ジョルジュ・シムノン
ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903年2月13日 - 1989年9月4日)は、ベルギー出身のフランス語で書く小説家、推理作家。
息子のマーク・シムノン(1939 - 1999)は映画監督で、女優ミレーヌ・ドモンジョの夫であった。
Contents
人物
100編以上ある、ジュール・メグレ警部(Jules Maigret, 後に警視)が登場する一連の推理小説で有名。
世界中で最も読まれたフランスの作家は、ヴィクトル・ユゴー、ジュール・ヴェルヌについでシムノンという説があるくらいシムノン文学は世界各国で好評を博した(シムノンはベルギー生まれだが、ほとんどのフランス人は彼のことを同国人と考えている)。その売上のほとんどはメグレものだが、シムノン自身はメグレを主流な仕事とは考えておらず、あくまで自分を純文学の作家とみなしており、そのメグレ以外の代表作の一つ、"La neige était sale"(『雪は汚れていた』)はアンドレ・ジッド、フランソワ・モーリアックから絶賛された。
ジッドは"Les inconnus dans La maison"(『家の中の見知らぬ者たち』)についても「驚愕した。長い間、私にはこれほど激しい興奮をよびさまされた本がなかった。」[1]と称賛、"La Veuve Couderc"(『片道切符』)については、たまたま同年に書かれ出版されたカミュの『異邦人』と比較して「それよりも優れている。芸術の絶頂まで届いた作品だ。」と賛辞を惜しまず「現代フランスの最も偉大な作家。」[2]とまで評価した。モーリアックも"Les Anneaux De Bicetre"(『ビセートルの環』)について「シムノンが喝破している真実は、今までいかなる小説家も、これほど赤裸々に、正視に耐えないほど、あからさまに暴き出したことのない真実である。」[3]と驚嘆し、メグレものから影響を受けた江戸川乱歩も"L'homme de Londres"(『倫敦から来た男』)を「ドストエフスキーの心理的手法を巧みに我が物としている。純粋な犯罪小説として比類なき名作である。」[4]と評価している。その他ヘンリー・ミラー、アナイス・ニンなどシムノン文学に賛辞を送った作家は多い。
性豪としても知られ、十三歳半の時以来、一万人の女性と性交渉をもったという話で、そのうちの八千人は娼婦で、あとの二千人が素人の女性だったという。
経歴
幼少期と教育
ジョルジュ・シムノンは、ベルギー、リエージュのレオパール街26番地(現在は24番地)で生まれた。父はデジレ・シムノン、母はアンリエット・ブリュール。デジレ・シムノンは保険会社の会計部門で働いており、1902年4月にアンリエットと結婚した。ジョルジュ・シムノンが生まれたのは1903年2月13日だったが、迷信を気にして12日生まれとして登録している。彼の誕生にまつわるこの話は、小説「血統書(Pedigree)」の冒頭で詳しく述べられている。
シムノン家は、その先祖をリンバーグ地域に遡ることができた。彼の母方の実家はオランダ領リンバーグの出であった。母方の先祖の中で悪名高い人物の一人にガブリエル・ブリュールがいる。1720年代から首をくくられる1743年まで、リンバーグを悩ませた犯罪者であった。後にシムノンは、ブリュールを彼自身のたくさんあるペンネームの中の一つとして使用することになった。
1905年4月、ジョルジュ・シムノンが生まれてから2年後、一家はパスツール街3番地に引っ越した(現在はジョルジュ・シムノン街25番地)。リエージュのウトゥルムーズ街区の中にあった。弟のクリスチャンが1906年9月に生まれた。母親はこの弟を一番可愛がることになり、シムノンは屈辱を味わうことになった。その後、1911年2月に、一家はロワ街53番地に引っ越した。ここもウトゥルムーズ街区の中であった。こちらの家は大きかったので、下宿人を置くことができた。下宿人は見習い工や様々な国から来た学生達であったが、こうした人達が若いシムノンにより広い世界への入口となる重要なきっかけを与えたのである。この時の経験が彼の小説を特徴付けるのだが、特に、「血統書(Pedigree)」と「下宿人(Le Locataire)」にその影響が現れている。
3歳の時にシムノンはサン・ジュリエン保育園で読み方を習った。それから、1908年から1914年にかけて、サン・タンドレ学院に通う。1914年9月に、第一次世界大戦が始まってまもなく、シムノンはサン・ルイ中等学校(イエズス会の高校)に入学する。
1917年2月、シムノン一家はアメルカール街区(※ウトゥルムーズ街区のすぐ隣)の、以前郵便局だった建物に引っ越す。1919年6月、さらにもう一度転居するのだが、この時はウトゥルムーズ街区のアンセニュモン街に引っ越している。
シムノンの父親の心臓の容態を言い訳にして、シムノンは1918年6月に学生生活を終える決心をした。サン・ルイ中等学校の年度末の試験すら受けようとはしなかった。その後、シムノンは奇妙な職業を転々としながら働くことになった。
マメロンとピーター
シムノン家には二つの一族がいた。ワルーンズ・マメロンズ(シムノン家)とフレミッシュ・ピーターズ(ブリュール家)である。マメロン家は、純粋なワルーン族で、リエージュのアウトレムーズに根を下ろした労働者階級の一家であった。マメロン家は移動するものすべてに対して疑念を抱く。マメロン家は安定、近隣への統合、職人や熟練工からなる中産階級への統合を象徴していた。マメロン家はシムノンの作品の中で、重要な役割を果たしたわけではなかった。ピーター家はマメロン家とは全く違っていて、家族としてのまとまりを欠き、自己中心的な動機や嫉妬からお互いに衝突していた。ピーター家、すなわち落ち着きがなく、苦悩に満ちており、社会に適応できないシムノンの母親の一族の人々は、飲酒や流浪の生活、権力といったものに逃避したいと願っていた。こうした彼らの生き様が、シムノンのごつごつした小説に登場する主人公達の原型となった。
小説家の背景
1919年1月、15歳のシムノンは、リエージュ新聞に職を見つける。ジョセフ・デマルトーが編集していた新聞であった。シムノンが担当していたのは取るに足らない三面記事だけだったが、それがためにかえって街のいかがわしい面を探求することが可能になったのだった。政治、酒場、値段の安いホテルといったものに加え、犯罪、警察の調査、そして警察の技術について犯罪学者であるエドモンド・ロカールが話してくれる講義、こうしたものが彼の興味の対象となった。さらにシムノンは、この新聞社での経験から、素早く編集する技術を学んだのである。実際、シムノンは、「G.Sim」のペンネームで150本以上の記事を書いている。
シムノンの処女作である「『アルシュ橋で』(Au Pont des Arches)」は1919年6月に書かれたもので、1921年に「G.Sim」のペンネームで出版された。「Monsieur Le Coq」の名前でも、1919年11月から1922年12月までの間に800篇ものおかしさのある作品を発表している。
この期間に、シムノンの夜遊び、すなわち、売春婦、飲んだくれること、どんちゃん騒ぎ、こうしたことは増えていった。シムノンと交際のあった人達の中には、無政府主義者、自由奔放な生活を送る芸術家達、さらには将来殺人を犯すことになる人物二人、といった人達がいた。この二人の殺人者は、「我が友人達の三つの犯罪(Les Trois crimes de mes amis.)」の中に登場する。またシムノンは、「ニシン樽(La Caque)」として知られる芸術家集団とも交流があった。彼自身がこの集団のメンバーに実際になったわけではなかったが、この集団を通じて将来妻となるレジーヌ・ランションと出会うのである。
フランスに移って 1922-1945
デジール・シムノンは1922年に亡くなる。その結果、ジョルジュ・シムノンはレジーヌ・ランション(以後、愛称だった「ティギー」を用いることとする)とともにパリに引っ越すことになった。最初はまず第17区に居を構えた。バティニョール通りからそれほど離れていない場所である。彼は街に馴染み、居酒屋、安宿、バー、レストランなどに精通することになった。さらに重要なことには、シムノンが普通の労働者階級のパリ市民達と知り合ったのである。様々なペンネームを用いて作品を著すことで、シムノンの創造性はいよいよ実を結び始める。
シムノンとティギーは、1923年3月、結婚するためごく短い期間リエージュに戻った。シムノンは、育ちはカソリックだったにもかかわらず、信仰を保ってはいなかった。ティギーの家は、完全に無宗教だった。しかし、シムノンの母親は教会での結婚式にこだわり、ティギーに、カソリックの教理問答集を勉強して、名目上だけでも信者になるよう強制した。シムノンが確固とした信仰を持っていたわけではなかったのに、シムノンの子供達は全員、カソリック教徒として洗礼を受けさせられることになった。とはいえティギーと結婚しても、シムノンが他の多くの女達とのつながりを断ち切ることにはならなかった。その中でも一番有名だと思われた女性は、ジョセフィン・ベイカーだった。
シムノンは取材の任務を受けて、1928年に長期間船旅に出ることになる。この船旅で、シムノンは船の面白さを覚えた。1929年、彼は自分の船を建造することを決心した。オストロゴス号である。シムノン、ティギー、料理人でもあり家政婦でもあるアンリエット・リベルジュ、そして彼らの飼い犬であるオラフがオストロゴス号の住民となった。そしてフランスの運河を巡る旅をした。アンリエット・リベルジュは、「ブール」(文字通り、玉、という意味で、彼女の少しずんぐりした見た目にちなんだ呼び名)、として知られる女性だが、シムノンとはこの後数十年の間恋愛関係にあった。しかし、シムノン夫妻の親しい友人であり、シムノン家の一部となっていたのである。
1930年、シムノンが創り出した最も有名な登場人物、メグレ警視(Commissaire Maigret)が作品「刑事(Detective)」に初めて登場する。この作品はジョセフ・ケッセルズの頼みに応じて書かれたものだった。この初めてのメグレ刑事ものは、オランダを航行している時、特にいうならデルフゼイルの近辺を航海中に書かれたものだった。このことを記念してデルフゼイルにはメグレの像が建てられている。
1932年には、シムノンは頻繁に旅に出た。アフリカ、東ヨーロッパ、トルコ、ソビエト連邦などから記事を送っていた。世界中を旅する生活は1934年になっても終わらず、1935年まで続いた。
1932年から1936年にかけて、シムノン、ティギー、ブールは、フランス、シャラント・マリティム県マルシリにある、ラ・リシャルディエールという16世紀の大邸宅に住んでいた。この邸宅は、シムノンの小説「ドナデュの遺言(Le Testament Donadieu)」の中で触れられている。1938年の初め、シムノンはラ・ロシェルにある別荘アグネを借り、8月には(シャラント・マリティム県の中の)ニュル・シュル・メールの農家の建物を購入している。そして、ティギーとの間の一人息子、マークがここで1939年に誕生した。
シムノンは、第二次大戦中はヴァンデ県に住んでいた。戦争中の彼の行動はかなりの議論を呼ぶこととなった。学者の中には、シムノンがこれまでずっとドイツと通じていたのだという見方をするものが出てきており、その一方でこの見方を否定するものがいた。シムノンのことを、政治には関心の無い男で、本質的に日和見主義者だが、決してドイツの協力者などではない、と解釈していたのである。しかし、シムノンが現地の農場主達からドイツの協力者だと告発され、その一方で、ゲシュタポからは彼がユダヤ人ではないかと疑われて-これは「シムノン(Simenon)」という名前と「シモン(Simon)」という名前とを混同してのことだったのだが-状況はさらに混乱したものとなった。ともあれ、戦争末期にはシムノンは当局の監視下に置かれていた。というのも、ドイツの占領中に、彼は自分の著作の映画化の権利をドイツの映画スタジオと交渉して取り決めていたからである。1950年には、5年間、新作の出版を一切禁止される処分を受ける。しかし、この処分は公に告知されていなかったため、ほとんど実効のないものであった。
戦争中、シムノンは重要な作品をいくつも生み出した。その中には、「ドナデュの遺言(Le Testament Donadieu)」、「万聖節の旅人(Le Voyageur de la Toussaint)」「マエの輪(Le Cercle des Mahé)」などである。彼は重要な文通も行っている。特にアンドレ・ジイドとの文通が有名である。
1940年代初めには、シムノンは健康上の不安を抱えていたが、ある時、その地の医者が彼の心臓が重篤な状態にある(シムノンの父親のことを思い出させるが)と誤診したのである。余命数ヶ月という診断であった。また、ティギーがブールのことでシムノンにとうとう不意打ちをくらわせたのも同じ頃であった。シムノンとティギーは1949年までは夫婦でいたのだが、今では結婚といっても形だけのものになっていた。ティギーが最初に抗議したのにもかかわらず、ブールは二人とともにとどまっていたのだった。
戦争中の不確かな振る舞いにもかかわらず、ラ・ロシェールの街は結局はシムノンに栄誉を与えることとなった。1989年に、彼にちなんで埠頭の名前をつけたのである。シムノンは体調が悪く、献呈の式典には出席できなかった。しかし、2003年には、彼の息子のジョニーが父親を表彰する別の行事に参加している。
米国とカナダで 1945-1955
シムノンはフランスでの尋問を免れるため、1945年にティギーとマールと一緒に北米に逃れた。カナダのケベック州モントリオールの北にあるドメイン・レステレルで最新型の家を借り、その中の丸太小屋の一つ(LC5と呼ばれ現存する)で小説を三篇(そのうちの一つは「マンハッタンの三つの寝室」である)書いている。ブールはヴィザの問題で最初から一家に合流することはできなかった。
アメリカで過ごす間、シムノンは定期的にニューヨークを訪れていた。シムノンは一家で長距離の自動車旅行に出たりもしている。メーン州からフロリダ州に行ってみたり、西はカリフォルニアまで訪れている。シムノンはフロリダ、ブラデントンのアンナ・マリア島に短い期間住んだ後、アリゾナ州のノガレスに家を借りている。ここに至ってようやくブールも一家に合流することができた。シムノンの小説「瓶の底(The Bottom of the Bottle)」は、アリゾナ州ノガレスでの生活から強く影響を受けたものになっている。
砂漠に心惹かれるものがありつつも、シムノンはアリゾナを後にすることを決める。続いてカリフォルニアに留まった後、コネティカット州レイクヴィルの大きな家、シャドウ・ロック・ファームに落ち着くことにした。この街が1952年の小説「ベルの死(La Mort de Belle)」の背景となっている。
米国にいる間、シムノンと息子のマールは、比較的容易に英語での会話が話せるようになった。これはブールも同じだった。しかしティギーは英語に関しては大変難儀な思いをして、ヨーロッパに帰ることを切望するようになった。
その一方で、シムノンはデニーズ・ウィメ、17歳年下の女性と出会っている。デニーズはモントリオール出身で、1945年にニュー・ヨークでシムノンに出会った(彼女は秘書として雇われることになっていた)。そして、二人はすぐに波乱含みの、かつ、不幸な恋愛を始めてしまったのである。おびただしい数の法的問題を解決して、シムノンとティギーは1949年に離婚した。その後、シムノンとデニーズ・ウィメはレノで結婚する。1950年にネヴァダに移り、結局三人の子供が生まれた。ジョニー(1949年生まれ)、マリー・ジョー(1953年生まれ)、ピエール(1959年生まれ)である。離婚の際の取り決めの通り、ティギーはシムノンと息子マールのすぐ近くに住んだ。こうした状況は彼ら全員が1955年にヨーロッパに戻るまで続いた。
1952年、シムノンはベルギーに趣き、ベルギー王立アカデミーのメンバーに選ばれる。シムノンは、1922年以降は一度もベルギーに住んだことはなかったのだが、生涯ベルギー国民であり続けた。
ヨーロッパに帰る 1955-1989
シムノンの一家は、1955年にヨーロッパに戻った。最初はフランスに住み(主にコートダジュール沿岸)、その後スイスに落ち着いた。エシャンダンの借家で暮らした後、ローザンヌの北に位置するエパランジュに物件を購入した。そしてその場所に巨大な家を建てさせたのである。
シムノンとデニーズは1964年には離婚することが決定的になった。テレサは1961年からシムノン家で家政婦として働いてきたのだが、この時までにシムノンと恋愛関係にあって、彼の残りの生涯を一緒に暮らすことになる。
長きにわたって心配の種となってきたマリー・ジョーが1978年、25歳の時にパリで自殺した。この出来事はシムノンの以後の人生を暗いものにした。
監督兼プロデューサーであったジョン・ゴールドシュミットが製作した記録映画「メグレの鏡」は、ローザンヌの大邸宅で撮影されたものであり、また、犯罪心理学者との間の告白調の会話に基づいた人物紹介の形式を取っている。この映画はATVのために制作され、1981年にイギリスのITVネットワークで放送された。
1984年、シムノンは脳腫瘍の外科手術を受け、順調に回復した。しかしその後数年にわたり、彼の健康は悪化していった。シムノンが、テレビで放送された最後のインタビューに登場したのは1988年12月のことであった。
ジョルジュ・シムノンは、ローザンヌで、1989年の9月3日から4日にかけての夜中、眠ったまま亡くなった。
シムノンは偉大な遺産を残して亡くなった。そこで、彼を記念して、記念銀貨が作られることになった。シムノン生誕100年を記念して、ベルギーで2003年に銀貨が製作された。硬貨の表には彼の肖像画が描かれている。
日本におけるシムノン紹介
戦前に著作が日本語に訳され高い評価を受けた。雑誌『新青年』の企画で、日本の探偵小説家の海外探偵小説のベスト10を発表するものがあり、代表作の"La Tête d'un homme"(『男の首』)が全体の9位に入った。個人では大下宇陀児、木々高太郎、角田喜久雄、渡辺啓助らがシムノンの作品を上位に挙げた。特に角田には多大な影響を与えたらしく、『高木家の惨劇』など角田が戦後に執筆した9つの小説に登場する加賀美敬介警部の人物像はメグレをモデルとしている。
日本に紹介された当初はSimenonという名字の正確な発音が不明であり、訳者によってはシメノンと表記していたが、1956年に木々高太郎がシムノン本人に会ってシムノンが正しい発音であると確認。1958年の『死体が空から降ってくる チビ医者の犯罪診療簿1』(原千代海訳,早川書房)が最後のシメノン表記の日本語訳の著書であり、それ以降の日本語訳された著書はすべてシムノン表記である。
メグレシリーズ
執筆年を記す。
長編
- "Pietre-le-Letton"(1929年)
- "Monsieur Gallet décédé"(1930年)
- "Le Pendu de Saint-Phollien"(1930年)
- "Le Charretier de la Providence"(1930年)
- "La Tête d'un homme"(1930年)
- 『男の頭 : モンパルナスの夜』(永戸俊雄訳, 西東書林, 1935年)
- 『男の首』(宮崎嶺雄訳, 東京創元社[世界推理小説全集]19巻, 1956年 / 東京創元社[創元推理文庫], 1959年9月11日)
- 『モンパルナスの夜』(堀口大學訳, 新潮社[探偵小説文庫], 1956年)
- 改題『或る男の首』(新潮社[新潮文庫], 1959年)
- 『男の首』(三好格訳, 中央公論社[世界推理名作全集]5巻, 1960年 / 中央公論社[世界推理小説名作選], 1962年)
- 『男の首』(宗左近訳, 角川書店[角川文庫], 1963年)
- 『ある男の首』(石川湧訳, 講談社[世界推理小説大系]7巻, 1972年)
- 『男の首』(木村庄三郎訳, 旺文社[旺文社文庫], 1977年1月)
- 『ある死刑囚の首』(矢野浩三郎訳, 文研出版[文研の名作ミステリー]9巻, 1977年6月)
- "Le Chien jaune"(1931年)
- "La Nuit du carrefour"(1931年)
- "Un crime en Hollande"(1931年)
- 『オランダの犯罪』(宗左近訳, 東京創元社[創元推理文庫], 1960年)
- "Au rendez-vous des terre-neuvas"(1931年)
- "La Danseuse du Gai-Moulin"(1931年)
- 『リェーヂユの踊子』(伊東鋭太郎訳, 春秋社, 1937年)
- 『ゲー・ムーランの踊子』(安堂信也訳, 東京創元社[創元推理文庫], 1959年11月27日)
- "La Guinguette à deux sous"(1931年)
- 『三文酒場』(安堂信也訳, 東京創元社[創元推理文庫], 1960年8月5日)
- "Le Port des brumes"(1931年)
- "L'Ombre chinoise"(1931年)
- "L'Affaire Saint-Fiacre"(1932年)
- 『サン・フィアクル殺人事件』
- "Chez les Flamands"(1932年)
- 『メグレ警部と国境の町』
- "Le Fou de Bergerac"(1932年)
- 『メグレを射った男』(鈴木豊訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年9月)
- "Liberty bar"(1932年)
- "L'Écluse numeros 1"(1933年)
- 『第1号水門』
- "Maigret"(1933年)
- 『幕をとじてから』(松村喜雄訳, 共栄社『探偵倶楽部』, 1954年)
- 『メグレ再出馬』(野中雁訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1980年3月)
- "Cécile est morte"(1939年)
- "Les Caves du Majestic"
- 『メグレと超高級ホテルの地階』(長島良三訳, 光文社『EQ』, 1995年5月)
- "La Maison du juge"
- 『メグレと判事の家の死体』(長島良三訳, 光文社『EQ』, 1988年3月)
- "Signé Picpus"
- 『メグレと謎のピクピュス』(長島良三訳, 光文社『EQ』, 1983年7月)
- "L'Inspecteur Cadavre"(1941年)
- 『メグレと死体刑事』(長島良三訳, 読売新聞社[フランス長編ミステリー傑作集]3巻, 1981年9月)
- "Féliche est là"
- 『メグレと奇妙な女中の謎』(長島良三訳, 光文社『EQ』, 1986年5月)
- "Maigret se fâche"(1945年)
- 『メグレ激怒する』(長島良三訳, 河出書房新社[河出文庫], 1988年8月)
- "Maigret à New York"(1946年)
- 『メグレ氏ニューヨークへ行く』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年4月)
- "Les Vacances de Maigret"(1947年)
- 『メグレの休暇』(永戸俊雄訳, 早川書房[ハヤカワ・ミステリ], 1955年)
- 『メグレのバカンス』(矢野浩三郎訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1980年8月)
- "Maigret et son mort"(1947年)
- 『メグレと殺人者たち』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1976年4月)
- "La Première Enquête de Maigret"(1948年)
- 『メグレの初捜査』(萩野弘巳訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年5月)
- "Mon ami Maigret"(1949年)
- 『メグレ式捜査法』(谷亀利一訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年7月)
- "Maigret chez le coroner"(1949年)
- 『メグレ保安官になる』(鈴木豊訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年7月)
- "L'Amie de Madame Maigret"(1949年)
- 『メグレ夫人と公園の女』(佐宗鈴夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年6月)
- "Les Mémories de Maigret"(1950年)
- 『メグレの回想録』(長島良三訳, 早川書房[世界ミステリ全集]9巻, 1973年4月30日)
- "Maigret et la vieille dame"(1950年)
- 『メグレと老婦人』(日影丈吉訳, 早川書房[ハヤカワ・ミステリ], 1961年 / 早川書房[ハヤカワ・ミステリ文庫], 1976年)
- "Maigret au Picratt's"(1950年)
- 『モンマルトルのメグレ』(矢野浩三郎訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年1月)
- "Maigret en meublé"(1951年)
- 『メグレ夫人のいない夜』(佐宗鈴夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年4月)
- "Maigret et la Grande Perche"(1951年)
- 『メグレと消えた死体』(榊原晃三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年8月)
- "Le Revolver de Maigret"(1952年)
- 『メグレの拳銃』(佐宗鈴夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年6月)
- "Maigret et l'homme du banc"(1952年)
- 『メグレとベンチの男』(矢野浩三郎訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年12月)
- "Maigret a peur"(1953年)
- 『メグレの途中下車』(榊原晃三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1976年)
- "Maigret se trompe"(1953年)
- 『メグレ間違う』(萩野弘巳訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1976年)
- "Maigret à l'école"(1953年)
- 『メグレと田舎教師』(佐伯岩夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年5月)
- "Maigret et la jeune morte"(1954年)
- 『メグレと若い女の死』(北村良三訳, 早川書房[ハヤカワ・ミステリ], 1972年)
- "Maigret chez le ministre"(1954年)
- 『メグレと政府高官』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年9月)
- "Maigret tend un piège"(1955年)
- 『メグレ罠を張る』(峯岸久訳, 早川書房[ハヤカワ・ミステリ], 1958年)
- "Maigret et le corps sans tête"(1955年)
- 『メグレと首無し死体』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年2月)
- "Un échec de Maigret"(1956年)
- 『メグレの失態』(大友徳明訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年11月)
- "Maigret s'amuse"(1956年)
- 『メグレ推理を楽しむ』(仁科祐訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年10月)
- "Maigret voyage"(1957年)
- 『メグレとかわいい伯爵夫人』(江口旦訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年8月)
- "Les Scruples de Maigret"(1957年)
- 『メグレと火曜の朝の訪問者』(谷亀利一訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1976年)
- "Maigret et les témoins récalcitrants"(1958年)
- 『メグレと口に固い証人たち』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1976年12月)
- "Une Confidence de Maigret"(1959年)
- 『メグレの打明け話』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年4月)
- "Maigret aux assises"(1959年)
- 『重罪裁判所のメグレ』(小佐井伸二訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年10月)
- "Maigret et les vieillards" (1960年)
- 『メグレと老外交官の死』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1980年1月)
- "Maigret et le vouleur paresseux"(1961年)
- 『メグレと優雅な泥棒』(榊原晃三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年12月)
- "Maigret et les braves gens"(1961年)
- 『メグレと善良な人たち』(小佐井伸二訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年8月)
- "Maigret et le client du samedi"(1962年)
- 『メグレと妻を寝とられた男』(大友徳明訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年3月)
- "Maigret et le clochard"(1962年)
- 『メグレとルンペン』(野中雁訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年5月)
- "La Colère de Maigret"(1962年)
- 『メグレと殺された容疑者』(佐宗鈴夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年1月)
- "Maigret et le fantôme"(1963年)
- 『メグレと幽霊』(佐宗鈴夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1976年)
- "Maigret se defénd"(1964年)
- 『メグレたてつく』(榊原晃三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1977年3月)
- "La Patience de Maigret"(1965年)
- 『メグレと宝石泥棒』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年2月)
- "Maigret et l'affaire Nahour"(1966年)
- 『メグレと賭博師の死』(矢野浩三郎訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1979年4月)
- "Le Voleur de Maigret"(1966年)
- 『メグレの財布を掏った男』(伊東守男訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年5月)
- "Maigret à Vichy"(1967年)
- 『メグレとリラの女』(伊東守男訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年7月)
- "Maigret hésite"(1968年)
- 『メグレと殺人予告状』(榊原晃三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年8月)
- "L'Ami d'enfance de Maigret"(1968年)
- 『メグレの幼な友達』(田中梓訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年10月)
- "Maigret et le tueur"(1969年)
- 『メグレと録音マニア』(佐宗鈴夫訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年6月)
- "Maigret et le marchand de vin"(1969年)
- 『メグレとワイン商』(飯田浩三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年11月)
- "La Folle de Maigret"(1970年)
- 『メグレと老婦人の謎』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年7月)
- "Maigret et l'homme tout seul"(1971年)
- 『メグレとひとりぼっちの男』(野中雁訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年9月)
- "Maigret et l'indicateur"(1971年)
- 『メグレと匿名の密告者』(野中雁訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年6月)
- "Maigret et Monsieur Charles"(1972年)
- 『メグレ最後の事件』(長島良三訳, 河出書房新社[メグレ警視シリーズ], 1978年9月)
短編
- "Les Nouvelles Enquetes de Maigret"(1944年, 短編集)
- "La Péniche aux deux pendus"(1938年)
- 「首吊り船」
- "L'Affaire du boulevard Beaumrchais"(1938年)
- 「ボーマルシェ大通りの事件」
- "La Fenêtre ouverte"(1938年)
- 「開いた窓」
- "Monsieur Lundi"(1938年)
- 「月曜日の男」
- "Jeumont, 51 minutes d'arrêt"(1938年)
- 「停車―51分間」
- "Peine de mort"(1938年)
- 「死刑」
- "Les Larmes de bougie"(1938年)
- 「蝋のしずく」
- "Rue Pigalle"(1938年)
- 「ピガール通り」
- "Une erreur de Maigret"(1938年)
- 「メグレの失敗」
- "L'Amoureux de Madame Maigret"(1938年)
- 「メグレ夫人の恋人」
- "La vieille Dame de Bayeux"(1938年)
- 「バイユーの老婦人」
- "L'Auberge aux noyés"(1938年)
- 「水死人の宿」
- 「メグレと溺死人の家」
- "Stan le tueur"(1938年)
- 「殺し屋スタン」
- "L'Etoile du nord"(1938年)
- 「北の星」
- 「ホテル<北極星>」
- "Tempête sur la Manche"(1938年)
- 「メグレの退職旅行」
- "Mademoiselle Berthe et son amant"(1938年)
- 「メグレとおびえるお針娘」
- "Le Notaire de Châteauneuf"(1938年)
- 「メグレと消えたミニチュア」
- "L'Improbable Monsieur Owen"(1938年)
- 「メグレと消えたオーエン氏」
- "Ceux du Grand Café"(1938年)
- 「メグレとグラン・カフェの常連」
- "La Péniche aux deux pendus"(1938年)
- "Un Noël de Maigret"(1950年)
- 「メグレ警視のクリスマス」
名探偵エミールの冒険シリーズ
メグレ警視の元部下で探偵所長のトランスと、相棒の探偵エミールの物語。全14編の連作短編として発表され、その後単行本としてまとめられた。 邦訳は四分冊。
- Les Dossiers de l'agence O
G・7號(G-7)もの
- Les Treize Énigmes (1932年) - 短編集。:『ダンケルクの悲劇』(芹南冬夫訳, 春秋社,1937年)
- 《G7》 (1928年) - G-7最初の短編「タクシーの中の男」。HMM'70.11掲載。HPB255「名探偵登場6」('63)に収録。(早川書房)
- L'Inconnue d'Etretat (1928年) - G-7最後の短編「エトュルタの無名婦人」。「月刊探偵」'36.6掲載。
青年探偵ジョゼフ・ルボルニュ
- Les 13 mystères (1932年)
- 『13の秘密』(大久保輝臣訳, 東京創元新社,1963年) - 探偵を趣味とする青年ルボルニュを主役にした連作。
チビ医者の犯罪診療簿
- Le Petit Docteur (1938年)
- 『死体が空から降ってくる』(原千代海訳, ハヤカワポケットミステリ414 ,1958年)
- L'amoureux aux pantoufles (1943年)
- 『上靴にほれた男』(原千代海訳, ハヤカワポケットミステリ438 ,1958年)
その他のジョルジュ・シムノン名義の作品
長編
- "Le relais d'Alsace"(1931年)
- 『アルザスの宿』(原千代海訳,創元推理文庫,1960年)
- "Le Passager du 'Polarys'"(1932年)
- 『北氷洋逃避行』(伊東鍈太郎訳,京北書房,1946年)
- "Les fkançailles de M. Hire"(1933年)
- 『仕立て屋の恋』(高橋啓訳, 早川書房,1992年)
- "L'homme de Londres"(1934年)
- 『倫敦から来た男』(長島良三訳,河出書房新社,2009年)
- "Le Testament Donadieu"(1937年)
- 『ドナデュの遺言』(手塚伸一訳, 集英社[シムノン選集]11巻,1970年)
- 改題『ドナデュの遺書』(集英社[世界文学全集]42巻,1975年/集英社[集英社文庫]1979年1月)
- "L'homme qui regardait passer les trains"(1938年)
- 『汽車を見送る男』(菊池武一訳,新潮社,1954年)
- "Les inconnus dans La maison"(1941年)
- 『家の中の見知らぬ者たち』(長島良三訳,読売新聞社,1993年)
- "La Veuve Couderc"(1942年)
- 『片道切符』(安東次男訳,集英社文庫,1977年)
- "L'aine des Ferchaux"(1943年)
- 『フェルショー家の兄』(伊藤晃訳,筑摩書房,1978年)
- "La Fuite de monsieur Monde"(1945年)
- 『モンド氏の失踪』(長島良三訳,河出書房新社,1945年)
- "Trois chambres a Manhattan"(1946年)
- 『マンハッタンの哀愁』(長島良三訳,河出書房新社,2010年)
- "Lettre a mon juge"(1947年)
- 『判事への手紙』(那須辰造訳,早川書房,1956年)
- "La neige était sale"(1948年)
- 『雪は汚れていた』(永戸俊雄訳, 早川書房[シメノン選集]1巻,1955年)
- 『雪は汚れていた』(三輪秀彦訳, 集英社[シムノン選集]1巻,1969年/早川書房[ハヤカワ文庫],1977年4月/主婦の友社[キリスト教文学の世界]4巻,1978年8月)
- "Le fantomes de chaplier"(1949年)
- 『帽子屋の幻影』(秘田余四郎訳,早川書房,1956年)
- "L'enterrement de Monsieur Bouvet"(1950年)
- 『ブーベ氏の埋葬』(長島良三訳,河出書房新社,2010年)
- "Une Vie comme neuve"(1951年)
- 『新しい人生』(粟津則雄・今田裕訳 集英社 [シムノン選集]5巻,1969年)
- "Le temps d'anais"(1951年)
- 『アナイスのために』(小佐井伸二訳,集英社[シムノン選集]3巻,1969年)
- 『娼婦の時』(日影丈吉訳,早川書房,1981年)
- "Les Freres Rico"(1952年)
- 『リコ兄弟』(山崎庸一郎訳,集英社文庫,1980年)
- "La mort de Belle"(1952年)
- 『ベルの死』(峯岸久訳,早川書房,1957年)
- "Les T'emoins"(1955年)
- 『証人たち』(野口雄司訳,河出書房新社,2008年)
- "En cas de malheur"(1956年)
- 『可愛い悪魔』(秘田余四郎訳,早川書房,1958年)
- "Strip Tease"(1958年)
- 『ストリップ ティーズ』(大久保和郎訳,集英社文庫,1978年)
- "Dimanche"(1959年)
- 『日曜日』(生田耕作訳,集英社[シムノン選集]7巻,1970年)
- "L'ours en peluche"(1960年)
- 『闇のオディッセー』(長島良三訳,河出書房新社,2008年)
- "Le Train"(1961年)
- 『離愁』(谷亀利一訳,ハヤカワ文庫,1975年)
- "Betty"(1961年)
- 『ベティー』(長島良三訳,読売新聞社,1992年)
- "Les Anneaux De Bicetre"(1963年)
- 『ビセートルの環』(三輪秀彦訳,集英社文庫,1979年)
- "La Chambre Bleue"(1964年)
- 『青の寝室』(長島良三訳,河出書房新社,2011年)
- "Le petit saint"(1965年)
- 『ちびの聖者』(長島良三訳,河出書房新社,2008年)
- "Pedigree"(1948年)
- "Le Chat"(1967年)
- 『猫』(三輪秀彦訳,創元推理文庫,1985年)
- "L'homme au petit chien"
- 『小犬を連れた男』(長島良三訳,河出書房新社 ,2012年)
- "Les innocents"(1972年)
- 『妻は二度死ぬ』(中井多津夫訳,晶文社,1985年)
短編
- "Les Treize Coupables"(1932年)
- 短編集
- 『猶太人ジリウク』(山野晃夫訳, 春秋社,1937年)
- "Les Treize mystères"(1932年)
- 短編集
参考文献
- ジル・アンリ『シムノンとメグレ警視』(桶谷繁雄訳, 河出書房新社,1980年9月25日) ISBN 4-309-20032-X
- 『名探偵エミールの冒険4』(長島良三訳, 読売新聞社,1998年)
- 長島良三『メグレ警視のパリ フランス推理小説ガイド』読売新聞社、1984年