犠牲バント
犠牲バント(ぎせいバント)とは、野球で、打者がアウトになる代わりに、走者を進塁させることを目的としたバントのことである。公認野球規則9.08[注 1]により定められている。英語ではSacrifice buntという。
走者を次塁に「送る」ことから送りバントとも呼ばれる。また、三塁走者を本塁に生還させる犠牲バントは特にスクイズプレイと呼ばれる。
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概要
歴史は古く、1860年代にブルックリン・アトランティックスの中心選手として活躍していたディッキー・ピアスが最初に犠牲バントを行っていたとされている[1]。
犠牲バントが用いられる状況は走者一塁、あるいは走者二塁(一塁・二塁を含む)の場合である。前者の場合は一塁線を狙って打球を転がすのがセオリーであり、後者の場合は三塁線に転がすべきとされる[2]。適切にバントが行われた場合、塁上の走者は打者走者が一塁でアウトになる間に進塁する。犠牲バントが予想される局面では守備側は必要に応じてバントシフトを敷いて対処する。なお、犠牲バントの打球にはインフィールドフライは宣告されないため、敢えて打球を落とし、併殺を狙う場合もある。
悪球はバントが難しいので、ボールになる投球であれば打たずに待つ[3]。バットに当たった瞬間にバットをわずかに引く。そして、バントされた球の飛ぶ方向はバットの角度で定まる。打つ面が三塁を向いていれば三塁に、一塁を向いていれば一塁線にそって球は転がっていく[4]。一塁に走者を置いた場合の犠打はファウルラインに近いフェアグラウンドで一塁手が深く突っ込まねばならぬ地点、一・二塁に走者を置いた場合は三塁方向か三塁と本塁の中間で三塁のファウルラインに近い地点、二塁に走者を置いた場合は三塁と本塁との中央のファウルライン近くにバントするのがそれぞれ最適とされている[5]。
広義の犠打であり、記録上の用語としても犠打が用いられる。犠打は、バントをした結果塁上の走者が進塁し、打者が一塁に達する前にアウトになったときに記録され、その打席は打数に含まれない。しかし、打者がセーフティバントを狙って結果的に送りバントの形になった場合は打数がカウントされる。また、打者走者をアウトにできるにもかかわらず、守備側が先行する走者をアウトにしようと試みて失敗し、誰もアウトにならなかった場合には、犠打と野選が記録される。守備側が失策し誰もアウトにならなかった場合、失策がなくても走者が進塁できたと記録員が判断すれば、犠打と失策が記録される。
送りバントが成功すれば、走者を得点圏(二塁や三塁)に進めたうえ、内野ゴロ等の凡打による併殺のリスクを回避できる。その一方で、守備側にアウトを一つ与えるというデメリットもある。ここから主に僅差の試合や、投手など安打を期待できない打者の打席で用いられる。しかし、どうしても1点が必要な局面などでは、チームの主砲である4番打者も犠牲バントを敢行することがある。
有効性と現状
セイバーメトリクスに基づく統計学的な分析によれば、現在の日本プロ野球およびメジャーリーグでは、無死一塁から送りバントをした場合と、しない場合の得点期待値(1イニングにどれだけ得点できると見込まれるか)を比較すると、バントをしない場合の方が高くなることが複数のデータの分析から明らかになっており[6]、犠牲バントの有効性が疑問視されている。
ただし、たまにバントを行うことで相手にバントを意識したシフトを敷かせる効果が期待できる[7]し、得点期待値よりも得点確率(得点出来るかどうか)を重視する場面、つまり1点を争うような展開の試合終盤に犠牲バントを選択することにも一定の合理性が認められる[8]。またプロ野球・高校野球等同一の枠組みであっても、得点環境は年代により大きく変動しており[注 2]、作戦の評価や比較の際にはこうした環境の影響にも注意する必要がある。
近年のメジャーリーグ、特にセイバーメトリクスを重視した戦術を取る「新思考派」と呼ばれるチームでは、犠牲バントの数が大幅に減少している。リーグ全体で見た場合も、1940年代は500打席に対し約5.5回はバントが行われていたが、1980年代までにその比率は約5回に下がり、2004年には3回を少し超える程度にまで頻度が落ちている[9]。
対照的に日本では犠牲バントが広く用いられており、2005年の時点で比較した場合、プロ野球とメジャーリーグではバントの頻度において倍近い差があることがわかっている[10]。また、高校野球ではプロ以上にバントが多用されており、2010年の夏の甲子園では1試合平均で5.02本のバントが行われた[11]。一方で、蔦文也監督が率いた徳島県立池田高等学校(通称「やまびこ打線」)や、2007年に選抜大会を制した常葉菊川はバントをしない戦術で注目を集めた[12]。プロ野球においても1998年に横浜ベイスターズを優勝に導いた権藤博はバントを用いることに消極的であった[13]。
日本プロ野球
通算記録
順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
1 | 川相昌弘 | 533 |
2 | 平野謙 | 451 |
3 | 宮本慎也 | 408 |
4 | 伊東勤 | 305 |
5 | 田中浩康 | 301 |
6 | 新井宏昌 | 300 |
7 | 細川亨 | 294 |
8 | 金子誠 | 292 |
9 | 石井琢朗 | 289 |
10 | 荒木雅博 | 283 |
順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
11 | 正田耕三 | 282 |
12 | 水口栄二 | 279 |
13 | 今宮健太 | 270 |
14 | 小坂誠 | 267 |
15 | 大島公一 | 265 |
16 | 吉田義男 | 264 |
17 | 東出輝裕 | 264 |
18 | 平野恵一 | 256 |
19 | 谷繁元信 | 252 |
20 | 井端弘和 | 248 |
- 記録は2017年シーズン終了時[14]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 宮本慎也 | ヤクルトスワローズ | 67 | 2001年 | セ・リーグ記録 |
2 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 66 | 1991年 | |
3 | 田中浩康 | 東京ヤクルトスワローズ | 62 | 2011年 | |
3 | 今宮健太 | 福岡ソフトバンクホークス | 62 | 2013年 | パ・リーグ記録 |
3 | 今宮健太 | 福岡ソフトバンクホークス | 62 | 2014年 | パ・リーグ記録 |
3 | 中島卓也 | 北海道日本ハムファイターズ | 62 | 2016年 | パ・リーグ記録 |
7 | 平野恵一 | 阪神タイガース | 59 | 2010年 | |
8 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 58 | 1990年 | |
8 | 田中賢介 | 北海道日本ハムファイターズ | 58 | 2007年 | |
10 | 和田豊 | 阪神タイガース | 56 | 1988年 | |
10 | 川相昌弘 | 読売ジャイアンツ | 56 | 1996年 |
- 記録は2016年シーズン終了時[15]
1試合記録
選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
弓岡敬二郎 | 阪急ブレーブス | 4 | 1985年6月9日 | 南海ホークス |
平田勝男 | 阪神タイガース | 1985年7月18日 | 広島東洋カープ | |
栗山英樹 | ヤクルトスワローズ | 1989年6月4日 | 中日ドラゴンズ | |
平野謙 | 西武ライオンズ | 1991年6月19日 | オリックス・ブルーウェーブ | |
佐藤幸彦 | 千葉ロッテマリーンズ | 1993年7月9日 | 西武ライオンズ | |
石井琢朗 | 横浜ベイスターズ | 2003年7月8日 | 中日ドラゴンズ | |
関川浩一 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 2006年9月5日 | オリックス・バファローズ | |
関本賢太郎 | 阪神タイガース | 2008年6月17日 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | |
山崎憲晴 | 横浜DeNAベイスターズ | 2014年7月21日 | 中日ドラゴンズ |
メジャーリーグベースボール
注:一部記録については犠飛(犠牲フライ)を含む。
通算記録
順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
1 | エディ・コリンズ | 511 |
2 | ジェイク・ドーバート | 392 |
3 | スタッフィー・マッキニス | 383 |
4 | ウィリー・キーラー | 366 |
5 | ドニー・ブッシュ | 337 |
6 | レイ・チャップマン | 334 |
7 | ビル・ワムスガンス | 323 |
8 | ロジャー・ペキンポー | 314 |
9 | ラリー・ガードナー | 311 |
10 | トリス・スピーカー | 309 |
順位 | 選手名 | 犠打 |
---|---|---|
11 | ラビット・マランビル | 300 |
12 | タイ・カッブ | 291 |
13 | マックス・キャリー | 290 |
14 | ジミー・シェッカード | 286 |
15 | ジョー・ティンカー | 285 |
16 | ジャック・バリー | 284 |
17 | フランク・シュルト | 279 |
18 | ジミー・オースティン | 278 |
19 | ハリー・ハイルマン | 277 |
19 | フレッド・テニー | 277 |
- 記録は2013年シーズン終了時[16]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 犠打 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 67 | 1917年 | ア・リーグ記録 |
2 | ビル・ブラッドリー | クリーブランド・ナップス | 60 | 1908年 | |
3 | ジャック・バリー | ボストン・レッドソックス | 54 | 1917年 | |
4 | ボブ・ガンリー | ワシントン・セネタース | 52 | 1908年 | |
4 | ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 52 | 1909年 | |
6 | レイ・チャップマン | クリーブランド・インディアンス | 50 | 1919年 | |
7 | ドニー・ブッシュ | デトロイト・タイガース | 48 | 1920年 | |
7 | ジョー・ギデオン | セントルイス・カージナルス | 48 | 1920年 | ナ・リーグ記録 |
9 | オッシー・ビット | ボストン・レッドソックス | 47 | 1919年 | |
10 | ビル・ブラッドリー | クリーブランド・ナップス | 46 | 1907年 | |
10 | ジミー・シェッカード | シカゴ・カブス | 46 | 1909年 | |
10 | ラルフ・ヤング | デトロイト・タイガース | 46 | 1919年 | |
10 | バッキー・ハリス | ワシントン・セネタース | 46 | 1924年 |
- 記録は2013年シーズン終了時[17]
脚注
脚注
出典
- ↑ 佐山和夫. 野球の英語A to Z:佐山和夫が語るアメリカ野球用語. 三修社. ISBN 978-4384051773.
- ↑ 転がす場所の狙いどころ
- ↑ キャンパニス(1957年) p.205
- ↑ キャンパニス(1957年) p.206
- ↑ キャンパニス(1957年) pp.206-208
- ↑ 日本の野球でも「バントは損」か 日米野球比較(3) 日本経済新聞 2011年1月17日
- ↑ 日本でも「脱バント」が浸透するか 日米野球比較(5) 日本経済新聞 2011年2月14日
- ↑ 試合終盤ならバントすべきか 日米野球比較(2) 日本経済新聞 2012年12月20日
- ↑ メジャーはなぜバントをしないのか 日米野球比較(3) 日本経済新聞 2010年12月6日
- ↑ 日本の野球でも「バントは損」か 日米野球比較3 日本経済新聞 2011年1月17日
- ↑ 早大野球部の“バント伝来”107年目。高校野球で、その功罪を見きわめる。 NumberWeb 2011年8月11日
- ↑ 『信頼』が生んだ常葉菊川の優勝
- ↑ 日本にもいた「バントの嫌いな監督」 日米野球比較(4)
- ↑ 歴代最高記録 犠打【通算記録】 - NPB.jp 日本野球機構
- ↑ 歴代最高記録 犠打【シーズン記録】 - NPB.jp 日本野球機構
- ↑ 通算記録 (MLB) - Baseball-Reference.com
- ↑ シーズン記録 (MLB) - Baseball-Reference.com
関連項目
参考文献
- Al Campanis(著),内村祐之 (翻訳) 『ドジャースの戦法』 ベースボール・マガジン社、1957年。