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[[画像:Map Fukuoka-City isles.png|thumb|right|250px|能古島の位置(紫色が西区)]]
 
'''能古島'''(のこのしま)は、[[福岡県]][[福岡市]][[西区 (福岡市)|西区]]に所属する[[島]]である。[[博多湾]]の中央に浮かんでいる。
 
 
[[大都市]]の目の前にありながら僅か10分の船旅で[[都会]]の喧噪を忘れられるとあって、福岡[[市民]]の身近な[[行楽地]]として親しまれる。福岡でも屈指の[[菜の花]]・[[桜]]・[[コスモス]]・[[水仙]]の名所で、満開のころは一年で最も混雑する。
 
 
== 地理 ==
 
[[画像:20080813UmiNoNakamichiM.JPG|thumb|right|300px|[[海ノ中道]]上空からの能古島(左)。他に[[志賀島]](右)と[[玄界島]](右奥)も見える。]]
 
[[ファイル:Nokonoshima Island.JPG|thumb|right|300px|上空からの全景]]
 
博多湾の中央に位置し、南北3.5[[キロメートル]]、東西2キロメートル、周囲12キロメートル、面積3.95[[平方キロメートル]]<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201310/shima.pdf 島面積] 平成25年全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院(2013年10月現在)</ref>。最高[[標高]]195.0[[メートル]]([[三角点]]の標高)。[[人口]]は約720人、[[世帯]]数約200。
 
 
島の渡船場から[[アウトレットモール]]の[[マリノアシティ福岡]]まで直線距離で2キロメートルほど。[[福岡タワー]]や[[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]]のある[[シーサイドももち]]地区も約5キロメートル。近代的な[[建築物|ビル]]や[[超高層マンション]]が対岸に立ち並ぶも、[[自然]]が満喫できるという[[立地|ロケーション]]である。
 
 
島の西海岸には3億年前の変[[斑れい岩]]・[[結晶片岩]]が[[波]]に洗われ、その横には1億年前の[[花崗岩]]がある。4000万年前[[新生代]][[古第三紀]]の[[礫岩]]・紫赤色[[頁岩]]からなる[[残島層]](のこのしまそう)も島内で[[露頭]]し、能古島は[[隆起と沈降]]を繰り返してきたことが窺える。[[港]]の[[防波堤]]の横には500万年前に噴出した[[マグマ]]の[[火道]]が残り、含鉄[[玄武岩]]は島の各地で見られる。
 
 
なお、能古島は[[離島振興法]]の指定地域ではない。能古島は、[[1970年]]([[昭和]]45年)に[[市街化調整区域]]の指定を受け、今日に至っている。
 
 
能古島に[[高等学校]]はなく、[[福岡市立能古小学校]]と[[福岡市立能古中学校]]が同じ敷地内に校舎を接して建っている。その学校からは[[姪浜]]が一望できる。これらの小中学校は[[福岡市教育委員会]]から[[特認校]]の指定を受けており、福岡市全域から[[生徒]]が[[通学]]している。自然豊かな[[環境]]と、1クラス15人から20人の[[少人数教育]]が行われている。
 
 
== 歴史 ==
 
古くは「残」「能許」「能挙」「乃古」とも記載された。現在の表記が一般化したのは[[戦後]]である。
 
 
=== 上古 ===
 
[[神子柴系石器群]]の片刃磨製[[石斧]]が表採されている<ref>吉留秀敏「能古島採集の神子柴型石斧」 『能古島』</ref>ほか、島内各地から[[黒曜石]]製の[[打製石器]]が表採されている<ref name="shioya">塩屋勝利「福岡市能古島の考古資料」 『福岡市立歴史資料館研究報告』第8集 福岡市立歴史資料館 [[1984年]]</ref>。島の南東部の高台にある北浦遺跡や島南部のに西遺跡では、[[弥生時代]]前期末から中期前葉の[[弥生土器]]が表採されたほか、島北端の也良でも[[磨製石斧]]が表採される。島南東部には[[箱式石棺墓]]が営まれるが、出土遺物が無く時期は不明である。島の南側には、[[7世紀]]前後の[[古墳]]である早田古墳群があり、2基の[[横穴式石室]]が現存する。島の中央部にも鬼塚古墳という古墳があったとされるが、1941年の開墾で消滅したとされる<ref name="shioya"></ref><ref name="noko354">福岡市教育委員会「福岡市埋蔵文化財調査報告書第354集」『能古島:能古島遺跡発掘事前総合調査報告書』[[1993年]]</ref>。筑前国続風土記には、神宮皇后が帰朝のとき、この島に住吉の神霊を残し留めて異国の[[降伏]]を祈ったので残の島という、とある<ref>井上精三 博多郷土史事典 葦書房P175</ref>。
 
 
=== 古代 ===
 
能古島が初めて登場する文献は『[[平安遺文]]』である。[[731年]](天平3年)頃の[[住吉神社 (福岡市)|住吉神社]]の社領を記述した文中に「能護嶋」の名で登場する。
 
 
古代の群制では[[早良郡]]に組み込まれた。[[奈良時代]]には島北端の也良岬(やらみさき)に[[防人]]が設置される。『[[万葉集]]』には
 
 
 
{{Cquote|沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ}}
 
{{Cquote|沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 廻みて遭ぎ来と 聞え来ぬかも}}
 
 
と詠まれている。アイランドパーク内に[[狼煙]]台が復元されている。また[[遣新羅使]]が寄港地であった対岸[[糸島半島]]の唐泊で出航を待つ心情を綴った
 
 
{{Cquote|韓亭 能許の浦 波立ちぬ日はあれども 家に恋ひぬ日はなし}}
 
{{Cquote|風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の亭に 数多夜ぞ寝る}}
 
 
という歌も『万葉集』に残されている。
 
 
[[平安時代]]中期に編纂された『[[延喜式]]』兵部式には、島に[[ウマ|馬]][[牧]]があった旨の記述が残されている。島の中心に残る古土手という土塁遺構は、馬牧の境界だったと考えられる。
 
 
=== 中世 ===
 
島南東の城ノ浦には北浦城(または城崎城)の[[遺構]]が残っている。『[[筑前国続風土記]]』や『早良郡志』では[[築城]]者として[[山上憶良]]と、[[藤原純友]]家臣の伊賀寿太郎の2名を挙げている。
 
 
能古島は[[日本の歴史]]上、外[[敵]]に蹂躙されたことのある地の一つである。[[1019年]](寛仁3年)の[[刀伊の入寇]]では[[4月8日]]から[[4月11日]]の3日間に刀伊が軍を置き、早良群全体の被害量よりも多くの[[ウシ|牛]][[ウマ|馬]]を[[略奪]]されたことが『[[小右記]]』に記録されている。[[1281年]](弘安4年)の[[元寇#弘安の役|弘安の役]]では、島に上陸されたことが『[[八幡愚童訓]]』に記録されている。[[明治]]末期に島の南部で[[人骨]]が一箇所にまとまって出土したことがあり、現在は[[蒙古]][[塚]]が立てられて[[元寇]]の犠牲者の[[供養]]がされている。
 
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[大友氏]]家臣[[高橋鑑種]]の[[所領]]となる。[[石高]]は25[[石 (単位)|石]]。
 
 
=== 近世 ===
 
[[近世]]初頭には、残島浦として筑前五ヶ浦[[廻船]]の根拠地の一つとして繁栄した<ref>高田茂廣『筑前五ヶ浦廻船』</ref>。島南部の白髭神社も、海神である住吉大神を祀っていることから、廻船乗組員の寄進を受けており、[[1689年]](元禄2年)建立の鳥居には寄進した廻船業者の名が残る。
 
 
[[江戸時代]]には[[福岡藩]]の[[ニホンジカ|鹿]]狩りの場とされていた。しかし、鹿が[[農産物]]を荒らすため、対策として[[1836年]](天保7年)に島の南北を海の中まで分断するような[[石垣]]を完成させて島南側の[[農地|耕地]]への鹿の侵入を防いだ。これは鹿垣(しかがき)と呼ばれ、幅3 m の溝を掘り、溝の南側に高さ2 m に土を盛って[[土塁]]とし、土塁の北面に30 - 50 cm 大の石を積んだ構造であった。[[幕末]]の[[1853年]](嘉永6年)にはこの狩場で[[ジェームズ・スターリング (西オーストラリア州総督)|スターリング]][[イギリス|英国]]東洋艦隊提督が鹿[[狩猟|狩り]]に興じた。ただし島の鹿は[[1945年]](昭和20年)ごろに全滅した。
 
 
島南部には1基の[[登窯]]が残る。これは、能古焼という[[伊万里焼]]系の[[染付]][[磁器]]と[[高取焼]]系[[陶器]]を焼いた窯であり、『筑前国続風土記』によると、[[1764年]](明和元年)から[[1781年]](天明元年)までの約20年間のみ操業したという。現在、唯一の製品と思われる[[花瓶]]が隣接する能古博物館に展示されており、登窯は福岡市指定史跡となっている。[[1861年]](文久元年)には[[福岡藩]]によって異国船対策の[[台場]]が設置された<ref>高田茂廣「能古島の歴史」 『能古島』</ref>。
 
 
=== 近現代 ===
 
江戸時代には[[廻船]]業で繁栄した能古島も、[[明治維新]]以降は[[農業]]と[[沿岸漁業]]で生計を立てる[[漁港]]と[[棚田]]の島へと変貌した。
 
 
[[1941年]](昭和16年)[[10月15日]]には[[早良郡]][[能古村]]が福岡市に編入され今に至る。[[人口]]は[[1950年代]]の約1,500人を頂点に徐々に減少しつつある。
 
 
作家の[[檀一雄]]が晩年を過ごした島でもあり、娘の[[檀ふみ]]の著書『父の縁側、私の書斎』に島での一雄の生活が述べられている。檀が詠んだ最後の句である「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」の[[文学碑]]がある。毎年5月の第3日曜日には彼を偲んで「花逢忌」が営まれる。
 
 
== 観光 ==
 
[[File:Nokonoshima-Shikanosima.jpg|thumb|right|300px|のこのしまアイランドパークからの眺め。[[志賀島]]と[[海の中道]]が望める]]
 
[[File:Beach of Nokonoshima Camp Village.jpg|thumb|right|300px|能古島キャンプ村海水浴場]]
 
* のこのしまアイランドパーク - 春の[[アブラナ|菜の花]]・秋の[[コスモス]]・冬の[[スイセン属|水仙]]が有名。
 
* 能古島キャンプ村海水浴場
 
* 北浦海水浴場
 
* 展望台 - 博多湾を一望できる。
 
* 能古渡船場
 
* 亀陽文庫能古博物館
 
* 能古夢珈琲園 - [[コーヒー豆]]を自家栽培する。
 
* 白髭神社 - 能古島の[[産土神]]で、祭神は[[住吉大神]]、[[神功皇后]]、志賀明神(しかみょうじん)など。毎年10月に開催される宮座行事は、福岡市無形民俗文化財に指定されている。御神体を奉納した箱の裏には「白鬚の神が本の辻より古宮の地に移されしは白鳳元年なり」とあり、また、伝承によれば白鬚神社の御神体はもともと能古山頂に近い本の辻に現存する巨岩であったとされる<ref name="noko354"></ref>。
 
* カフェ&レストラン オーシャンズキッチン - 春~秋にかけてオーシャンズキッチンにあるウットデッキテラスでBBQができる。唯一能古島でデリバリーサービスをしている店。
 
<gallery>
 
ファイル:Nokonoshima Shirahige Shrine01.jpg|白鬚神社拝殿
 
ファイル:Nokonoshima Shirahige Shrine02.jpg|白鬚神社本殿
 
ファイル:Nokoyaki kiln ruin.jpg|能古焼古窯跡(能古博物館敷地内)
 
</gallery>
 
 
== 交通 ==
 
=== 本土と能古島との交通 ===
 
[[File:Flower NOKO.jpg|thumb|240px|right|姪浜渡船場と能古島の間を運航する[[福岡市営渡船]]「フラワーのこ」。]]
 
[[File:Flowers in front of Noko Ferry Passenger Terminal.JPG|thumb|240px|right|能古旅客待合所前の風景]]
 
 
; [[福岡市営渡船]]
 
: 福岡市西区の姪浜旅客待合所(能古渡船場)と能古島を結ぶフェリー。1日23便(日祝日は21便)。5時台から23時台まで運行される。朝と夕方は30分間隔、その他の時間帯は60分間隔。片道所要時間約10分。春・秋の行楽シーズンは、増便される。片道運賃は大人230円・小人120円。
 
: 姪浜旅客待合所へは市中心部の[[天神 (福岡市)|天神]]・[[博多駅]]から[[西鉄バス]]が頻繁に運行されている。[[福岡市地下鉄空港線|市営地下鉄空港線]]・[[九州旅客鉄道|JR九州]][[筑肥線]]の[[姪浜駅]]からは[[徒歩所要時間|徒歩]]約25分で、同駅から西鉄バスも運行されている。
 
; 海上タクシー
 
: 行楽シーズンには、姪浜と能古島を結ぶ公認の[[水上タクシー|海上タクシー]]が運行される。姪浜旅客待合所横で随時受付を行い、[[定員]]に達し次第出航する。片道[[運賃]]は大人500円、小人300円。所要時間約5分。
 
; 水上バス
 
: 市中心部の天神地区にある[[天神中央公園]](福博であい橋)と能古島を結ぶ。[[2010年]](平成22年)[[7月17日]]より同年[[10月31日]]までの間、[[試運転|試験運行]]されていた。[[2011年]](平成23年)3月27日より定期運行されていたが、[[2014年]](平成24年)10月1日より[[貸切]]便のみとなった。詳細は[[那珂川 (九州)#水上バス|那珂川#水上バス]]を参照。
 
 
福岡市営渡船では[[自動車航送]]が可能だが島民優先で、島内の[[道路]]も非常に狭い。[[自家用自動車|自家用車]]で姪浜まで来た観光客は姪浜渡船場の[[駐車場]]を利用することになる。多客期にはマリノアシティ福岡との間に無料[[シャトルバス]]が運行され、そちらの駐車場も利用できる。
 
 
=== 島内の交通 ===
 
[[File:Nishitetsu bus on Nokonoshima Island.jpg|thumb|240px|right|島内の道路(奥に西鉄バスが見える)]]
 
島の中心集落内、中央部、東岸部などに自動車通行可能な道路がある。島内に[[信号機]]はない。
 
 
[[駐在所]]が[[公民館]]前にあり、常時[[警察官]]が駐在している。
 
 
[[小売]][[店]]は全て島の南部に集中しており、渡船場に1軒あるほか、[[漁業協同組合|漁協]]の前に1軒あり、その近くに[[酒屋]]が2店舗構えている。
 
 
島内では西鉄バスが運行されており、[[西日本鉄道愛宕浜自動車営業所|愛宕浜自動車営業所]]が担当する。島の中心集落の西端部にある龍の宮とアイランドパークを結び、途中、渡船場を経由するが、渡船場発着の便もある。概ね1時間に1本の運行があり、多客期などは渡船場 - アイランドパーク間に[[臨時便]]が運行される場合がある。
 
1988年7月25日に運行開始。
 
 
== 産業 ==
 
[[File:Amanatsu trees on Nokonoshima Island.JPG|thumb|260px|right|島内の[[甘夏]]果樹]]
 
[[農業]]([[柑橘類]])と[[漁業]]([[魚介類]])がメインであるが「アイランドパーク」を主体とした[[観光]]の島でもある。
 
 
また、対岸の姪浜までフェリーで10分の近さであり、{{要出典範囲|date=2010年8月|今では1/5近くが博多・天神方面へ通勤している}}。
 
 
{{要出典範囲|date=2010年8月|農業従事者のほとんどが柑橘(みかん)の栽培で生計をたてている。}}特に「[[カワノナツダイダイ|甘夏みかん]]」と「[[ニューサマーオレンジ]]」の栽培が盛んである。また、、{{要出典範囲|date=2010年8月|漁業従事者の7割は[[アサリ]]漁で生計をたてている。}}能古島では、3年前{{いつ|date=2010年8月}}から[[カキ (貝)|牡蠣]]「万葉牡蠣」の養殖も行われるようになっている。
 
 
== 能古島のおみやげ・特産品 ==
 
[[File:Nokono-Ichi.jpg|thumb|260px|right|能古島の特産品が販売されている「のこの市」。]]
 
=== 農産物・海産物 ===
 
* 天然あさり(3月~11月)
 
* [[カワノナツダイダイ|甘夏みかん]](4月初旬~6月初旬)
 
* [[ニューサマーオレンジ]](4月下旬~5月下旬)
 
 
=== 特産品・名産品 ===
 
[[File:Nokonoshima cider.jpg|thumb|200px|right|能古島サイダー]]
 
[[File:Nocorita.jpg|thumb|200px|right|ノコリータ]]
 
* 天然あさり弁当(春・秋の期間限定販売)
 
* あさりおにぎり(春・夏の期間限定販売)
 
* 茶ぶりなまこ
 
* 茶ぶりツメタ貝
 
* 茶ぶりアカニシ貝
 
* 玄界灘やりいか沖漬け
 
* 芽吹きピーナッツもやしキムチ
 
* 手作り甘夏ぽん酢
 
* のこ芋羊羹
 
* よもぎ羊羹
 
* 甘夏のど飴
 
* ニューサマーオレンジのど飴
 
* 早積みレモンのど飴
 
* 甘夏クッキー
 
* 能古島サイダー
 
* ノコリータ
 
* 能古うどん
 
* のこぽん
 
* のこバーガー
 
* 能古島サブレー
 
* しあわせを呼ぶドレッシング(赤玉葱とニューサマーオレンジ)
 
 
== かいわれ大根発祥の地 ==
 
今や日本の食卓に定着している[[カイワレダイコン|かいわれ大根]]は能古島が発祥の地である。能古島に住む前田瀧朗が考案したとされる。但し、かいわれ大根は元々は[[大阪]]で食されていた[[食品|食材]]であり、それを能古島へ持ち帰った前田が栽培方法を改良しただけに過ぎない。前田は「あの時[[特許]]を取っていれば」と苦笑いしてテレビ番組で語ったことがあり、後に[[ラッカセイ|落花生]]の[[モヤシ]]「芽吹きピーナッツ」を考案、特許を取得している。
 
 
== 能古島に関する作品 ==
 
=== 音楽 ===
 
*[[B'z]]『[[RING (B'zの曲)|RING]]』(リング)B'zの30作目のシングル。(11thアルバム『[[ELEVEN (アルバム)|ELEVEN]]』収録)
 
*[[井上陽水]]『能古島の片想い』(アルバム『[[陽水II センチメンタル]]』収録)
 
*[[モダーン今夜]]『ひまわりのこ』
 
*[[とんちピクルス]]『ノコリータ』
 
*スピッツ『みなと』
 
 
=== 小説 ===
 
*[[檀一雄]]『[[火宅の人]]』
 
 
=== 映画 ===
 
*『[[ゴジラVSスペースゴジラ]]』(上空を[[スペースゴジラ]]が通過する)
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
== 参考文献 ==
 
*高田茂廣『能古島物語』能古歴史研究会、1971年
 
*[[福岡市教育委員会]]編 『能古島』福岡市埋蔵文化財調査報告書第354集、1993年
 
*前田淑『大宰府万葉の世界』[[弦書房]]、2007年、ISBN 978-4-90211678-6
 
*『福岡県の歴史散歩』[[山川出版社]]、1984年
 
*福岡市 編『ふくおか歴史散歩』
 
*岡本顕實『防人』さわらび社
 
*浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』[[弦書房]]、2009年、ISBN 978-4-86329-026-6
 
  
== 関連項目 ==
+
'''能古島'''(のこのしま)
{{Commons|Category:Nokonoshima}}
 
* [[日本の地理]]
 
* [[島の一覧]]
 
* [[日本の島の一覧]]
 
* [[のこのしま自然農園]]
 
  
== 外部リンク ==
+
残島,能巨島,乃古島とも書く。[[福岡県]]北西部,博多湾に浮ぶ島。最高点は 195m。福岡市[[西区]]に属する。玄武岩から成り,台地状の形状を示す。北端の也良 (やら) 岬には[[防人]] (さきもり) がおかれた。江戸時代はウマが飼育され,中心地区の江ノ口 (えのくち) は米,陶磁器を大坂,北陸方面に送る廻船業で栄えた。現在は野菜栽培と漁業が主産業で,東岸の北浦,大泊は海水浴場,キャンプ場,アイランドパークなどがあり,観光施設も多い。[[玄海国定公園]]に属する。市営渡船がある。面積 3.93km<sup>2</sup>。人口 853 (1996) 。
* [http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=333730&l=1301816&r=1 国土地理院 地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:福岡西部]
+
  
 
{{福岡市の地域}}
 
{{福岡市の地域}}
  
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{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:のこのしま}}
 
{{DEFAULTSORT:のこのしま}}
 
[[Category:西区 (福岡市)]]
 
[[Category:西区 (福岡市)]]
 
[[Category:福岡県の島]]
 
[[Category:福岡県の島]]
 
[[Category:日本海の島]]
 
[[Category:日本海の島]]

2018/10/27/ (土) 16:06時点における最新版

日本 > 九州地方 > 福岡県 > 福岡市 > 西区 > 能古島

能古島
座標 北緯33度37分15秒
東経130度18分12秒
面積 3.95(2010年10月) km²
海岸線長 12 km
最高標高 195.0(三角点の標高) m
所在海域 博多湾
テンプレートを表示

能古島(のこのしま)

残島,能巨島,乃古島とも書く。福岡県北西部,博多湾に浮ぶ島。最高点は 195m。福岡市西区に属する。玄武岩から成り,台地状の形状を示す。北端の也良 (やら) 岬には防人 (さきもり) がおかれた。江戸時代はウマが飼育され,中心地区の江ノ口 (えのくち) は米,陶磁器を大坂,北陸方面に送る廻船業で栄えた。現在は野菜栽培と漁業が主産業で,東岸の北浦,大泊は海水浴場,キャンプ場,アイランドパークなどがあり,観光施設も多い。玄海国定公園に属する。市営渡船がある。面積 3.93km2。人口 853 (1996) 。





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