アレクサンドル・ヴァレフスキ
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アレクサンドル・フロリアン・ジョゼフ・コロンナ=ヴァレフスキ(Alexandre Florian Joseph, comte (prince) Colonna-Walewski, 1810年5月4日 - 1868年10月27日)は、フランス第二帝政の政治家、貴族。ナポレオン・ボナパルトと愛人マリア・ヴァレフスカとの間にできた庶子。
来歴
1810年生まれ。ナポレオンがポーランド遠征時に出会った人妻のマリア・ヴァレフスカ伯爵夫人との間に生まれたが、夫のヴァレフスキ伯爵が自分の子として認知した。しかし間もなくこの2人は離婚し、1817年、7歳のときに母は病死した。何度か会っただけの実父ナポレオンも、1821年に死去した。
幼年時代をポーランドで過ごし、独立運動に加わる。17歳でフランスに亡命。母国で革命が起こると革命軍に加わるが、失敗するとフランスに戻り外交官になる。1848年に従兄ルイ=ナポレオン(後のナポレオン3世)が大統領になると接近し、駐マドリード大使、駐ロンドン大使を歴任した。1855年に外務大臣に就任。その後、国務大臣、立法院議長などといった要職を歴任した。
大臣時代には、実父のナポレオンと生き写しの声と容姿をしていたために、外国人から彼がナポレオン3世だと間違われることがあった。また、美貌の妻マリアンヌとナポレオン3世が浮気をしていて、その情交の現場を目撃したこともある。
1868年10月27日、ストラスブールで脳梗塞のため死去し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。