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[[File:Owari Bridge R1 from wset s2.JPG|thumb|[[尾張大橋]]]]
 
[[File:Nagoya Port Bikeway 0703-01.jpg|thumb|[[名古屋港サイクリングロード]]]]
 
'''弥富市'''(やとみし)は、[[愛知県]]の西南部の[[市]]である。
 
  
== 概要 ==
+
'''弥富市'''(やとみし)
2006年([[平成]]18年)4月1日、[[海部郡 (愛知県)|海部郡]]弥富町が[[十四山村]]を編入合併して市制施行し、[[愛知県]]35番目の[[市]]である弥富市が誕生した。
 
  
北部は[[鉄道]]・[[幹線道路]]が充実しており、[[名古屋市]]や[[四日市市]]へのアクセスも良く[[ベッドタウン]]としての住宅開発が進み、人口は増加している。
 
 
農業では畑・ビニールハウスでの花き・野菜の栽培が比較的多く行われている。南部は[[市街化調整区域]]となっており、水田が広がっている。湾岸部は名古屋港西部臨海工業地帯を経て[[製造業]]・[[物流]]業が主要産業であり、自治体の積極的な企業誘致が行われている。[[キンギョ]]、[[ブンチョウ]](ハクブンチョウ)の産地である。
 
 
== 地理 ==
 
名古屋市の西側20キロ圏内に位置し、[[鍋田川]]・[[木曽川]]を挟んで[[三重県]]と接する。[[木曽川]]下流の[[三角州|デルタ地帯]]にあり、[[干拓]]によって開拓された土地の上に成り立っている。[[濃尾平野]]に[[海抜ゼロメートル地帯]]が大きく広がり、市域の地面は海水面より最大で2メートルほど低くなっている。西から東南へ緩やかな傾斜を持つ低湿地地帯であり、古くから[[洪水]]の被害が多い地域である。地質は、木曽川およびその支流の堆積土で形成された[[沖積層]]である。気候は温暖で夏季多雨、冬季乾燥型であり、冬には[[伊吹おろし]]による北西からの風が吹く<ref>[http://www.city.yatomi.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/764/1.pdf 第1次弥富市総合計画より]</ref>。
 
 
===河川===
 
*[[木曽川]]
 
*[[鍋田川]]
 
*[[筏川]]
 
*宝川
 
*善太川
 
*[[日光川]]
 
 
=== 隣接している自治体 ===
 
;{{Flagicon|愛知県}}[[愛知県]]
 
*[[愛西市]]
 
*[[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]
 
*海部郡[[飛島村]]
 
;{{Flagicon|三重県}}[[三重県]]
 
*[[桑名市]]
 
*[[桑名郡]][[木曽岬町]]
 
 
=== 人口 ===
 
2013年時点では愛知県内の「市」のなかで最も人口が少ない<ref>[http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/17216.html 総務省平成21年住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数] 2014年10月6日閲覧</ref>。
 
{{人口統計|code=23235|name=弥富市}}
 
 
=== 市内の地名 ===
 
[[弥富市の地名]]を参照。
 
 
== 文化 ==
 
=== 特産物 ===
 
[[キンギョ]]と[[ブンチョウ]]の人工[[繁殖]]がされている。
 
 
弥富市は[[弥富金魚]]で知られ、[[金魚日本一大会]]を開催している。また、弥富市は文鳥愛好家の間で俗に「文鳥村」と称される。
 
 
[[ブンチョウ]]は、[[1864年]]([[元治]]元年)、尾張藩武家に奉公していた八重女(やえじょ)が、又八新田を開発した犬山成瀬家家来大島新四朗に嫁いだ際、桜文鳥のつがいを持参し飼育を始め、それを機に又八新田地帯にてブンチョウの飼育が流行したのがブンチョウ文化の発端とされている。明治時代初期、あるブンチョウが突然変異で純白の文鳥を産んだことをきっかけに飼育改良に成功し、日本唯一のハクブンチョウの特産地となった。[[1962年]](昭和37年)頃から10年間、生産量はピークを迎えた。
 
 
現在の飼養戸数は4戸にまで減少している。ハクブンチョウとサクラブンチョウは6:4の割合で生産され、雛鳥の8〜9割は手乗り文鳥、残りは種文鳥となる。最近では、羽毛が茶色がかった「シナモン」・羽毛が灰色の「シルバー」の新種2種が繁殖され、その希少性が評価されている。[[2001年]](平成13年)からは文鳥の足に弥富文鳥を示すシールがつけられている。
 
 
市内の[[国道1号]]沿いには、ハクブンチョウの鳥模型が天井に装飾された[[公衆電話|電話ボックス]]が設置されている<ref>[http://www.pref.aichi.jp/nogyo-keiei/nogyo-aichi/tokusanhin/bunchou/ 愛知県公式ウェブサイトより]</ref><ref>岡崎信用金庫・H24年2月刊「あいちの地場産業」より</ref>。
 
 
=== 郷土料理 ===
 
水郷地帯である風土から、木曽川や用水でとらえた[[淡水魚]]を食べる文化が根付いている。特に[[コイ]]、[[モロコ]]といった[[コイ科]]や[[ハゼ]]の仲間が多く、「ぼら雑炊」、「[[鮒味噌]]」、モロコを使った押し寿司である「箱寿司」といった料理を人が集まる時に好んで食べていた伝承がある。
 
 
=== 祭礼 ===
 
新田開発によって形成された40以上の村神社毎に、毎年10月秋祭りが開かれ、[[山車]]が奉納される。市内には[[神楽]]39基、桑名市の[[石取祭]]に由来する山車が14基伝えられている。村名を金糸で刺しゅうした「梵天」と呼ばれる赤い旗を行列の先頭に進む。
 
 
神社では、江戸時代から続く[[獅子舞]]や神楽太鼓、明治時代に伝えられた[[剣舞]]など郷土芸能が奉納される。
 
 
毎年8月には一部地区が「ウイングプラザパディー」駐車場に集結し、「弥富ドンチキチン祭り」が開催されている。
 
 
現在の参加地区は小島・五明・前ヶ須・中六。以前参加していた地区は前新田。
 
 
== 歴史 ==
 
=== 古代〜室町時代 ===
 
原始から古代までは市のほとんどが伊勢湾の海中であり、遺跡などは存在していない。
 
 
平安末期になると現在の弥富市にあたる場所には、木曽川の土砂が堆積し、小島がいくつか形成されていた。弥富町誌によれば、[[1106年]]([[長治]]3年)、東寺文書「[[平盛正]]」にてその地を「市江」(現在の愛西市西保・東保・西條・東條および弥富市五之三・荷之上・鯏浦にかけて跨る地区)として藤原家が開墾し、[[荘園]]としたという史料として残っており、弥富の有史はこの記録からとされている。また当時、平治の乱に破れた[[源義朝]]を乗せた船が当地を通ったとの伝承がある。市江は[[藤原信長]]から[[藤原頼長]]に伝領しのち皇室領の樑江庄となった。
 
 
「市江八郷」と呼ばれた市江地区は「市江島」として室町時代に開発したが、当初は尾張と伊勢の国境が曖昧であり、伊勢国に属していた。のち、市江島と五明をはじめとする輪中が形成されていったと見られている<ref>これでわかる海部の歴史(黒田剛司・泰聖書店)より</ref>。
 
 
その後、荘園制が崩壊し村々の力が強くなると村周辺を次々と開墾し、「杁」と呼ばれる技術が進むと低い土地でも堤防で囲み田畑を広げ、新田開発が発展した。水から生活を守るため、自然堤防・州上に集落は立地し、葦洲がいたるところにみられた。
 
 
=== 戦国時代 ===
 
戦国時代には地域一帯に[[一向宗]]が広まっており、その中心人物で、『[[信長公記]]』に二の江の坊主と記される[[服部友貞|服部左京進]](左京助・左京亮とも)が、市江島の鯏浦(うぐいうら)を拠点に[[海西郡]]一帯を支配する豪族として勢力を誇っていた。服部左京進は尾張の一角にありながら[[織田信長]]の支配に与せず、[[1560年]]([[永禄]]3年)の[[桶狭間の戦い]]の際にも[[今川義元]]の援軍として出兵している。
 
 
左京進は一向宗の中心である[[長島城]]の城代を務め、蟹江に進出してきた信長勢と戦った。[[1565年]](永禄8年)には鯏浦の東・難畑にて[[織田信興]]の侵攻を受け、[[1567年]](永禄10年)、信興は大楠あたりに鯏浦城を築いた。[[1568年]](永禄11年)に左京進は伊勢でだまし討ちに遭い、自刃に追い込まれたが、服部党の抵抗は続き、[[1570年]]([[元亀]]元年)には蜂起した[[長島一向一揆]]門徒の一角として他の門徒衆と共に小木江城(現在の[[愛西市]])を攻めて織田信興を討っている。
 
 
その後、[[1571年]](元亀2年)、[[1573年]]([[天正]]元年)と織田方の侵攻をしのいだが、[[1574年]](天正2年)に信長10万の兵で攻撃が開始され、「市江島から南に人影なし」と呼ばれるほど激しく焼き尽くし、信長は五明に陣を敷き、門徒宗は[[長島一向一揆]]壊滅と運命を共にした。
 
 
一揆殲滅後、この地は無人となっていたが、[[1575年]](天正3年)、服部正友らが入植し、百姓を集めて土地を再建した。市内の重要文化財「[[服部家住宅]]」は服部正友が天正年間に建てたものとされている。
 
 
=== 江戸時代 ===
 
[[1607年]]([[慶長]]12年)、[[徳川家康]]の命により[[御囲堤]]が設けられたことをきっかけ<ref>弥富市歴史民俗資料館資料より</ref>に、藩や豪農、豪商による大規模な[[干拓]]新田の開発が行われるようになる。時に水害によって水没しながらも再度の開発が繰り返され、南へと新田が延びていった。現在の市域の大部分はこの時代以降に陸地化されたものである。元々、国境である木曽川の流し出した土砂の堆積に[[輪中]]を造る事で成立した村々であるだけに、東側が[[尾張国|尾張]]([[尾張藩]])、西側は[[伊勢国|伊勢]]([[長島藩]])という不文律こそ有っても、新しく(あるいは再度)開発する土地についての領有争いも多かったと言う。
 
 
木曽川の流路変更による国替えなどもあったが、現在の市域の大部分を占めた尾張藩領(尾張藩佐屋代官所管轄)と[[犬山藩]]領の飛び地は尾張国、南西部の長島藩領と北西部にあった[[天領]](笠松代官所管轄)は伊勢国という形で明治を迎えている。江戸後期からは[[漁業]]や[[海苔]]の養殖が始まり、特に海苔養殖に関しては尾張藩主から「蓬莱海苔」との称号を与えられるほどの名産となった。また市の特産品である[[キンギョ]]([[弥富金魚]])の養殖と[[ブンチョウ]]の飼育もこの頃から始まる。
 
 
=== 明治・大正 ===
 
明治に入ると文鳥・金魚の養殖がますます盛んになり、1872年([[明治]]5年)には前ヶ須に最初の商業地が設けられた。それまで[[東海道]]は愛知県と三重県の間は[[七里の渡し]]が主なルートだったが、この間を陸路で結ぶ新東海道が現在の弥富市域を通る形で開設され、前ヶ須に渡し場と駅宿が設けられた。後には[[海西郡 (愛知県)|海西郡]]の郡役所も置かれている。その地は現在、弥富市歴史民俗資料館となっている。
 
 
廃藩置県後に鍋田川左岸で三重県桑名郡に属していた地域(小島新田・五明村・川原欠新田・富島新田・富島付新田・富崎新田・加稲新田・加稲付新田・加稲山新田・加稲九郎治新田・稲荷崎新田・稲荷崎付新田・三好新田・境新田)については、1880年([[明治]]13年)に愛知と三重の県境を木曽川及び鍋田川と定め、愛知県海西郡に編入されて現在は弥富市の一部になっている。
 
 
1889年(明治22年)、町村制施行により鯏浦村・平島新田・前ヶ須新田・中山新田村<ref>1878年に中山新田と中河原午新田が合併し発足</ref>と旧伊勢領の五明村・小島新田を合併し、'''[[海西郡 (愛知県)|海西郡]]彌富村'''が発足した。彌(弥)富は「いよいよ富む、いやがおうにも富む」<ref>広報やとみ昭和42年20号より</ref>事を願って命名された[[瑞祥地名]]。[[1898年]]刊行の『愛知県海東郡志』には「彌富は維新後、東海道の駅次となり、海西郡役所のある所にして、一市街をなし、警察署、郵便局、高等小学校、停車場等ありて、稍繁華の地なり」と記されている。
 
 
1903年(明治36年)に町制施行により、'''[[海西郡 (愛知県)|海西郡]]彌富町'''に改称。1906年(明治39年)に[[市腋村]]の荷之上・五之三地区、および[[十四山村]]の鎌倉新田地区を彌富町に編入した(同時に町内前ヶ須新田・中山新田地区を[[海西郡 (愛知県)|海西郡]][[鍋田村]]に編出)。
 
 
1913年(大正2年)、[[海東郡]]と海西郡が合併し[[海部郡 (愛知県)|海部郡]]が成立したため、'''海部郡彌富町'''に改称。
 
 
=== 昭和・平成 ===
 
昭和に入ると、五明にのちの[[ニッケ]]となる昭和毛織紡績弥富工場が開業。昭和後期まで「[[ガチャマン景気]]」と呼ばれる戦前戦後の尾州繊維産業の快進撃に流れ、彌富町にも全国各地から[[女工]]が集い、当時の人口統計にも若い女性の比率が高いとの記録がある<ref>広報やとみ 第1巻より</ref>。
 
 
[[昭和の大合併]]では1955年(昭和30年)に[[鍋田村]]および[[市江村]]楽平地区を合併([[市江村]]のその他地区は[[佐屋町]]に合併)。町名を“海部郡'''彌'''富町”から“海部郡'''弥'''富町”に改称した。翌年隣接する[[三重県]][[桑名郡]][[木曽岬町]]とも合併協議がもたれたが、こちらは三重県議会の反対などから実現しなかった。
 
 
1959年(昭和34年)の[[伊勢湾台風]]では、海岸や河川の堤防が多くの箇所で決壊し、入植が開始されたばかりの[[鍋田干拓地]]を含む全域が水没。町内で308名の犠牲者を出した。
 
 
台風後は治水設備も大幅に強化され、洪水の危険性は減少した。一方で、縦横に流れていた水路の多くが埋め立てられ、水郷地帯としての風景も様変わりした。[[高度成長期]]と並行して[[耕地整理]]や道路事業・[[公共施設]]建設・団地開発ラッシュが進み、主力産業のひとつであった漁業や海苔養殖はほぼ消滅した。昭和40年代に[[減反政策]]が行われると町内多くの農家が[[弥富金魚]]の養殖業に転業し、昭和50年代に生産量はピークを迎えた。一方で、産業の発展や人口増加に伴い地下水の揚水量が著しく増加すると、町内で[[地盤沈下]]現象を起こし、問題となった。また町北部では、名古屋大都市圏の[[ベッドタウン]]としての需要が高まり、田畑や金魚の養殖池を埋め立て[[宅地開発]]が行われた。
 
 
名古屋港の一部として沿岸部の埋め立ても進められ、これらの埋め立て地は1976年以降順次弥富町に組み入れられている。1996年(平成8年)には、長年帰属が問題となっていた[[木曽岬干拓地]]の一部も編入された。
 
 
[[平成の大合併]]施策に伴い、2002年(平成14年)から海部郡[[飛島村]]、海部郡[[蟹江町]]、海部郡[[十四山村]]との合併協議会が行われた。しかし、飛島村は合併に伴う村民サービス低下の懸念から住民投票にて反対過半数となり、蟹江町は対等合併という協定で進められるも弥富町が新市名を「弥富市」とすると主張したことから対立となり、両町村の併合は白紙撤回となった。十四山村でも編入合併という立場に議会が反対したが、賛成派住民による議会[[リコール]]申し出て、住民投票の結果、賛成52%・反対48%でリコールが成立。2006年(平成18年)、十四山村を編入合併・市制施行し、愛知県35番目の市'''弥富市'''が発足した。
 
 
=== 年表 ===
 
* [[796年]]([[延暦]]15年) - 荷上山興善寺が建立される。<!--1106年の記録と矛盾していますが弥富市歴史民俗資料館にて公表されていたので、そのまま記録します。-->
 
* [[1106年]]([[長治]]3年) - 史料上に初見。
 
* [[1159年]]([[平治]]元年) - 平地の乱で敗れた[[源頼朝]]が野間へ逃げる途中、荷之上柴ヶ森に立ち寄る。
 
* [[1338年]]([[建武 (日本)|建武]]5年)頃 - 市江島が広がり、荷之上、五之三、鯏浦、五明など次第に土地が拡大する。
 
* [[1543年]]([[天文 (元号)|天文]]12年) - 前ヶ須、小島などの新田が開発される。
 
* [[1565年]]([[永禄]]8年) - 織田信與が鯏浦に築城。服部左京亮と近隣の一向門徒により戦いが始まる。
 
* [[1574年]]([[天正]]2年) - [[服部氏|服部党]]、一向門徒([[長島一向一揆]])[[織田信長]]に滅ぼされる。
 
* [[1575年]](天正3年) - 服部正友らが市江島を再墾。
 
* [[1576年]](天正4年) - 服部家住宅完成。
 
* [[1585年]](天正13年) - [[天正地震]]。[[マグニチュード]]7.8の[[地震]]が川原欠、鎌島に襲う。
 
* [[1586年]](天正14年) - [[木曽川]]大洪水。
 
* [[1600年]]([[慶長]]5年) - 川原欠、前ヶ平、草平、極楽寺、平島、鎌島などの新田が開拓される。
 
* [[1607年]](慶長12年) - 御囲堤が作られる。
 
* [[1637年]]([[寛永]]14年)頃 - 西中地、東中地、又八、鎌倉、佐古木、中山、中河原、与蔵山、森津、芝井などの新田開拓。
 
* [[1648年]]([[正保]]4年)
 
**芝井におみよし松、森津に森津の藤が植えられる。
 
** この頃、加稲、加稲九郎治、加稲付、富島、三好、稲本、狐地、稲吉、稲荷の各新田開拓。
 
* [[1650年]]([[慶安]]3年) - 慶安東海大水害(寅年の洪水)。佐屋川が決壊し、死者多数。
 
* [[1651年]](慶安4年) - 暴風雨襲い、海西郡で死者多数。
 
* [[1707年]]([[宝永]]4年) - [[宝永地震]](マグニチュード8.4)。伊勢湾湾岸部に津波が襲う。
 
* [[1711年]](宝永8年、[[正徳 (日本)|正徳]]元年)
 
** 六体地蔵ができる。
 
** この頃、松名、寛延、富島付、稲荷崎、富崎、稲荷崎付、加稲山、三稲、八穂、六野、上野の各新田干拓。
 
* [[1713年]](正徳3年) - 暴風雨による高潮襲い、稲吉新田全滅。
 
* [[1722年]]([[享保]]7年) - 高潮が襲い伊勢湾岸新田大打撃。
 
* [[1757年]]([[宝暦]]7年) - 海老江川決壊など尾張国の堤防決壊1361箇所に及ぶ
 
* [[1767年]]([[明和]]4年) - 明和の洪水。尾張で死者2000人以上。
 
* [[1837年]](天保8年) - 鍋田干拓着工開始。
 
* [[1841年]](天保12年) - 大雨にて立田輪中、稲吉輪中大洪水。
 
* [[1854年]]([[安政]]元年) - [[安政東海地震|安政地震]](マグニチュード8.4)。伊勢湾沿岸に津波押し寄せる。海苔の養殖が始まる。
 
* [[1855年]](安政2年) - 暴風雨襲来。三稲新田、境新田など干拓新田の堤防決壊。六野、八穂、上野が亡所となる。鍋田干拓事業中止となる。
 
* [[1861年]]([[文久]]元年) - 金魚の養殖が始まる。
 
* [[1864年]]([[元治]]元年) - 文鳥の飼育が始まる。
 
* [[1871年]]([[明治]]4年) - 前ヶ須が東海道の宿場町となる。
 
* [[1872年]](明治5年) - 繰出、稲荷山の新田が干拓される。前ヶ須〜長島の渡し船が始まる。
 
* [[1876年]](明治9年) - [[伊勢暴動]]。前ヶ須に三重県の一揆隊が上陸し、暴動を起こす。
 
* [[1880年]](明治13年)[[5月10日]] - 三重県桑名郡に属していた鍋田川左岸の地域を、愛知県海西郡に編入。大谷新田干拓。
 
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - 海西郡彌富村、海西郡大藤村、海西郡両国村、海西郡市腋村、海西郡東市江村、海西郡十四山村などが発足。
 
* [[1891年]](明治24年)[[10月28日]] - [[濃尾大地震]]。村内ほとんどの家が倒壊。前ヶ須で噴砂の記録あり。
 
* [[1893年]](明治26年) - 末広新田干拓。
 
* [[1895年]](明治28年)[[5月24日]] - 関西鉄道前ヶ須駅(現在の[[関西本線]][[弥富駅]])が開業。
 
* [[1897年]](明治30年)[[9月30日]] - 佐屋川の決壊。竜巻に襲われ、五之三、荷之上など家屋倒壊。
 
* [[1898年]](明治31年)[[4月3日]] - [[尾西鉄道]](現在の[[名鉄尾西線]])弥富〜津島間開通。
 
* [[1903年]](明治36年)[[8月26日]] - 町制施行。海西郡彌富町になる。
 
* [[1906年]](明治39年)[[7月1日]] - 海西郡東市江村五之三地区・海西郡市腋村荷之上地区・海西郡十四山村鎌倉新田地区を海西郡彌富町に編入、および町内前ヶ須新田・中山新田地区を[[海西郡]][[鍋田村]]に編出。
 
* [[1911年]](大正元年)[[9月23日]] - 大正元年の台風。町内犠牲者3人。
 
* [[1913年]](大正2年)[[7月1日]] - 海東郡と海西郡が合併し、海部郡彌富町となる。
 
* [[1934年]](昭和9年) - [[室戸台風]]。町内でも強風により家屋の倒壊などの被害。
 
* [[1938年]](昭和13年)[[6月26日]] - [[関西急行電鉄]]関急弥富駅(現在の[[近鉄弥富駅]])、佐古木駅開業。
 
* [[1944年]](昭和19年)[[12月7日]] - [[東南海地震]](マグニチュード7.9)。彌富町を始め低地で流砂現象が起こる。
 
* [[1945年]](昭和20年) - [[太平洋戦争]]終戦。[[第二次世界大戦]]による町内戦没者は339人。
 
* [[1946年]](昭和21年)- 鍋田干拓開発再開。
 
* [[1955年]](昭和30年)[[4月1日]] - 彌富町と[[鍋田村]]と[[市江村]]楽平地区が合併し、海部郡弥富町となる
 
* [[1956年]](昭和31年)[[9月4日]] - 木曽岬村との越県合併を申請(三重県議会の反対などで実現せず)。
 
* [[1959年]](昭和34年)[[9月26日]] - [[伊勢湾台風]]。町内死者308名、行方不明者14名、全壊520戸、流出251戸、半壊772戸。12月頃まで湛水。完成間近の[[鍋田干拓]]がこの台風により水中に没する。
 
* [[1960年]](昭和35年) - [[鍋田干拓]]が復旧。
 
* [[1961年]](昭和36年)[[6月]] - 集中豪雨。弥富町一帯の田畑冠水。
 
* [[1964年]](昭和39年) - 伊勢湾台風災害復旧工事完了。
 
* [[1973年]](昭和48年) - 地盤沈下量がこの頃ピークとなる。弥富町の年間沈下量最大18cm。
 
* [[1980年]](昭和55年) - 楠を編入。
 
* [[1993年]](平成5年) - 第1回金魚日本一大会開催。
 
* [[1996年]](平成8年)9月30日 - 木曽岬干拓地の一部が編入される。
 
* [[2003年]](平成15年)[[10月1日]] - [[蟹江町]]、十四山村との3町村での合併(対等合併)のため法定協議会を設置。
 
* [[2004年]](平成16年)[[8月18日]] - 弥富町が新市名に「弥富市」を主張したことに対し蟹江町が反発したため、合併協議が破綻(協議会解散は9月21日)。
 
* [[2005年]](平成17年)[[5月1日]] - 十四山村との合併のため、法定協議会を設置。
 
* [[2006年]](平成18年)
 
** [[4月1日]] 十四山村を編入・市制施行し「弥富市」となる。
 
** [[12月16日]] [[名古屋鉄道|名鉄]][[弥富口駅]]廃止。
 
 
== 市内の風景 ==
 
<gallery>
 
ファイル:Yatomi city center area Aerial photograph.1987.jpg|弥富市中心部周辺の空中写真。1987年撮影の7枚を合成作成。{{国土航空写真}}。
 
ファイル:Nabeta Polder-1987.jpg|鍋田干拓地
 
ファイル:Tatsuta-Waju Jinzoseki-himon01.jpg|立田輪中人造堰樋門
 
ファイル:Yatomi Yachoen01.jpg|弥富野鳥園
 
ファイル:国道一号線沿い文鳥電話ボックス.jpg|弥富市高架橋南の文鳥電話ボックス
 
ファイル:三ツ又池公園.jpg|三ツ又池公園
 
ファイル:森津の藤.jpg|森津の藤
 
</gallery>
 
 
== 行政 ==
 
* 市長
 
** [[服部彰文]] 2011年2月4日就任(2007年より再選) 2015年2月3日任期
 
*副市長
 
** 大木博雄 2013年4月11日就任(2009年より再任) 2017年4月10日任期
 
* 市役所・支所
 
** 弥富市役所
 
** 十四山支所
 
** 鍋田支所
 
 
== 議会 ==
 
=== 弥富市議会 ===
 
{{Main|弥富市議会}}
 
*定数:16人
 
*任期:2016年3月1日 - 2020年2月29日
 
*議長:武田正樹(大栄会)
 
*副議長:平野広行(大栄会)
 
{| class="wikitable"
 
!会派名!!議席数!!議員名(◎は代表者)
 
|-
 
|| 大栄会
 
| style="text-align: right;" | 3 ||◎平野広行、武田正樹、高橋八重典
 
|-
 
|| 誠進会
 
| style="text-align: right;" | 3 ||◎鈴木みどり、永井利明、加藤克之
 
|-
 
|| 市政会
 
| style="text-align: right;" | 2 ||◎三浦義光、佐藤高清
 
|-
 
|| [[公明党]]
 
| style="text-align: right;" | 2 ||◎炭竃ふく代、堀岡敏喜
 
|-
 
|| [[日本共産党]]弥富市議団
 
| style="text-align: right;" | 2 ||◎三宮十五郎、那須英二
 
|-
 
|| [[無所属]]
 
| style="text-align: right;" | 3 ||朝日将貴、早川公二、大原功、江崎貴大
 
|-
 
!計!! style="text-align: right;" | 16!!
 
|}
 
 
=== 愛知県議会 ===
 
{{Main|2015年愛知県議会議員選挙}}
 
* 選挙区:弥富市選挙区
 
* 定数:1人
 
* 任期:2015年4月30日 - 2019年4月29日
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!氏名!!会派名!!当選回数
 
|-
 
| 安藤正明 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]愛知県議員団 || align="center" | 2
 
|}
 
 
=== 衆議院 ===
 
* 選挙区:[[愛知県第9区]] ([[津島市]]、[[稲沢市]]、[[愛西市]]、弥富市、[[一宮市]](旧・[[尾西市]]域)、[[あま市]]、[[大治町]]、[[蟹江町]]、[[飛島村]])
 
* 任期:2017年10月22日 - 2021年10月21日
 
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
!議員名!!党派名!!当選回数!!備考
 
|-
 
| [[長坂康正]] || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 3 ||選挙区
 
|-
 
| [[岡本充功]] || [[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]] || align="center" | 5 ||比例復活
 
|}
 
 
== 教育 ==
 
=== 専門学校・専修学校 ===
 
* [[弥富看護学校|学校法人愛西学園弥富看護学校]]
 
* IPC国際ペットカルチャー総合学院名古屋校
 
=== 高等学校 ===
 
* [[愛知黎明高等学校|学校法人愛西学園愛知黎明高等学校]]
 
* [[愛知県立海翔高等学校]]
 
* NPC高等学院
 
=== 中学校 ===
 
[[File:Yatomi City Yatomi North Lower Secondary School.jpg|thumb|弥富市立弥富北中学校]]
 
* 弥富市立弥富中学校
 
* 弥富市立弥富北中学校
 
* 弥富市立十四山中学校
 
 
=== 小学校 ===
 
* 弥富市立桜小学校
 
* 弥富市立弥生小学校
 
* 弥富市立白鳥小学校
 
* 弥富市立大藤小学校
 
* 弥富市立栄南小学校
 
* 弥富市立十四山西部小学校
 
* 弥富市立十四山東部小学校
 
* 弥富市立日の出小学校
 
=== 幼稚園・保育所 ===
 
* 学校法人愛育学園弥富はばたき幼稚園
 
* 学校法人八田学園弥富第一幼稚園
 
* 弥富市立弥生保育所
 
* 弥富市立白鳥保育所
 
* 弥富市立桜保育所
 
* 弥富市立十四山保育所
 
* 弥富市立西部保育所
 
* 弥富市立南部保育所
 
* 弥富市立大藤保育所
 
* 弥富市立栄南保育所
 
* 弥富市立ひので保育所
 
 
== 施設 ==
 
* JA愛知厚生連[[海南病院]] 弥富市では[[公立病院]]が設けられていないため、民間であるが弥富市の中核病院として指定している。
 
* [[蟹江警察署]]弥富幹部交番
 
* 弥富北交番
 
* 子宝駐在所
 
* 海部南部消防署北分署
 
* [[弥富市立図書館]]
 
** 電源立地促進対策交付事業として図書館が整備され、1976年5月に弥富町立図書館が開館した<ref name=2016nenpou1>『図書館年報 平成27年度のあらまし』弥富市立図書館、2016年、pp.1-2</ref>。1985年7月には役場別庁舎との複合施設として新館(現行館)に移転<ref name=2016nenpou1/>。2001年4月には[[蟹江町]]・[[十四山村]]・[[飛島村]]の住民に対して広域貸出を開始した<ref name=2016nenpou1/>。2006年4月には弥富町が十四山村を編入合併して市制施行し、弥富市立図書館に改称した<ref name=2016nenpou1/>。2007年4月には[[愛西市]]の住民に対して広域貸出を開始した<ref name=2016nenpou1/>。弥富市役所十四山支所1階部分には十四山支所図書コーナーが設けられている<ref name=2016nenpou1/>。2015年度末の蔵書数は174,923冊、2015年度の貸出冊数は140,496冊だった。複合施設全体の延床面積は4,035.47m<sup>2</sup>、図書館部分の床面積は1,978.21m<sup>2</sup>である<ref name=2016nenpou3>『図書館年報 平成27年度のあらまし』弥富市立図書館、2016年、p.3</ref>。
 
 
== 経済 ==
 
'''就業者人口(平成22年国勢調査より)'''
 
*第一次産業 1020人(4.7%)
 
*第二次産業 5911人(27.0%)
 
*第三次産業 12698人(58.1%)
 
*公務・その他 2229人(10.2%)
 
===農業===
 
*[[米]]・[[小麦]]・[[トマト]]・[[レタス]]・[[大豆]]・[[カーネーション]]・[[ビワ]]・[[イチジク]]の生産が特に盛んである。米は8月中旬に刈り取られる。
 
===漁業===
 
'''主な事業所'''
 
*弥富金魚漁業協同組合
 
===工業===
 
'''主な事業所'''
 
*東亜鉄工建設
 
*エムエムアイ
 
*[[川崎重工業]][[川崎重工業航空宇宙カンパニー|航空宇宙カンパニー]]名古屋第一工場
 
*[[浜乙女]]弥富工場
 
 
===サービス業===
 
'''主な物流事業所'''
 
*[[イケア|IKEA]]弥富物流センター
 
*[[伊勢湾海運]]弥富物流センター
 
*[[東明工業]]弥富物流センター
 
*[[日本通運]]富浜流通センター
 
'''商業施設'''
 
* [[イオンタウン弥富]]
 
* [[ピアゴ]]十四山店
 
* [[ヨシヅヤ|Yストア]]佐古木店
 
* [[キンブル]]弥富店
 
* ウィングプラザパディー([[ヤマナカ]]パディー店)
 
 
==姉妹都市・提携都市==
 
===海外===
 
;フレンドシップ相手国
 
[[2005年]]に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた<ref>[http://www.pref.aichi.jp/kokusai/friendship/city/ama/index.html 「あいちフレンドシップ交流アルバム」](あいちフレンドシップ交流アルバム)</ref>。
 
* {{flagicon|IRI}}[[イラン|イラン・イスラム共和国]]
 
* {{flagicon|NED}}[[オランダ王国]]
 
* {{flagicon|FRA}}[[フランス共和国]]
 
===日本国内===
 
;提携都市
 
*{{flagicon|千葉県}}[[浦安市]]([[千葉県]])
 
*:[[2012年]](平成24年)[[9月27日]] 災害時相互応援協定締結
 
 
== 交通 ==
 
=== 鉄道路線 ===
 
[[File:Yatomi eki 1.jpg|thumb|[[弥富駅]]]]
 
市の中心となる駅:'''[[弥富駅]]'''・'''[[近鉄弥富駅]]'''
 
;[[File:JR logo (central).svg|25px]][[東海旅客鉄道]](JR東海)
 
:{{Color|limegreen|■}}[[関西本線]]:- '''[[弥富駅]]''' - ([[白鳥信号場]])-
 
;[[File:Meitetsu_logomark_2.svg|20px]][[名古屋鉄道]](名鉄)
 
:{{名鉄駅番号|BS}}[[名鉄尾西線|尾西線]]:- '''弥富駅''' - [[五ノ三駅]] -
 
;[[File:Kintetsulogo.png|20px|近畿日本鉄道|link=近畿日本鉄道]][[近畿日本鉄道]](近鉄)
 
:{{Color|#3333ff|■}}[[近鉄名古屋線|名古屋線]]:- '''[[近鉄弥富駅]]''' - [[佐古木駅]] -
 
 
=== 路線バス ===
 
[[File:きんちゃんバス.jpg|thumb|alt=弥富市コミュニティバス|きんちゃんバス]]
 
;[[三重交通]]
 
*60系統 名古屋長島温泉線(名古屋名鉄バスセンター)⇔([[長島温泉]])
 
*61系統 名古屋長島温泉線(名古屋名鉄バスセンター)⇔(南桑名)
 
*50系統 名古屋桑名線(名古屋名鉄バスセンター)→([[桑名駅]]前)※平日1本のみ
 
;[[弥富市コミュニティバス]]
 
*北部ルート
 
*東部ルート
 
*南部ルート
 
他に、[[飛島公共交通バス]]の停留所が市内に2ヶ所ある。
 
=== 道路 ===
 
[[File:Yatomi-Kisomisaki IC.JPG|thumb|[[弥富木曽岬インターチェンジ|弥富木曽岬IC]]]]
 
; 高速自動車国道
 
[[File:Higashi-Meihan Expwy Route Sign.svg|60px]][[東名阪自動車道]]:[[弥富インターチェンジ|弥富IC]]
 
; 自動車専用道路
 
[[File:Isewangan Expwy Route Sign.svg|60px]][[伊勢湾岸自動車道]]:[[湾岸弥富インターチェンジ|湾岸弥富IC]]、[[弥富木曽岬インターチェンジ|弥富木曽岬IC]]
 
; 一般国道
 
:[[File:Japanese National Route Sign 0001.svg|25px]][[国道1号]]([[東海道]])
 
:[[File:Japanese National Route Sign 0023.svg|25px]][[国道23号]]([[名四バイパス|名四国道]])
 
:[[File:Japanese National Route Sign 0155.svg|25px]][[国道155号]]
 
; 主要地方道
 
* [[愛知県道29号弥富名古屋線]]
 
* [[愛知県道40号名古屋蟹江弥富線]]
 
* [[愛知県道66号蟹江飛島線]]
 
* [[愛知県道70号名古屋十四山線]]
 
* [[愛知県道71号名古屋西港線]]
 
; 一般県道
 
* [[愛知県道103号境政成新田蟹江線]]
 
* [[愛知県道104号新政成弥富線]]
 
* [[愛知県道105号富島津島線]]
 
* [[愛知県道106号鳥ヶ地名古屋線]]
 
* [[三重県道・愛知県道108号木曽岬弥富停車場線]]
 
* [[愛知県道109号子宝愛西線]]
 
* [[愛知県道458号一宮弥富線]]
 
* [[愛知県道462号大藤永和停車場線]]
 
 
== 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==
 
* 服部家住宅(重要文化財)
 
* [[服部擔風]]筆塚
 
* [[森津の藤公園]]
 
** 藍亭(らんてい) - [[服部擔風]]が使っていた[[1902年]](明治35年)築で約20[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]の木造平屋の書斎<ref name="chunichi2017419">{{Cite news
 
| title = 擔風の功績 後世に 弥富市 漢詩手掛けた書斎 公園に移築
 
| newspaper = [[中日新聞]]
 
| date = 2017-04-19
 
| author = 酒井博章
 
| publisher = 中日新聞社
 
| page = 朝刊 尾張総合版 15
 
}}</ref>。当公園に移築され、[[2017年]](平成29年)4月に一般公開<ref name="chunichi2017419"/>。
 
** 森津の藤まつり<ref name="chunichi2017419"/>。
 
* [[愛知県弥富野鳥園]]
 
* [[海南こどもの国]]
 
*[[金魚日本一大会]]
 
* [http://nagoya-port-golf.or.jp/ 名古屋港ゴルフ倶楽部(富浜コース)]
 
* 富浜緑地([[名古屋港サイクリングロード]])
 
* 弥勒寺(銅造阿弥陀如来坐像は愛知県指定有形文化財)
 
* [[立田輪中人造堰樋門]](輪中公園)
 
* 薬師寺の大楠
 
* 柴ヶ森
 
* 興善寺地蔵
 
* 孝忠園
 
* 竹長押茶屋(見物不可)
 
* おみよし松
 
* 木造阿弥陀如来半珈倚像
 
* 二つお宮の松
 
* 烏の池
 
* 孝女曾與宅址
 
* 宮崎筠圃邸址
 
* 森津の藤
 
* 六体地蔵
 
* 八穂地蔵
 
 
== ゆかりの有名人 ==
 
* [[宮崎イン圃|宮崎筠圃]] (儒学者 旧十四山村鳥ヶ地出身)
 
* [[服部擔風]](漢詩人<ref name="chunichi2017419"/>)
 
* [[武藤山治 (実業家)|武藤山治]] (実業家、政治家)
 
* [[大錦大五郎]](元相撲力士 第28代[[横綱]])
 
* [[山中かく]](日本国内最高齢【[[2008年]][[2月22日]] - [[4月5日]]】出身は[[愛知県]][[西尾市]])
 
* [[吉川博]](政治家 旧十四山村出身)
 
* [[服部勇次]]([[音楽家]]、[[わらべ歌]][[研究家]])
 
* [[上田馬之助 (プロレスラー)|上田馬之助]](元[[プロレスラー]])
 
* [[飯田高子]](元女子[[バレーボール]]選手:[[ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン]]、[[モントリオールオリンピック]][[オリンピックバレーボール競技メダリスト一覧|メダリスト]])
 
* [[後藤恭子]](歌手、女優)
 
* [[山田喜久夫]](元プロ野球選手)
 
* [[富風悟]](元相撲力士(十両))
 
* [[大橋孝明]] (ロックバンド「[[Galla]]」ドラムス)
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
  
 +
[[愛知県]]西部,[[木曾川]]河口左岸の低湿地にある市。南部は[[伊勢湾]]に臨む名古屋港の港湾海域にあり,西で三重県に接する。 1903年町制施行。 1955年鍋田村,市江村の一部と合体。 2006年[[十四山]]村を編入し,市制施行。米作が中心で,トマトなどの野菜栽培,花卉の温室栽培が行なわれるが都市化に伴い,兼業化が進む。キンギョ (金魚) の養殖地として全国的に知られ,ブンチョウの飼育も盛ん。第2次世界大戦後造成された[[鍋田干拓地]]は早場米の産地であったが,1959年の[[伊勢湾台風]]で大被害を受けた。名古屋西部臨海工業地域として工業も発展している。木曾川河口部は水鳥,渡り鳥の生息地で,その保護対策が行なわれている。服部家住宅の主屋,離座敷,表門などが国の重要文化財に指定。 JR関西本線,近畿日本鉄道名古屋線,名古屋鉄道尾西線が弥富駅で交わる。東名阪自動車道,伊勢湾岸自動車道のインターチェンジがあり,国道1号線,23号線,155号線が通る。
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
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[[Category:弥富市|*]]

2018/10/14/ (日) 10:19時点における最新版


弥富市(やとみし)


愛知県西部,木曾川河口左岸の低湿地にある市。南部は伊勢湾に臨む名古屋港の港湾海域にあり,西で三重県に接する。 1903年町制施行。 1955年鍋田村,市江村の一部と合体。 2006年十四山村を編入し,市制施行。米作が中心で,トマトなどの野菜栽培,花卉の温室栽培が行なわれるが都市化に伴い,兼業化が進む。キンギョ (金魚) の養殖地として全国的に知られ,ブンチョウの飼育も盛ん。第2次世界大戦後造成された鍋田干拓地は早場米の産地であったが,1959年の伊勢湾台風で大被害を受けた。名古屋西部臨海工業地域として工業も発展している。木曾川河口部は水鳥,渡り鳥の生息地で,その保護対策が行なわれている。服部家住宅の主屋,離座敷,表門などが国の重要文化財に指定。 JR関西本線,近畿日本鉄道名古屋線,名古屋鉄道尾西線が弥富駅で交わる。東名阪自動車道,伊勢湾岸自動車道のインターチェンジがあり,国道1号線,23号線,155号線が通る。

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