綾瀬村
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綾瀬村 | |
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廃止日 | 1932年(昭和7年)10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 綾瀬村、千住町、西新井町、梅島町、舎人村、 渕江村、伊興村、江北村、東渕江村、花畑村→東京市 |
現在の自治体 | 足立区 |
廃止時点のデータ | |
地方 | テンプレート:地方区分東京府 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 南足立郡 |
団体コード | 当時存在せず |
総人口 |
5,673人 (国勢調査、1930年) |
隣接自治体 | 南足立郡千住町・梅島町・東渕江村・花畑村 / 南葛飾郡 |
綾瀬村(あやせむら)とは、1889年(明治22年)5月1日から1932年(昭和7年)10月1日まで存在した東京府南足立郡の村。現在の住居表示で綾瀬、青井、弘道、西綾瀬、足立、日ノ出町に相当する。
概要
東京府南足立郡の南東部に位置していた。村域は綾瀬川の東西両岸と古隅田川の北岸に位置する。
村名の由来
綾瀬川に由来。
歴史
年表
- 1889年(明治22年)5月1日 - 市制町村制の施行により伊藤谷村、弥五郎新田、五兵衛新田、次郎左衛門新田の4か村と、保木間村飛地(字二ツ屋新田)を合併統合し綾瀬村が発足。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 千住町、西新井町、梅島町、舎人村、渕江村、伊興村、江北村、東渕江村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となる。
地域の歴史
綾瀬村の基礎となった4村は、いずれも江戸時代に成立した新田集落である。
伊藤谷村(伊藤谷新田)
- 江戸時代の天保期頃までは伊藤谷新田と呼ばれ、新田開発によって成立した(『天保郷帳』による)。村域は大きく4つに分かれていた。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 綾瀬村成立により、大字伊藤谷となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 足立区成立により、分かれていた村域ごとに以下の4町が成立。
- 伊藤谷本町 - 字古川端耕地、村之内耕地、川西耕地、四町田耕地
- 伊藤谷東町 - 字精出耕地、牧田耕地
- 伊藤谷西町 - 字五反野耕地、丁張耕地
- 伊藤谷北町 - 字兵左衛門切耕地、道海東耕地
弥五郎新田
- 村域は伊藤谷村の西の飛地によって大きく2つに大分していた。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 綾瀬村成立により、大字弥五郎新田となる。
- 1913年(大正2年) - 1930年(昭和5年) - 当地内において荒川放水路が掘削される。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 足立区成立により、以下の3町が成立。
- 五反野北町 - 字精出耕地、丁張耕地(北の飛地)
- 五反野南町 - 字沼田耕地、西五反野耕地、東五反野耕地
- 日ノ出町1 - 3丁目 - 字大原耕地、嚢耕地、糀屋耕地(主に荒川放水路より南側の地域)
五兵衛新田
- 江戸・寛永年間 - 改修・掘削により綾瀬川が当村内を南北に貫通する。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 綾瀬村成立により、大字五兵衛新田となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 足立区成立により、足立区五兵衛町となる。
次郎左衛門新田
- 文禄、慶長期に開墾により当村が成立。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 綾瀬村成立により、大字次郎左衛門新田となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 足立区成立により、足立区四ツ家町となる。
明治22年以前 | 明治22年5月1日 - 昭和6年 | 昭和7年 - 昭和17年 | 昭和18年 - 現在 | 現在 |
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足立郡伊藤谷村 | 南足立郡綾瀬村 | 東京市足立区 | 東京都足立区 | 足立区 |
足立郡弥五郎新田 | ||||
足立郡五兵衛新田 | ||||
足立郡次郎左衛門新田 |