広島ドラゴンフライズ
広島ドラゴンフライズ Hiroshima DRAGONFLIES | |
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所属リーグ | B.LEAGUE |
カンファレンス | B2 西地区 |
創設年 | 2013年 |
本拠地 | 広島県 |
アリーナ |
240px 広島サンプラザホール |
収容人数 | 3,040人 |
チームカラー | 朱、 青 |
運営法人 | 株式会社広島ドラゴンフライズ |
ヘッドコーチ | 尺野将太 |
公式サイト | https://hiroshimadragonflies.com/ |
ユニフォーム | |
テンプレート:Basketball kit home and away |
広島ドラゴンフライズ(ひろしまドラゴンフライズ、英: Hiroshima Dragonflies)は、広島県を本拠地としてB.LEAGUEに所属するプロバスケットボールチームである。
Contents
概要
2013年創設。2014-15シーズンから3シーズンはNBLに参加し[1]、2016-17シーズンからはBリーグに参加している。
ホームタウンは広島県。中国・四国地方における初のNBL参加チームである。
チーム名の「ドラゴンフライ(Dragonfly)」は、トンボの英語名。廿日市市の厳島(安芸の宮島)に生息する絶滅危惧種「ミヤジマトンボ」を由来とし、バスケットボールをプレーする様をトンボの生態と重ね合わせ、またトンボの前のみに進む不退転の様は戦国時代に「勝ち虫」と呼ばれ縁起物とされていたことから、この名前をつけることになった[1]。
チームカラーは、メインが「朱色」サブが「青色」。朱は宮島にある厳島神社の鳥居から、青は瀬戸内海から[2]。
チームロゴは、ミヤジマトンボと"剣"を中央に、バックは朱と青をベースとした"楯"がデザインされ、バスケの攻守を表現した[2]。
ホームアリーナは西区商工センターの広島サンプラザホールをメインに各地でホームゲームを開催する(詳細は#ホームアリーナ参照)。
運営会社事務所は西区観音新町のマリーナホップ内にあり、オフィシャルショップを併設している。
その他、チームの情報は下記#チーム情報を参照。以上の通り、事務所やホームアリーナは広島市にあるが、下記設立経緯や必勝祈願を厳島神社で行うなど、廿日市市とも関係深い。
歴史
創設
広島のバスケットボール界隈において、小中学校年代では全国レベルのチームは存在するものの、高校以上になると優秀な選手の受け入れ先が無いため、タレントが他県に流出してしまっていた[3]。また、トップカテゴリ(社会人・実業団)チームに関しては、プロスポーツの野球やサッカーのチームあるいは全国的なリーグで活躍するバレーボールやハンドボールのチームはあったものの、バスケットボールに関してはプロチームどころか2003年W1リーグに参加していた広島銀行ブルーフレイムズが廃部して以降[4]、全国的なリーグに参加するチーム自体存在していなかった[5]。
2005年bjリーグ開幕、2007年日本リーグはJBLに再編する。この中で、広島県バスケットボール協会では地元開催した2006年バスケットボール世界選手権以降のバスケ熱を活かそうと模索していた[6]。
JBLが再編されNBL発足が決定すると、2013年4月2日廿日市市でスポーツ用品通信販売会社を経営する清水敬司が中心となって「バスケットボールトップリーグ"NBL"に所属するプロチームを広島に立ち上げる会」が発足する[6]。同年5月県バスケ協会に了承されサポートを受けることが決定し[6]、同年7月NBL理事会に参入を届け出て[7]同年8月認可を受け正式参加が決定した[8]。
2013年8月チーム名を「広島ドラゴンフライズ」に決定、同年10月に運営会社を設立した[1]。発起人となった清水は球団専務に就任、社長には県バスケ協会副会長・専務理事の伊藤信明[9]が就任した[10]。
初代ヘッドコーチには元日本代表で前日本バスケットボール協会理事を務めていた佐古賢一が就任する[11]。またアシスタントコーチには元日本代表であり元パナソニックトライアンズACの大野篤史が就任した[12]。彼らを起用したGM西明生はシーズン開幕前の2014年7月に退任し社長の伊藤がGM兼任となったが[13]、2014-15シーズン中に佐古がHC兼任でGMを担当している[14]。
一方、設立当初から営業面に問題を抱えていた。スポンサー契約交渉は難航し[15]メインスポンサーどころかユニフォームスポンサーのないまま2014年NBL開幕を迎え[16][17]、ユニフォームに関してはシーズン中である2014年12月から入るようになった[18]ほどである。そこで、今後始まる予定のJPBL加入に向け営業強化を目的として経営陣一新が決定し、2015年3月に社長の伊藤や専務の清水含め取締役3人が辞任し、新社長として元広島県信用農業協同組合連合会幹事でドラゴンフライズ顧問であった岸房康行が就任した[19]。
NBL
創設期から数年の間のチーム編成はほぼ以下の方針がとられた。
- 創設1年目は、将来を見据えて育成重視で大卒選手を多く獲得[11]。
- 経験と実力を兼ね備えた選手の補強[11][20]。特に佐古HCおよび大野ACと過去に縁のありリーグ優勝経験のある選手たちが選ばれた。
- 地元広島の選手を獲得。
1が北川弘・田中成也・坂田央ら、2が竹内公輔や平尾充庸・岡田優介や朝山正悟、3が仲摩匠平と岡崎修司にあたる。これに外国人選手と、その通訳を兼ねて栗野譲[21]を編成に加えチームが作られていった。
試合経験のないルーキーの多い中、シーズン途中には主力の怪我による離脱[22]や主力として期待されていたオマー・リードの不調からの途中退団[23]など戦力が安定せず、2度の8連敗を記録し勝率は4割を切るなどリーグ勝率自体は芳しくなく、更には1試合平均観客数は1,184人と目標値を下回るなど営業努力にも問題があった[24]。それでもウエスタンカンファレンス3位でプレーオフ進出することが出来(PO1回戦敗退)、そして全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン)では創立1年目にして準優勝を達成した[25]。
カンファレンス制が無くなり、上位8チームが出場できるプレイオフ進出を目指したが、8位と5.0ゲーム差の9位に終わる。
Bリーグ
2016-17シーズン(B2西地区)
今シーズンよりNBLとbjリーグが統合して誕生した新リーグ・Bリーグの2部(B2)の西地区に所属。西地区2位となりワイルドカード(各地区1位を除いた最高勝率)で、B1昇格がかかるプレイオフに進出。
プレイオフでは西地区勝率1位の島根スサノオマジックに敗れ、B1自動昇格を逃したが、3位決定戦で東地区1位の群馬クレインサンダーズを破り、入れ替え戦に進出。入れ替え戦では横浜ビー・コルセアーズに挑んだが、53-74で敗れてB1昇格はならなかった。今シーズンをもって、佐古HCが退団。
2017-18シーズン(B2西地区)
新ヘッドコーチにノルウェーリーグ2011-12シーズン最優秀コーチで、前京都ハンナリーズアシスタントコーチのジェイミー・アンドリセビッチが就任。17試合消化時点で8勝9敗と成績が低迷したことを理由に、11月30日にアンドリセビッチを解任し、朝山正悟が選手兼任でヘッドコーチに就任した。
成績
B.LEAGUE
テンプレート:Bリーグのシーズン成績ヘッダ テンプレート:Bリーグのシーズン成績 テンプレート:Bリーグのシーズン成績フッタ
過去のリーグ戦
NBL
年度 | 回 | レギュラーシーズン | クォーター ファイナル |
セミ ファイナル |
ファイナル | 最終結果 | HC | |||||
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勝 | 敗 | 順位 | 勝 | 敗 | 勝 | 敗 | 勝 | 敗 | ||||
2014-15 | 2 | 21 | 33 | 西3位 | 0 | 2 | --- | --- | 5位 | 佐古賢一 | ||
2015-16 | 3 | 17 | 38 | 9位 | --- | --- | --- | --- | 9位 |
全日本選手権
年度 | 回 | 最終結果 | HC |
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2015 | 90 | 準優勝 | 佐古賢一 |
2016 | 91 | 準々決勝敗退 |
記録
クラブタイトル
- NBL : 0回
- オールジャパン : 0回
個人タイトル
- NBL
- オールジャパン
- ベスト5
- 2015年 : 竹内公輔
スタッフと選手
現行ロースター
過去在籍選手・スタッフ
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チーム情報
ホームアリーナ
ホームアリーナは広島サンプラザホール。過去には山口県内にも試合会場を設けていた。この中にはサンプラザも含め固定席収容数5,000人を超えるアリーナはなく、下記記載の収容人数はそれぞれの施設が公表する固定席分のみで、試合当日は可動席を設けるアリーナもある。