藤原長家

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藤原 長家(ふじわら の ながいえ)は、平安時代中期の公卿歌人藤原北家摂政太政大臣藤原道長の六男。官位正二位権大納言。大宮または三条を号す。御子左家の祖。母は源明子(高松殿)であるが、後に道長の嫡妻源倫子の養子となった。

経歴

幼名は小若。寛仁元年(1017年)に元服し、従五位上に叙せられて、昇殿を許される。同年侍従次いで右近衛少将に任ぜられる。寛仁2年(1018年従四位上・右近衛中将、寛仁3年(1019年正四位下と順調に昇進し、治安2年(1022年従三位に叙せられ公卿に列す。

治安3年(1023年参議を経ることなく正三位権中納言治安4年(1024年正二位万寿5年(1028年)に権大納言に至る。その後は兄の頼通教通頼宗能信が長く健在だったこともあり、権大納言を極官として、康平7年(1064年)10月に病の為出家し、同年11月9日兄達に先んじて薨去。享年60。

千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成の曽祖父に当たり、長家自身も『後拾遺和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に44首の作品が入首するなど[1]、歌壇の中心的人物の一人であった。家集があったと言われるが、現存しない。

系譜

脚注

  1. 『勅撰作者部類』

出典

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年

外部リンク

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