アダム・フェデリチ

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{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} アダム・ジェイ・フェデリチAdam Jay Federici, 1985年1月31日 - )は、オーストラリアシドニー出身の同国代表サッカー選手ストーク・シティFC所属。ポジションはGK。苗字は「フェデリーチ」とも表記される。

経歴

初期

ナウラEnglish版の南東に位置するハスキンソンEnglish版にあるチームでキャリアを始め、AISに所属。その後、ヨーロッパでプレーする夢を追い求め17歳でイングランドへ渡った。

シェフィールド・ウェンズデイFCボルトン・ワンダラーズFCのトライアルを受けた後、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCのトライアルに参加し、2003年2月にシーズン終了までの非契約型で加入[1]イタリアASDトレス・カルチョで過ごした後、イングランドへ戻りリーズ・ユナイテッドAFCのトライアルに参加するも契約を勝ち取ることは出来なかった。

レディング

2005年冬にレディングFCに非契約型で加入すると、すぐさまメイデンヘッド・ユナイテッドFCへ貸し出され、2005-06シーズン後半はノースウッドFCで過ごした。2006年夏にようやくプロ契約を結ぶと、7月15日のプレシーズンマッチ・ブロムリーFC戦で急遽ストライカーとして起用され、唯一のゴールを決めた[2]2006年8月29日ブリストル・シティFCに貸し出されるもファースト・チームでの出番はなく10月27日に返却された。

2007年3月12日、レディングと2008-09シーズン終了までの2年契約を結んだ[3]2月17日FAカップ5回戦オールド・トラッフォードで行われたマンチェスター・ユナイテッドFC戦に2軍で挑みながらも、フェデリチのファインセーブを連発する活躍により1-1の引き分けに持ち込んだ[4]。このパフォーマンスから"5回戦の最優秀選手"に選ばれた[5]が、27日の再試合は6分間で3点を許してしまい敗退した。

4月1日、0-1で敗れたトッテナム・ホットスパーFC戦で正GKのマーカス・ハーネマンが腰を負傷したことにより、ハーネマンに代わり後半から出場しリーグデビューを果たした[6]。また、3-3で引き分けたブラックバーン・ローヴァーズFC戦でハーネマンが手を負傷したことにより、後半から出場した。

2008年9月25日3部サウスエンド・ユナイテッドFCに貸し出され[7]、翌日の3-0で勝利したレイトン・オリエントFC戦でデビューした[8]。10月にレンタル期間が数ヶ月延長され[9]、最終的に10試合に出場した[10]

12月にローン期間が終了しクラブに復帰すると、2011年夏まで契約延長[11]。この月の間のブラックプールFC戦で、ハーネマンがふくらはぎを負傷したことにより終盤に交代出場した。また、この怪我で数週間の離脱が決定したため先発の座を掴むようになった[12]。次節のノリッジ・シティFC戦で初スタメン出場し無失点に抑え、そのパフォーマンスにスティーヴ・コッペル監督は称賛を送った[13]2008年12月26日カーディフ・シティFC戦で89分にマイケル・チョプラにゴールを決められ、そのまま敗北すると思われたが、スティーブン・ハントEnglish版のCKからマイケル・デュベリーのヘディングシュートをクリアされたところに詰め、試合終了間際の96分にゴールを決め1-1の引き分けに持ち込んだ[14]

2009-10シーズン前、ハーネマンがウルヴァーハンプトンに移籍したことにより背番号1を引き継いだ。2009年8月18日2部スウォンジー・シティAFC戦で2度の至近距離からのシュートを止め、0-0の引き分けに貢献。試合後、このセーブを自身のキャリアでベストの中の2つだと語った[15]

2011-12シーズンは、正GKとして全42試合に出場しクラブの5シーズンぶりのプレミアリーグ復帰に貢献した。

ボーンマス

2015年5月27日、プレミアリーグ昇格を果たしたAFCボーンマスに3年契約で移籍した[16]

2017-18シーズンはノッティンガム・フォレストFCへレンタル移籍すると発表されていたが、オーストラリア代表に召集されている最中の負傷により手術を行い、その影響で移籍は解消され、ボーンマスへ復帰した[17]

ストーク・シティ

2018年7月3日、ストーク・シティFCへ移籍した。

代表

U-20時代に2005 FIFAワールドユース選手権に出場。

2007年1月29日ロンドンで行われるデンマークとの親善試合に向けて合宿に呼ばれ[18]、6月2日のウルグアイ戦で初ベンチ入りした[19]

2008年、北京オリンピックのメンバーに選ばれ、正GKとしてグループステージ全3試合に出場した。

2010 FIFAワールドカップ直前の5月24日ニュージランド戦で初キャップを記録し、ワールドカップのメンバー入りを果たした。大会では全3試合をマーク・シュワルツァーの控えとして過ごし出番はなかった。また、4月10日にイタリア人の家系に生まれイタリアのパスポートを所持していたことからイタリアサッカー連盟がコンタクトを取ってきため、マルチェロ・リッピ監督率いるイタリア代表としてプレーする可能性があった[20]

2011年10月11日2014 FIFAワールドカップ・アジア予選の3-0で勝利したオマーン戦で公式戦初出場し、アーメド・ムバラクEnglish版のFKを素晴らしいセーブをするなど無失点に貢献した。

所属クラブ

イングランドの旗 メイデンヘッド・ユナイテッドFC (loan) 2004-2005
イングランドの旗 ノースウッドFC (loan) 2005-2006
イングランドの旗 カーシャルトン・アスレティックFC (loan) 2005-2006
イングランドの旗 ブリストル・シティFC (loan) 2006
イングランドの旗 サウスエンド・ユナイテッドFC (loan) 2008
イングランドの旗 ノッティンガム・フォレストFC (loan) 2017

脚注

外部リンク

テンプレート:ストーク・シティFCのメンバー