永楽帝

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永楽帝(肖像,部分,タイペイ故宮博物院蔵)

永楽帝(えいらくてい)

中国,の第3代皇帝 (在位 1402~24) 。名は朱棣 (しゅてい) 。廟号は太宗,のち成祖。洪武帝の第4子。燕王として北平に封じられ,靖難の変を起して建文4 (02) 年に建文帝から帝位を奪った。その非難を避けるため対外的に積極政策をとり,永楽4 (06) 年ベトナム (安南) を征服し,同8年から同 22年までに5たびモンゴルに親征して,内モンゴル東部を完全に手に入れた。また宦官イシハ (亦失哈) に命じ東北を経略し,黒竜江 (アムール川) 口に奴児干都司 (ぬるがんとし) を設けて永寧寺を建て,さらに鄭和らに命じて南海を経略し,前後7回にわたり遠く西アジア,東アフリカ諸国まで朝貢させ,明の国威を示した。帝は北京遷都を行い,内外政に宦官を大いに利用し,また『永楽大典』などの大編纂事業を完遂した。




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