佐藤宏志

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佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

瀬戸内高から亜細亜大学に進み、全日本代表選手にも選ばれた。東都大学リーグでは通算50試合登板し、23勝12敗、防御率2.27、206奪三振。最高殊勲選手に1回、最優秀投手に2回、ベストナインに1回選出された。

大学在学中に巨人のキャンプにゲスト参加。当時の長嶋茂雄監督に認められた。そして、1999年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けて入団。

プロ入り後

2001年には二軍で10勝を挙げ、2002年に一軍デビューを果たす。しかし、翌2003年は一軍登板がなかった。

2004年は新監督の堀内恒夫の目に留まり、自己最多の26試合に登板し一軍に定着。プロ初勝利、プロ初セーブを含む3勝1セーブを挙げた。8月1日の阪神戦でプロ初先発を務め、7回1死まで阪神打線を無失点に抑える好投で、初先発勝利を飾っている。

2005年は開幕から13試合連続無失点を記録。セットアッパーとして一本立ちしたかに思われた。ところが、5月3日の横浜ベイスターズ戦で、1点リードの9回表に登板したが、先頭打者の種田仁に本塁打を打たれたのを皮切りに、相川亮二小池正晃にも本塁打を打たれるなど1イニングで3本塁打を喫し逆転される。この試合を境に、自身の不注意による怪我などで精彩を欠き、防御率6.87でシーズンを終えた。

2006年は急性胃腸炎で出遅れるも、交流戦中にワンポイント投手として活躍。防御率2点台をキープする。しかし、オフの10月2日に戦力外通告を受け、無償トレード東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。「ゼロからの出発」ということで背番号0に決定。

2007年の唯一の登板は、9月19日の日本ハム田中幸雄東京ドームでの引退試合だったが、守備陣のミスもあり田中賢介にランニングホームランを許した。

2008年も1試合の登板に終わり、10月1日に再び戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加するも、獲得球団はなかった。

引退後

引退後は静岡県へ居住し、中古車販売業を勤めながら少年野球の指導にあたっている。[1]

選手としての特徴

勢いのある直球とスライダーが持ち味の左腕投手。サイドスローに似た変則フォームが最大の特徴である。登板時はゴーグルをかけている。視力も良くないが、コンタクトを装着しているのでは入っていない。本人曰く「世界が明るく見える」とのこと。交代後ベンチに戻るとすぐにゴーグルを外すシーンがよく見られる。

詳細情報

年度別投手成績

2002 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 5 1.0 1 0 1 0 1 1 0 0 0 0 0.00 2.00
2004 26 4 0 0 0 3 1 1 -- .750 266 60.2 64 17 20 0 2 48 2 0 44 40 5.93 1.38
2005 20 0 0 0 0 0 1 0 7 .000 91 18.1 29 4 7 0 0 17 0 0 14 14 6.87 1.96
2006 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 37 9.1 7 0 2 0 1 10 1 0 3 3 2.89 0.96
2007 楽天 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.1 2 1 0 0 1 1 0 0 1 1 6.75 1.50
2008 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 2 0.1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 3.00
通算:6年 57 4 0 0 0 3 2 1 7 .600 408 91.0 104 22 30 0 4 77 3 0 62 58 5.74 1.47

記録

背番号

  • 40(2000年 - 2006年)
  • 0(2007年 - 2008年)

脚注

  1. G山口と同じ変則左腕だった…佐藤宏志氏の今 .SANSPO.COM (2015年5月12日) 2015年5月12日閲覧

関連項目

外部リンク

テンプレート:読売ジャイアンツ1999年ドラフト指名選手