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{{出典の明記|date=2012年12月}}
 
[[Image:Andr52.jpg|thumb|right|220px|春画-喜多川歌麿]]
 
  
'''春画'''(しゅんが)とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の[[性行為|性交]]場面)を描いた絵画。[[浮世絵]]の一種でもあり、'''笑い絵'''や'''枕絵'''、'''枕草紙'''<ref>[http://kotobank.jp/word/%E6%9E%95%E8%8D%89%E7%B4%99 枕草紙とは][[コトバンク]]</ref>、'''秘画'''、'''ワ印'''とも呼ばれる。また、それほど露骨な描写でない絵は'''危絵'''(あぶなえ)とも呼ばれた。'''淫画'''や'''淫絵'''、'''猥画'''や'''猥絵'''といった呼称も在るが一般的ではない。現在の[[エロ本]]に当たる。
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'''春画'''(しゅんが)
  
その描写は必ずしも写実的でなく、性器が[[デフォルメ]]され大きく描かれることが多い。
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人間の性的な交わりを描いた日本の肉筆画([[肉筆浮世絵]]),[[版画]],[[版本]]などの総称。枕絵,笑絵などともいう。起源は[[平安時代]]までさかのぼり,中国から伝わった医学書である房中書([[房中術]])の図解に見られる。その後,日本の春画は独自の発展をするが,早い時期は貴族,僧侶,武家など身分の高い人々の間で享受されていた。その頃は肉筆が中心で,一点ものなので高価だったが,[[江戸時代]]になると[[木版]]技術の発達により,[[浮世絵]]版画の春画が廉価で数多く流通し,庶民層へと一気に広がった。描いた絵師も[[鈴木春信]][[鳥居清長]][[喜多川歌麿]][[葛飾北斎]][[歌川国貞]]など,著名な浮世絵師はみな,春画を手がけていた。春画は単に好色な男性のためのものではなく,多くの老若男女が愛好した。その根底には「男女和合」の精神があり,性をおおらかに肯定する気分が横溢している。江戸時代の[[享保の改革]][[寛政の改革]][[天保の改革]]の三大改革の時に春画は禁制になるが,そのつど地下にもぐり制作が続けられた。非合法の出版物なので,かえって贅沢な画材を使い,彫摺も超絶技巧を駆使した豪華なものができた。明治以降は政府により猥褻物として徹底的に取り締まられ,研究や学問の世界からも締め出された。しかし,21世紀になってからロンドンの[[大英博物館]]や東京の美術館で特別展が開催され,大きな反響を呼んだ。本格的な文化・美術の一分野として正当に評価されつつある。
[[ファイル:China15.jpg|サムネイル|[[中国]]の春画「[[春宮画]]」]]
 
[[ファイル:Tuhfet Ul-Mulk.jpg|サムネイル|[[トルコ]]の春画]]
 
== 歴史 ==
 
早くも[[古代文明]]の昔に、男女の性愛を描いた絵画や彫刻が存在している。[[紀元前30世紀]]年頃の[[シュメール]][[ウル]]の泥章(粘土板に描かれた線刻画)が残り、[[紀元前13世紀]][[古代エジプト]][[パピルス]]には「十二態位(ドデカテクノン)」と呼ばれる春画が描かれている。古代中国では[[]][[帝辛|紂王]]が画家に命じて男女交接図を描かせたことが、[[前漢]][[劉向]][[列女伝]]』孽嬖伝に記されている。
 
  
日本での春画の始まりは中国の[[医学書]]とともに伝えられた[[房中術]]の解説図だと思われる。日本では[[平安時代]]初期から'''偃息図'''(えんそくず、おそくず)、または'''おそくずの絵'''(おそくづのゑ)と呼ばれる性的題材を描いた絵画があったとされているが(『[[恒貞親王]]伝』『[[古今著聞集]]』第十一「画図」など)、もともと「偃息図」という言葉自体が中国からきたものである(「偃息」(えんそく)とは、横に寝転んで休むこと、男女が同衾することである)。なお、『[[嬉遊笑覧]]』は「おそはたはれたること、くづは屑なるべし、陽物をいふに似たり」と解釈する。
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それが庶民に、[[室町時代]]から[[江戸時代]]にかけて広がり、絵師たちによって描かれるようになった。例えば[[日明貿易]]において[[扇子]]は主要な輸出品の一つだったが、その中に「不肖の画」が含まれていたことが中国側の[[史料]]に見える<ref>王勇 「日本扇絵の宋元明への流入」、[[辻惟雄]]先生還暦記念会編『日本美術史の水脈』 [[ぺりかん社]]、1993年、pp.753-754、ISBN 4-8315-0595-1。</ref>。
 
 
 
春画の利用法の一つとして、災難よけの一種の[[お守り]]としての機能が挙げられる。武士は鎧の下に男女性交の図を厄除けの守りとして忍ばせ「勝絵」と呼ばれ、後世になると商人が火事を避ける願いを込めて蔵に春画を置いたという。また、特に枕絵の絵巻は花嫁の[[性教育]]のテキストとして後々まで使われた。
 
 
 
ただ、この時代は肉筆のため、一部の上流階級しか入手は困難だった。肉筆春画は19世紀の終わりまで製作され続け、版画での普及版も出回っている。現存する肉筆春画は、およそ200から300点だと推測される<ref>[[浅野秀剛]] 「肉筆浮世絵の世界」(石田泰弘監修 [[福岡市美術館]]ほか編 『肉筆浮世絵の世界 -美人画、風俗画、そして春画-』 [[西日本新聞社]] [[テレビ西日本]]、2016年8月8日、p.8)。</ref>。
 
 
 
[[桃山時代]]、[[明]]から'''春宮秘戯図'''が伝来し出版された(一般に[[春宮画]]、春意児と呼ばれる<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=gfABSe105cYC&pg=PA194 三国古典の散歩]崎岡洋右、文芸社, 2007</ref>)。それに影響され、日本で盛んに春画が描かれるようになった。1655年に[[京都]]で春本の出版が始まり、その5年後には[[江戸]]でも刊行された。1800年頃までには上方での春本版行はおよそ終わり、ほぼ全て江戸へ移行した。
 
 
 
初期の[[絵師]]としては[[菱川師宣]]が代表的であり、彼の作品の大半が春画である。また、[[井原西鶴]]の[[浮世草子]]、[[好色一代男]]が大流行し、'''好色物'''と呼ばれるジャンルが流行る。それにより、春画の需要が増える。
 
 
 
しかし[[享保]]7年([[1722年]])[[享保の改革]]により、好色本が禁止される。それでも需要があるため、これより非公開で販売されることとなる。そして、[[錦絵]]の開発により、多色刷りの春画が[[寛政]]のころから本格的に登場しだした。
 
 
 
[[江戸幕府]]の規定を守る必要がない春画は、通常では出版できない極彩色の作品が作られた。そのため、浮世絵の最高の技術が使われているものは春画とも言われている。ただ、幕府による取締りの対策として、作者、絵師、版元を分からないよう画中に'''隠号'''という形で記した。有名な絵師のほとんどがこれを手がけ、[[狩野派]]・[[土佐派]]の絵師達までもが描いた。奥絵師の画系で使われていた絵手本に「好色春画之法」の章が含まれている<ref> [[林守篤]] 『画筌』。</ref>ことから、格式高い奥絵師でさえも、注文に応じるため春画の描き方を習熟する必要があったことがわかる。
 
 
 
浮世絵春画の確実な数量は不明だが、江戸時代には題名が知られるものだけで1200種以上のあり、欠題のものや私的に作られた[[摺物]]などを含めると2300点以上と推測される。更に、通常春本は12枚の組物か、10枚前後の3冊本の形式を取るため、実際に描かれた数はその20倍以上にもなる<ref>[[早川聞多]] 「眼からウロコの浮世絵春画」(石田泰弘監修 福岡市美術館ほか編 『肉筆浮世絵の世界 -美人画、風俗画、そして春画- 春画編』 西日本新聞社 テレビ西日本、2016年8月8日、p.6)。</ref>。
 
 
 
[[版画]]として大量に出回った春画は高い芸術性を誇ったが、性教育のためか、性文化の追求か、はたまた思想、宗教的意味合いがあったのか、目的がよくわかっていない。どういう人達に需要があり、なぜ高い技術が要求されたか、今後の研究課題ともいえる。春画は[[印籠]]や[[根付]]、[[磁器]]などにも見られる。春画根付は、多くの場合根付全体をよく観察してやっと見つけられる趣向になっており、老男女、動物、聖人、果物などもある。性的な図様を絵付けを施した磁器は、宴会などで使用されたと考えられる。
 
 
 
[[明治]]に入り、次第に[[写真]]に取って代わられるようになった。改定律令違式罪目中に、春画およびその類の諸器物を販売する者を[[笞罪]]に処し、また没収を付加した。
 
 
 
現代においては、芸術作品([[エロティカ]])として社会的に高く評価されており、法的には猥褻出版物としての扱いは受けていない。ただし、[[表現の自主規制]]は行われている。
 
 
 
== 海外流出と受容 ==
 
[[幕末]]に起きた[[ジャポニスム]]によって、西洋では[[浮世絵]]がもてはやされたが、春画は画題が猥褻であるとの理由から嫌われ、輸出には供されなかった。しかし、次第に外国人好みの[[美人画]]が不足していったことから、明治末期から大正にかけて局部を書き換えた春画や、複数の春画を切り張りして一枚の美人画に仕立て上げたものを輸出するようになっていった。こうして作られた美人画は現在も多数流通しており、真贋をめぐって裁判沙汰になったケースもある。
 
 
 
西洋に初めて春画が伝わった時期は明らかではないが、[[イギリス]]に初めて春画がもたらさられたのは、[[1614年]]に日本から帰航した[[イギリス東インド会社|東インド会社]]所有の[[クローブ号]](日本に初めて来たイギリスの商船)と言われている<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-24298728 Historic Japanese erotica reveals Tokyo’s sex secrets ]By Duncan Bartlett BBC World Service 1 October 2013 </ref>。日本で得た文物はオークションで売りさばかれたが、春画は猥褻であるとして、破棄された。優れた絵画として高く評価したのは、ジャポニズム時代のフランスの美術家たちである。美術評論家[[ジュール・ド・ゴンクール]]は、[[1863年]]の『日記』の中でいち早くその芸術性に言及したが、『日記』初版時にはその個所は削除された。「浮世絵の発見者」と称するゴンクール兄弟は春画のコレクションを多く所有し、春画の紹介に努めた<ref>[http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/tagen/tagenbunka/vol1/ota01.pdf エドモン・ド・ゴンクールの歌麿、北斎 評釈に見る時代精神]太田康子、名古屋大学</ref>。[[ロダン]]、[[ロートレック]]、[[ピカソ]]といった画家たちに影響を与えたと言われている。
 
 
 
以来、春画のコレクターは世界中に広がり、オークションや展示会も各地で行なわれるようになった。春画コレクションを持つ美術館は多いが、一般に非公開である。[[パリ]]の[[フランス国立図書館]]は所有する大量の春画を「地獄」のコレクション(一般の閲覧を禁じたもの)に収蔵しているという<ref>[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200901150096.html 日仏芸術交流に新視点 150年機に新たな光] 朝日新聞、2009年1月15日</ref>。[[ロンドン]]の[[大英博物館]]では、1960年代まで「シクレターム(秘密)」と呼ばれる部屋に春画を保管していたが<ref>[http://www.news-digest.co.uk/news/columns/bridging-people/11045-2013-09-06.html インタビュー:ティム・クラークさん - 注目を集める大英博物館 「春画展」のキュレーター]ニュースダイジェスト、October 10, 2013</ref>、[[2013年]]に大規模な展覧会を行なった<ref>[http://www.britishmuseum.org/whats_on/exhibitions/shunga.aspx Shunga - Sex and Pleasure in Japanese Art runs at the British Museum from 3 October 2013 until 5 January 2014]British Museum</ref><ref>[http://www.youtube.com/watch?v=T9eNggxOu-o 大英博物館学芸員による解説] 大英博物館公式チャンネル</ref>。
 
 
 
[[世界]]で春画が美術として高評価を得る様になると、ようやく日本でも美術館での春画の展覧会が、[[2015年]]([[平成]]27年)10月に、[[東京都]]の[[永青文庫]]で企画展が開催される様になった。
 
 
 
==絵師と代表作==
 
[[File:Dream of the fishermans wife hokusai.jpg|thumb|240px|[[葛飾北斎]]『[[蛸と海女|喜能会之故真通]]』(1814年頃)]]
 
有名な作品に、
 
* [[醍醐寺]]蔵 『稚児草紙』
 
* [[藤原隆信]] 『春画小巻』
 
* 『[[小柴垣草紙]]』(一名『野々宮絵巻』)住吉慶恩筆といい、あるいは信実筆という
 
* 『灌頂の巻』 住吉慶恩筆といい、あるいは光信筆という
 
* 巨勢惟久 『[[袋法師絵詞]]』(一名『太秦物語』)
 
* [[土佐光信]] 『四十八番春画』
 
* [[狩野元信]] 『尾花日記』
 
古くは、伝・[[鳥羽僧正]]とされる『陽物くらべ』などがある。
 
 
 
=== 浮世絵 ===
 
*[[菱川師宣]]:『小むらさき』
 
*[[勝川春章]]:『絵本色好之人式』
 
*[[鳥居清長]]:『色道十二番』
 
*[[鈴木春信]]:『雪中相合傘』
 
*[[喜多川歌麿]]:『歌まくら』
 
*[[歌川豊国]]:『逢世雁之声』
 
*[[葛飾北斎]]:『萬福和合神』
 
*[[渓斎英泉]]:『夢多満佳話』
 
*[[歌川国芳]]:『華古与見』
 
*[[富岡永洗]]:『八雲の契り』
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*定本・[[浮世絵春画名品集成]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Shunga}}
 
*[http://www.bcn.cat/museupicasso/en/exhibitions/secret-images.html ピカソと春画]
 
*[http://marquet.inalco.free.fr/doc/handout_London.pdf フランスにおける春画の受容] 
 
* [http://www.mita-arts.com Mita-Arts Gallery Dealers in shunga prints]
 
* [http://www.artelino.com/articles/shunga.asp The Tradition of Japanese Shunga Prints]
 
* [http://www.gregkucera.com/shunga.htm Erotica: Japanese Shunga and Other Works]
 
* [http://shunga.honolulumuseum.org Japanese Shunga at the Honolulu Museum of Art]
 
<!-- * [http://www.androphile.org/preview/Museum/Japan/Japanindex.htm Androphile Homoerotic Shunga Exhibition]リンク切れ
 
* [http://groups.msn.com/TheLoversamongTarotCards/japaneselovers.msnw?pgmarket=en-us Japanese Lovers in Art]リンク切れ-->
 
* [http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/symp/2009-11-30/pub 浮世絵春画に見る江戸時代の性風俗と性文化] [[早川聞多]]、[[国際日本文化研究センター]], 2009.11.30.
 
 
 
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{{日本関連の項目}}
 
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[[Category:日本美術史]]
 
[[Category:日本美術史]]

2019/4/27/ (土) 18:08時点における最新版

春画(しゅんが)

人間の性的な交わりを描いた日本の肉筆画(肉筆浮世絵),版画版本などの総称。枕絵,笑絵などともいう。起源は平安時代までさかのぼり,中国から伝わった医学書である房中書(房中術)の図解に見られる。その後,日本の春画は独自の発展をするが,早い時期は貴族,僧侶,武家など身分の高い人々の間で享受されていた。その頃は肉筆が中心で,一点ものなので高価だったが,江戸時代になると木版技術の発達により,浮世絵版画の春画が廉価で数多く流通し,庶民層へと一気に広がった。描いた絵師も鈴木春信鳥居清長喜多川歌麿葛飾北斎歌川国貞など,著名な浮世絵師はみな,春画を手がけていた。春画は単に好色な男性のためのものではなく,多くの老若男女が愛好した。その根底には「男女和合」の精神があり,性をおおらかに肯定する気分が横溢している。江戸時代の享保の改革寛政の改革天保の改革の三大改革の時に春画は禁制になるが,そのつど地下にもぐり制作が続けられた。非合法の出版物なので,かえって贅沢な画材を使い,彫摺も超絶技巧を駆使した豪華なものができた。明治以降は政府により猥褻物として徹底的に取り締まられ,研究や学問の世界からも締め出された。しかし,21世紀になってからロンドンの大英博物館や東京の美術館で特別展が開催され,大きな反響を呼んだ。本格的な文化・美術の一分野として正当に評価されつつある。



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