北幸
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北幸 | |
---|---|
— 町丁 — | |
座標: 東経139度37分4.42秒北緯35.466525度 東経139.6178944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 横浜市 |
区 | 西区 |
面積[1] | |
- 計 | 0.189km2 (0.1mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2] | |
- 計 | 433人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 220-0004[3] |
市外局番 | 045 (横浜MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
北幸(きたさいわい)は、横浜市西区の地名。横浜駅西口に近く、繁華街やオフィス街を形成している。現行行政地名は北幸一丁目及び北幸二丁目、住居表示が実施されている。[5]。郵便番号は220-0004[3]。
地理
西区北部に位置し、北は新田間川を挟み神奈川区に接する。東側が一丁目・西側が二丁目で、二丁目と南幸の間には幸川が流れる。 一丁目の横浜駅西口ロータリーに面した地区は横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ、ヨドバシ横浜、天理ビルなどの大型施設が集まるほか、居酒屋などの飲食店も軒を連ねる。市道横浜駅泉町線には新田間川付近まで地下街相鉄ジョイナスが伸びる。二丁目はオフィス街を形成しており、幸川沿いにはスパやボウリング場を備えたSpa easがある。
面積
面積は以下の通りである[1]。
丁目 | 面積(km2) |
---|---|
北幸一丁目 | 0.068 |
北幸二丁目 | 0.121 |
計 | 0.189 |
歴史
沿革
もとは内海であり、明治時代より高島嘉右衛門や茂木六兵衛らによって埋立てが行われた。1913年(大正2年)、5万坪の埋立が完成、同年6月5日に青木町に編入され、縁起を祝い[6]、青木町字北幸町および南幸町と命名された。1932年(昭和7年)1月1日、青木町より北幸町・南幸町を新設。1965年7月1日、住居表示を実施し、北幸一・二丁目が新設された。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。なお、一丁目は非公表。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
北幸二丁目 | 264世帯 | 433人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
北幸一丁目 | 全域 | 横浜市立宮谷小学校 | 横浜市立軽井沢中学校 |
北幸二丁目 | 全域 |
施設
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2018閲覧.
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. . 2018閲覧.
- ↑ 横浜市西区の町名一覧(横浜市役所) (PDF) 2010年12月13日閲覧
- ↑ 『横浜の町名』1996年12月、横浜市市民局総務部住居表示課発行
- ↑ “小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). . 2018閲覧.
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