概要

鹿児島市の鴨池港と垂水市の垂水港を35分程度の所要時間で結んでいる。海上距離は15Kmである[1]IC乗車カードであるいわさきICカードRapiCaが使用可能であり、両カードを利用した場合は通常片道旅客運賃が1割引[2]となる。

歴史

ファイル:Tarumizu Ferry Terminal old.JPG
旧・垂水港フェリーターミナル(1998年まで使用、2013年撮影)

1918年(大正7年)に町田一平(当時の肝属郡会議長)により鹿児島垂水間の定期船の往復便(1日2往復、料金40銭)を復活させた[3]ことに始まり、1921年(大正10年)に垂水発動機船組合が発足した。

1930年に垂水汽船株式会社に改組、1960年に社名を南海郵船に変更した。この頃に岩崎与八郎が経営に参画し、三州自動車[4](バス事業者、現在のいわさきグループ)との一貫経営が行われるようになった。

1944年(昭和19年)2月6日には第六垂水丸の沈没事故が発生し、500名余が犠牲となった。 1974年(昭和49年)には垂水鹿児島航路はフェリー化された[5]。運営母体はその後、大隅交通ネットワーク、垂水フェリーと変わっていったが、現在も航路はほぼ同一ルートを通っている。

船舶

2011年9月のダイヤ改正による減便以降は3隻体制で運航されている[1]

運航中の船舶

  • フェリー第七おおすみ
1991年9月竣工、新浜造船所建造(第811番船)
全長77.0m、幅13.3m、深さ4.69m、ディーゼル×2基、4,600PS、航海速力16.5ノット、旅客定員737名
  • フェリー第八おおすみ
1994年4月竣工、神田造船所川尻工場建造(第354番船)
1,498総トン、全長77.26m、幅13.3m、深さ4.7m、ディーゼル×2基、4,600PS、航海速力16.8ノット、旅客定員738名
  • フェリー第十おおすみ
1994年6月竣工、神田造船所川尻工場建造(第355番船)
1,503総トン、全長77.26m、幅13.3m、深さ4.7m、ディーゼル×2基、4,600PS、航海速力16.8ノット、旅客定員738名

過去の船舶

  • フェリーおおすみ
1974年4月竣工、中村造船鉄工所建造
992総トン、全長71.2m、幅13.3m、深さ4.7m、ディーゼル×2基2軸、5,600PS、航海速力16.5ノット、旅客定員737名
  • フェリー第二おおすみ
1974年7月竣工、中村造船鉄工所建造
990総トン、全長71.2m、幅13.3m、深さ4.7m、ディーゼル×2基2軸、5,600PS、航海速力16.5ノット、旅客定員737名
  • フェリー第三おおすみ
1974年6月竣工、中村造船鉄工所建造
992総トン、全長71.2m、幅13.3m、深さ4.7m、ディーゼル×2基2軸、5,600PS、航海速力16.5ノット、旅客定員737名
  • フェリー第六おおすみ
1989年11月29日就航、2011年9月8日引退、林兼船渠建造(第975番船)
1,196総トン、全長76.2m、幅13.3m、深さ4.69m、ディーゼル×2基、4,600PS、航海速力15.0ノット、旅客定員737名

事務所

脚注

  1. 1.0 1.1 垂水フェリー、31日から減便 - 南日本新聞、2011年8月9日。
  2. いわさきコーポレーション公式サイトを参照。2016年現在は480円から440円に割り引かれる(2014年3月以前は440円から400円)。
  3. 1914年(大正3年)に島田覚治がカツオ漁船を活用し垂水鹿児島間の航路を開設したが、半年で廃業している(『垂水市史 下巻』p.998)
  4. バス事業者としては鹿児島交通、いわさきコーポレーション、大隅交通ネットワークを経て2011年12月より三州自動車の管轄となっている。
  5. 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.767

参考文献

  • 垂水市史編集委員会『垂水市史 下巻』垂水市、1978年 pp.998-999

関連項目

外部リンク


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