壺井繁治

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妻・栄とともに(1955年)

壺井 繁治(つぼい しげじ、1897年明治30年)10月18日 - 1975年昭和50年)9月4日)は、日本詩人である。日本共産党

略歴

香川県小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)出身、早稲田大学に学ぶ。1920年代にはアナキズムの陣営に属し、『赤と黒』などに拠って詩作をはじめた。その後、共産主義に接近、プロレタリア文学の詩の分野で活躍した。1930年代には何度か投獄され、その後は小熊秀雄村山知義たちと〈サンチョ・クラブ〉を結成し、風刺的な詩を作っていた。

1925年大正14年)に作家壺井栄と結婚[1]

戦後は新日本文学会の創立に参加し、発起人となる。しかし、戦後登場した武井昭夫吉本隆明たち若手からは、戦時中の行動との差のために批判の対象にされた。その後、グループ「詩人会議」を結成し、民主主義文学の詩の分野を確立させていった。同郷の黒島伝治の業績の顕彰につとめ、岩波文庫収録の黒島作品集『渦巻ける烏の群』の解説を書いたり、『軍隊日記』を編纂したりもした。また、小林多喜二の全集の編集委員としても活躍した。

死後1978年に1973年に創設した詩人会議賞から壷井繁治賞(第6回から)に呼称を変更した[2]

脚注