ベトナムのカトリック

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ベトナムのカトリックでは、ベトナムにおけるローマ・カトリック教会について記述する。

カトリック人口

現在では全人口の約6.87%がカトリックであるとされる。

歴史

17世紀になるとフランスから宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが派遣され、6000人以上のベトナム人に洗礼を授けたと報告した。ちなみにドゥ・ロードはクオック・グーというベトナム語のアルファベット表記を発案し、現在でも使われている。19世紀になってフランスの支配が強まると、カトリック教会は全面的に擁護された。

20世紀後半になって冷戦が深刻になると、社会主義国の北部から逃れたカトリックは多数南ベトナムに移り住んだ。アメリカ合衆国は南部に資本主義陣営の国家としてベトナム共和国を設立し、初代大統領としてゴ・ディン・ジエムが就任した。ゴ・ディン・ジエム政権のもと、南ベトナムはカトリック中心主義を推し進めた。将校や官僚のトップはカトリック教徒が占め、カトリックは土地政策や税制で優遇を受けた。果ては、1959年にゴ・ディン・ジエムは南ベトナムを聖母マリアに捧げることを宣言した。公的な催しの日にはバチカンの旗が翻り、カトリック教会が国で最大の地主となる一方、人口の70%から90%を占める仏教徒は抑圧され、仏旗を掲げることすら禁じられた。

1963年5月には仏旗掲揚禁止に抗議する民衆が射殺されたことを期に「仏教徒危機」と呼ばれる騒乱が発生した。ゴ・ディン・ジエムは戒厳令を出し、仏教寺院を迫害した。抗議の焼身自殺を図った僧侶、ティック・クアン・ドック師の行動に対し、大統領の弟ゴ・ディン・ヌーの妻マダム・ヌーが「人間バーベキューだ」と発言し、ますます宗教間の対立を深めた。この混乱は同年11月に軍事クーデターが起きゴ・ディン・ジエムらが失脚し射殺されるまで続いた。

共産主義政権となった現在では、公式には宗教は否定されているが、それでも教会の活動は続けられている。2007年教皇ベネディクト16世はベトナムの信徒に手紙を送り、励ました。

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著名なカトリック信徒

関連項目